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第26話 迷子の竜の子

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 俺の前にかしずく少女の頭にはふさふさとした触り心地が良さそうな垂れ耳があり、触りたくなる衝動に抗うのは中々にしんどいものがある。
 もふもふを味わいたくなるのは人類の抗いがたい衝動だからね。

「動いていたのはやっぱり、あいつだったか。面倒だな」
「はぁい。ただ、あの動きにはコベールも疑念を抱いているようですぅ」
「そっか、それなら、まだどうにか、なるかもしれんね」

 愛らしい要素が満載されている割に淡々と報告を上げてくれるこのうさぎの獣人少女はエマニエスだ。
 以前、オルロープ卿の邸で諜報活動を行っていたド・プロットの影だった。
 要は敵方に属する隠密だったのだが、相当にブラックな職場で可哀想だから、スカウトしたのだ。

 スカウトとは言っても半ば、強制的に雇っただけとも言う。
 だが、後悔はしていない。
 殺される可能性が高い命を救えただけでもいいと思ったからね。
 ところがこのエマニエスは意外と使える子だった。
 どうして、こんなに有能な子をもっと有用性のある使い方をしていなかったのか。
 だから、駄目だったとも言えるな。

「コベール卿にあてて、手紙をしたためよう。頼めるかな?」
「はい。あちしにお任せください。必ずやお届け致しますぅ」
「ありがとう、エミ―。くれぐれも危ないことはしないように。危ないと思ったら、無理せず帰るんだ。約束だぞ」


 俺は辺境伯直属の手勢として、一万の兵を動員して事に当たることにした。
 俺とヴェルミリオンの率いる竜騎兵が百。
 エレミアが率いる鉄騎兵が五千。
 シュテルンくんが率いる弓兵が二千。
 チェンヴァレンくんが率いる重歩兵が三千。
 チェンヴァレンくんは将として、率いるのは初めてだから止めたんだが経験者であるユウカが補佐したいと付いてきている。
 おとなしくしておいてくれるといいんだが……。
 ユウカも妙なところで頑固なんだよな。

 ジェラルドは今回の出兵にあたって、もしもの時を考えた。
 留守居役を任せるのはあいつしか、いないだろう。
 親父殿を一人にしておく訳にはいかないしな。

「戦いとは常に二手三手先を読んで行うものだからな」

 いや、将棋の棋士はもっと先まで見通せるんだったか。
 それに比べれば、大したことじゃないが、万が一の可能性を考えるべきだ。

「やあ、デルベルク殿。遠路遥々、すまない」

 まあ、今は目前の状況に集中しよう。
 俺は皇帝陛下の詔を受け、シモン・エリアスの陣を訪ねているのだ。
 もはや、エリアス家とコベール家の全面戦争という様相を呈し始め、皇宮でも捨て置く訳にはいかなくなった。
 両者ともに欠けてもらっては困るというのが皇宮の考えなので『どうにかせよ』ということなんだが、随分と無理難題を言ってくれるものだ。

「フレデリク・フォン・デルベルク。シモン・エリアス公爵に拝謁します」
「いや、堅苦しい挨拶は構わない。楽にしてくれたまえ」

 シモンは風格だけなら、王者の風格があると言っても言い過ぎではない男だ。

「此度の戦、我らに正義ありと陛下もお考えくださったと考えてよいのかな?」
「その通りであります。ただ……」
「ただ? 何か、他にもあるのか?」
「この戦、コベール卿が本当に欲したものとお思いでしょうか?」
「違うのか? 民を蔑ろにし、さらには処刑するなど、到底、許されざる所業ではない! 断じて許せん」

 貴族主義に凝り固まった男ではあるが、それだけではない。
 国と民のことを考えてもいる男だからこそ、このシモンという男にも死んでもらっては困る。
 それはコベールにも言えることだが……。

