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幕間 恋する吸血姫

閑話 吸血姫の小夜曲・後編

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(????視点)

 この世界に来てから、一年余り。
 言葉を覚えるのに多少の戸惑いはありました。
 しかし、元々、言語体系が似ていたのかしら?
 それほどにつまずくこともなく、わたしは日本という異国での暮らしに馴染みつつあります。

 わたしが住んでいるのはあちらの世界での居城だった荊城ドルンブルグ
 白亜の城。
 分かりにくいかしら?
 日本で有名なテーマパークとやらのランドマークに似ている、と言ったら、どうかしら?
 そのような大きなお城が普通の住宅街にあったら、不自然ではないかと思われることでしょう。

 ですが、そこに抜かりはありませんのよ?
 認識を阻害し、視覚を惑わす魔法をかけていて、偽装しているので外観を見ただけでは大きな古びた洋館――幽霊屋敷などと呼ばれているようですけど――にしか見えないのです。
 とはいえ、中はそのまま。
 広い城で身の回りのことまで、自分一人でしなくてはならなず、慣れるまでが大変でした。
 幸いなことにルキが手配してくれた家事ゴーレムが大変、優秀でしたから、大きな助けになりました。

 現在は光宗 回みつむね めぐると名乗っているルキは博学の才人。
 彼? 彼女? から、この地で生きていくのに必要な情報と知識を得ることも出来ました。

 どうやら、わたしがいた世界は『魔界』『地獄』『奈落』などと呼ばれ、恐れられているようです。
 それだけではありません。
 次元を抜け、この世界に降臨した者はこう呼ばれているのです。
 『悪魔』と……。
 そして、わたしはこの世界で吸血鬼ヴァンパイアと呼ばれる『怪異』の一種に似ているらしいのです。

 太陽の光に弱く、人の生き血を好み、高い身体能力と不死性を持つ人外の化け物。
 日光を浴びれば灰になり、神の威光を恐れ、十字架を苦手とする。
 銀にも弱く、触れただけで火傷をする。
 などなど、興味深いですわね。

 太陽の下でも焼かれること無く、平気で活動可能なデイウォーカーと呼ばれる者もいるそうです。
 わたしはそれに該当するのかしら?

 ちょっと違う気がするのです。
 確かにこの世界の太陽の光はとても強く、わたしの力は大きく、削がれるのは事実です。
 ですが、わたしが生きていた世界では太陽こそ、わたしの力の源……。
 そして、その太陽とはこの世界で月と呼ばれる大きなお星様だったのです。

 つまり、月が天空に上る夜こそ、わたしの支配する時間ですわね。
 あら? それでは本当に『怪異』の吸血鬼ヴァンパイアのようですわ。
 でも、わたしは生き血を飲んだりはしません。
 自らの血を使った血闘魔法――血の誓約ブラッド・アイトと呼ばれる特殊な魔法を使うのが、勘違いされたのかしら?
 いただくのは血ではなく、エネルギーですもの。

 わたしは契約を結ぶことで、その者が持つエネルギーを得ることが出来ますの。
 この契約はその者がわたしの眷属けんぞく――下僕しもべとなることを意味しています。
 とはいえ、わたしは月の光を浴びるだけで力を増し、エネルギーも得られるので契約の必要性があまり、ありませんのよね。



 そして、わたしがこの世界に来た最大の理由。
 彼を自らの目で確かめに行き、また好きになってしまいました……。
 かわいいんですもの……見ているだけでも癒されます。

 世界で時間の流れ自体が異なっているのかしら?
 彼はまだ、幼かったのです。
 わたしの世界でかなりの時が経っていたのに、こちらではほとんど時が動いていないなんて、考えもしませんでしょう?
 まだ、幼さの抜けきれない、ちびっ子のままの彼。
 その言動を遠くから、見守っているだけで胸の奥が温かくなります。

 彼はとても優しい子……。
 わざと素っ気ない態度を取り、周囲との間に壁を作ろうとしているけど、あなたが困っている子を助けられる強い男の子だと皆、知っているわ。
 面倒だから、友人はいらない。
 そう言いながらもあなたはさりげなく、級友を助けて、素知らぬ振りをしているのでしょう?
 でも、あなたは知らない。
 あなたは頼りにされていて、好かれているということを……。