「私の手の者によれば、此度のコベール卿の動き、いささか不自然なのですよ。あからさまにエリアス卿を挑発するような行為を続けた上、派兵して他領の町で虐殺行為を働くなどまともな頭の人間がすることではありません。失礼ながら、エリアス卿はコベール卿があのようなことをされるお方と考えておいでですか?」
「……いや、あいつとは反りが合わないのは事実だ。しかし、彼は優れた武人であると尊敬もしている。だからこそ、あのような行いを許せんのだよ。まさか、違うのか?」
「どうやら、何者かの企みにお二人は嵌められたようですな」
「なんだと、そのようなことが……いや、それなら色々と合点がいくな」

 プライドが高く面倒ではあるが、この男はそんなにいうほど悪い人間ではないのだ。

「敵の狙いは恐らく、卿の命だけではなく、コベール卿の命も狙うでしょう。私はお二人を救う為に来たのです」
「何と! 君こそ、まさに武人の鑑!」

 俺の手を握り、ブンブンと振り回す大袈裟なくらいのリアクションの大きさには辟易するが慣れれば、いい友人くらいにはなれるかもしれないな。



 白蛇将軍サロモン・コベールの麾下にヴァシリー・ドラクル・チェルノヴァという名の若き将がいる。
 まだ、幼さの残る齢十六歳の美しき少年だ。
 その槍の腕前と漂う只者ではない風格の前に異論を唱える者はいない。
 それだけの実力がある者と認められているのだ。

 とはいえ、まだ、末席を占めているだけであり、古くからコベールに仕える者にとっては目の上の瘤に近い扱いを受けていた。
 そんなヴァシリーは客分として、コベールに身を寄せていたベーオウルフに親近感と敬意を抱いていた。
 王者たる風格を持ちながら、優しく、他者を労われるような上に立つべき存在。
 しかし、危うさもあり、どことなく迷いと怯えが彼の中にあったのも事実だ。
 ヴァシリーはそれすらも彼の人間らしいところであって、好感が持てると考えていた。
 仕えるのなら、あのお方しかあるまい、そう考えてすらいた。

 ところがそれがおかしな雲行きになってきた。
 奸賊ド・プロットを倒すべく、コベール卿とともに諸侯連合に参加し、帰ってきてからのベーオウルフは様子がおかしくなっていた。
 いつも行動を共にしていた二人の弟が一人いなくなっていた。
 少し怯えが見え、少年ぽさが残ると感じていたくらいだったのが、明らかに何かに怯えているようだった。
 表情からも心が荒んでいるのが分かるほどに酷かった。

 それがある日を境にベーオウルフの怯えが嘘のように消えた。
 自信のある顔つきとなり、頼りがいがある男になったように見えた。
 そう見えただけだった。
 彼の中に確かにあった僅かな慈愛が消えていた。
 謙虚でどことなく自信がなかった彼は傲慢で酷薄な男になり果てたのだ。

「俺が主にするのなら、この御方と慕っていたベーオウルフ殿は変わられてしまった」

 決定的だったのはあの事件だ。
 諸侯連合が解散して以降、コベール領内では民への締め付けが強くなった。
 民は労苦で苦しみ喘ぎ、飢餓により餓死者は増える一方で領内から逃亡する者が後を絶たない。
 そんな中、起きた事件だった。
 寒村の民が隣接するエリアス家の飛び地領に逃げ込んだ。
 そこの代官が心ある人物だったらしく、彼らを丁重にもてなしコベール領に戻してくれたのだが……。
 民は国の根幹をなすものであり、という抗議文とともに彼らは戻って来た。
 なるほど、その通りであると納得する者がほとんどであった中、ベーオウルフを筆頭に異議を唱える者が出た。
 おかしなことになった。
 結果、その寒村は地図上から消えたのだ。

「あってはならないことだ。民なくして、国は成り立たない」

 ドラクルと呼ばれる竜の愛し子は自らが進む先が見えなくなり、悩んでいた。
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