 見守るだけで教えてあげられない。
 干渉も出来ないのがもどかしいですわね。
 ルキ……いえ、光宗博士との約束ですもの。
 仕方がないですわ……。

 その日もいつものように彼を見ていました。
 まだ、空には太陽が顔を覗かせている以上、あまり目立った行動は取れません。
 彼が突如、妙な行動を取りました。
 川が折からの大雨で増水しているにも関わらず、河原へと猛然と駆け出したのです。
 彼は躊躇いなく、ゴウゴウと恐ろし気な音を立て、濁り切った川へと身を投げ出しました。

 やめて、また、いなくならないで……っ!
 思わず、勝手に体が動いていました。
 彼の後を追って、わたしも川に飛び込もうとして、はたと気付きます。
 わたし……泳げないですわ。

「「あ……」」

 川から帰って来た彼と視線が交差しました。
 泥水に塗れ、全身が濡れた彼は大事そうに木箱を抱えているようです。
 箱の中には毛布が敷かれ、その上で丸まり、震えているのは一匹の黒い仔犬の姿があります。
 この子を助けようとして、飛び込みましたの?
 もしかしたら、自分が溺れるかもしれないのにそれを省みず、助けようとする。
 その姿はかつての彼の姿と重なる物がありました。

「あなたもその子も体を温めないといけないわ」

 わたしは彼に手を差し伸べました。
 一瞬、驚いたような表情を浮かべた彼ですが、すぐにわたしの手を取ってくれます。
 その手の温かさにわたしは安堵を覚え、微笑みかけると彼もまた、照れたように笑ってくれました。
 ああ、やっぱり、かわいい……っ!

 こうして、わたしと彼――悠くんとの出会いが始まりを告げました。
 約束を破ったことは悪いと思ってますのよ?
 でも、時と場合に依りますもの。

 箱を大事そうに抱える悠くんを伴い、わたしの家――荊城ドルンブルグに招待しました。
 大丈夫……認識を阻害させる魔法がかけてあるので、普通の人間には荒れ果てた洋館にしか、見えないのです。
 そう、普通の人間にはですけど。

「お姉さん……ここって……な、なんでもない」

 もしかして、普通に荊城ドルンブルグが見えてますのね?
 とりあえず、中に入ってもらいましょう。

「どうぞ、上がってくださいませ。服を洗いますから、着替えてくださいな。お風呂はあちらですわ」

 館に入るなり、目を丸くしている悠くんを促し、浴室へと案内しました。
 いくら彼が子供だからといって、一緒に入るのは色々な意味で無理ですわ。
 わたしは脱がないにしても本人である悠くんが恥ずかしがるでしょうし……。



「あの……この子を抱っこしてもいいかしら?」

 彼の腕の中で指を甘噛みしている黒い仔犬があまりに愛らしく、つい尋ねてしまいました。
 この子を助けようとした時のことを思い出せば、彼にとって、大事な存在のはず。

「うん……でも、その前にこの子、弱っているみたいだし、手当てをした方がいいと思うんだ」

 彼に抱き上げられた仔犬の頭を撫でると小さなお腹から、クウという空腹を報せる時計の音が聞こえました。

「その子が食べられる物を簡単に作りますわ」

 そう言うと悠くんは照れて、そっぽを向きましたが、わたしはちゃんと見ていました。
 彼の唇が『ありがとう』とお礼を言っていることを……。



 お腹がいっぱいになったことで満足したのか、暖房器具の前でスヤスヤと寝息を立てて眠る仔犬を見ていた悠くんがとても言いにくそうな面持ちで話しかけてきました。

「こいつ、行くところがあるのかな……」
「飼いたいのかしら?」
「うん。飼えるなら、飼いたいけど……」
「そうですわね。こんなに可愛いんですもの。わたしだって、そう思いますもの」

 クスリと笑いながら、答えました。
 彼らしいと思いましたが、同時に寂しくもありました。
 あなたは一人で生きていけだけの力を持っているのに、どうして誰かを頼るということを知らないのかしら?
 頼って欲しい。
 でも、そんなことを言う資格は今のわたしにはありません。
 本来であれば、こうして言葉を交わすことさえ、禁じられていたのですから。

「じゃあ、名前を付けないといけませんわ。男の子かしら? 女の子かしら? どちらだと思います?」

 わたしの言葉に悠くんが首を傾げました。
 男の子か、女の子かを迷っているのではなく、性別なんて関係ないと言いたいのかしら?
 そういうことに拘らないのはあなたの美徳の一つですけど、今はもう少しだけ欲張ってもいいと思いますのよ?

「そうだな……男だったら……アーサーとか、ランスロットとか……後はトリスタン、ガラハッド、ガウェイン……みたいな感じがいいのかな」
「あら? アーサー王伝説ですのね? 男の子なのに意外とロマンチストですわね」
「いや……あっ、まぁ、その……っ!  ほ、他にも色々考えたんだけどさ!  やっぱり、こういうのは最初に思いついた名前が一番だと思うんだ!」

 真っ赤になって、慌てる姿がかわいいのですわ。
 いつまでも悠くんとお喋りをして、一緒にいたいですけど……彼はまだ、子供ですもの。
 あまり引き留めてはいけないですわね。

「では、この子の名はアンナにしましょう」
「え? なんで?」
「わたし、『アンナ・カレーニナ』を読みましたの」
「え? お姉さんの理由はそんなのでいいの!? ……なんだろう。なんか、違う気がする。もっと、こう……」

 悠くんが何かを言おうとして、口籠りました。

「こいつ、雌なの?」
「気付いてませんでしたの?」
「うん」
「そうですのね。でも、あなたが名付けるなら、この子はどんな名前を付けられても喜んでくれると思いますわ」
「そうかな……?」
「はい。だから、自信を持ってくださいませ」
「じゃあ、アンがいいと思うんだ!」
「アン?」
「うん! 『赤毛のアン』から貰って、アン! どうかな? 頭がよくなりそうだよ」

 わたしは胸の奥から込み上げてくる感情を抑えきれず、思わず彼を抱き締めていました。

「お姉さん? どうしたの? 急に抱きついてくるから、びっくりしたよ」
「ごめんなさい……。少しだけ、このままでいさせてくださいません?」

 悠くんがわたしの背中を優しく、撫でてくれました。
 まるで幼子をあやすように……。



「今日はもう遅いですから、お家に帰るべきですわ。この子はわたしが……飼い主を……いえ、わたしが飼いましょう」

 悠くんは一瞬だけ、悲しそうな顔をしましたが、すぐに笑顔を浮かべると『お願いします』と言ってくれました。
 まだ、子供である彼にとって、その決断がどれだけ、辛く悲しいものであるか。
 先程の表情を見る限り、苦渋の決断であったのでしょう。

 悠くんは仔犬を引き取れないのです。
 『そんなわがままは言えないんだ……』とどこか、悟りきったような彼の顔を見ているわたしの方が悲しくて、やりきれない気持ちが胸の奥に生まれていました。
 だから、この子をわたしが引き取るのです。

「いつでも家に遊びにいらっしゃって」
「本当にいいの?」
「ええ。アンもきっと、それを望んでますわ」

 少しだけ、明るさを取り戻したように見える悠くんに安心しました。
 彼を玄関まで送り届け、館の中へと戻りました。
 約束したのでまた、彼は会いに来てくれるかもしれません。
 それだけでも嬉しいですわ。

「これから忙しくなりますわね」

 アンの世話に必要な物を買い揃えなくてはなりませんわ。
 それに、元気になったら、この世界の常識も教えてあげなければ、なりませんもの。

「ふふっ」

 自然と笑みを零していた自分に驚きました。
 笑うことなんて、なかったのですから……。

「全てはあなたのお陰ね……悠くん」

 自然に呟いた言葉に胸の奥がほんのりと温かくなりました。



 あれから、色々なことがありました。
 わたしが引き取った仔犬アン。
 傷が癒えると乾いた砂が水を吸うように賢い子に育ってくれました。
 あまりにすくすくと成長するので悠くんと二人で驚きながらも笑い合って、毎日を過ごしました。
 彼は毎日のように館を訪れてくれましたが、それはアンに会いたいから来てくれるのか……それとも、わたしに会いに来てくれている?
 そんな微かな夢と希望を抱くだけなら、
 ちょっと足を延ばして、海へと散歩をしたり、バスケットにサンドイッチを詰めてピクニックに出かけたり……。

「ゆりお姉さんってさ……。色が……違うよね。僕と同じで……」
「え、ええ。そ、そうですわね。わたしは……そう、スラブ系の血が入ってますの」
「そうなんだ。僕もそうなのかな……」

 容姿のことで追及されそうになったら、東スラブの血が入っていると言っておけば、大丈夫とメグルは自信たっぷりに言ってましたが、その時の悠くんの反応を見る限りでは怪しいとしか、言いようがありません。
 日中は日差しが強く、半分の力も出せないので髪を日本では目立ちにくい黒に変えていました。
 瞳も力が十分ではないせいか、本来の紅玉色ではない薄青色になっていたのですが、この色が日本人としては一般的な色合いではないと知らなかったのです。
 顔立ちも日本人離れしているということに全く、気付いてませんでした。
 この時の悠くんの言葉で初めて、知ったのです。

「わたしはあなたのきれいな瞳の色が好きですわ」
「……ぼ、僕もお姉さんの瞳の色が……そのきれいだなって……同じ色なのに」

 同じ色……?
 見えていると思って、間違いないでしょう。
 彼の目に誤魔化しは効かないということかしら?

「わふっ」

 それから、言葉なく、二人で見つめ合っているところに不意打ちでアンの体当たりをもろに喰らってしまい、三人揃って、お空を眺めることになりました。
 そんな日々がずっと続くと思っていたのに……。



 別れは突然に訪れました。
 ある日を境に悠くんが姿を見せなくなったのです。

 中学生になり、身長も伸びてきて、段々と大人の男へと成長してきても変わらず、姿を見せてくれました。
 時折、彼が大人びた表情をするので胸が高鳴って、落ち着かなくなる……そんな日々が終わりを告げたのです。
 悠くんが館を訪れなくなってから、暫くしてからのことでした。
 まだ、空にお日様が輝いているのにアンを連れて、街へと出向いたのです。
 アンの様子がソワソワしていて、どこか落ち着きがなく、不安な気持ちになっているように感じたから……。
 たまには気分転換も兼ねて、いいかもしれないと思ったのです。

「あら? あの子……悠くんではないかしら?」
「わふぅ?」

 街中を歩いていると、偶然にも彼を見つけました。
 見間違えるはずがありません。
 アンも振り切れんばかりに尻尾を振っています。
 黒い学生服に身を包み、見慣れぬ奇妙な眼鏡を掛けていますが、間違いなく悠くんです。

 わたし達は確かに擦れ違いましたが、彼は気付くことなく、去っていきました。
 わざとではないようです。
 本当に知らないみたいでした。
 まるで忘れてしまったかのように……。

 どうして、こんなことになったのでしょう。
 わたし以上にしょげているアンを見ると心が痛くなってきます。
 それから、食の細くなったアンは外を寂しげに眺めてはただ、寝るだけになっていました。

「アン……今日も元気がないですわね。どうしましたの?」
「……わふ」
「そうですの」

 アンを抱き締め、優しく撫でると彼女はそのまま、静かに眠ったようです。
 いつもなら、そのまま起きずに大人しくしているはずなのに……。

 アンがいなくなったことに気付いたのは夜半を過ぎてから……。
 慌てて、探しに行ったわたしが見つけたのは道端に倒れ伏したアンの姿でした。
 血塗れで息も絶え絶えのその様子は見ているだけで胸が張り裂けそうです……。

「アン……しっかりしなさい」

 必死に声を掛けましたが、アンは頭をもたげる力すら、既に無いらしく『わふぅ』と微かに啼くのがやっとのようでした。
 このままでは彼女も……。

「あ、あぁ……」

 わたしの手の中で冷たくなっていく、愛しい存在。
 これが、喪失感というものかしら?
 でも、今、天にあるのは月……。
 闇夜はわたしの時間。
 犬歯で指の先を軽く傷つけると滴り落ちる紅の液体。

「さぁ、お飲みなさい」

 アンの口元へと滴らせると既に虫の息だった彼女の喉が僅かに動きました。
 あなたに恨まれてもいいから、わたしは助けたかった。
 もう失いたくなかった。
 だから、ごめんなさい……。

 アンの体が仄かな燐光を放ち始め、その姿がゆっくりと変貌していきます。
 傷だらけだった体は何もなかったようにきれいになりました。
 傷口も塞がり、力無く閉じられようとしていた瞼がしっかりと開き、金色の瞳が爛々と輝いています。

「……わ、わふ? あーあー?」

 人の声でアンは何かを試すように呟きます。
 アンはわたしの眷属として、生まれ変わったのです。
 それはわたしと同じ刻を歩むものになったということ。
 そして、その姿がやがて、さらなる変貌を遂げることになるのですけど……。
 それはまた別の話ですわ。
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