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第29話 光る眼
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(三人称視点)
ネドヴェト侯爵家。
少なくとも表向きには理想的な貴族の家庭に見えた彼の家に何が起きていたのか?
異変は静かにそして、確実に進行していた。
根から蝕む病魔の如く、ネドヴェトを侵していたのだ。
全ては企てた者の意のままに進むかと思われたが、僅かに生じた綻びが流れを変えつつあった。
綻びはアマーリエの豹変から、始まった。
我儘で自分本位なアマーリエが変わろうとも何も変わりはしない。
ところが企てし者の思惑に反し、アマーリエの変貌が周囲を大きく動かした。
そして、起きたのがマルチナのデビュタント衣装が汚されるという内々の事件である。
純白のボールガウンが、何者かの手により酷い有様になったのだ。
外部からの侵入の形跡は一切、見られない。
内部の者による犯行の可能性が高かった。
冷静かつ中立の視点で捜査が行われていたら、アマーリエが犯人である物証もなければ、糾弾する理由もないということは誰の目にも明らかだった。
だが、それに異を唱える者はおらず、ユスティーナの挙げた状況証拠を前に憤慨した我儘なアマーリエが家を飛び出したのである。
マルチナもさすがに違和感を覚えていた。
アマーリエが犯人であると断じ、それ以外はありえないと決めつけるユスティーナの常軌を逸した言動に賛同出来なかった。
慈愛に溢れていた母ミリアムの語る慈愛の名を借りた浅薄な懐の深さに呆れてさえもいる。
だからといって、優柔不断なマルチナはアマーリエを庇う訳にもいかず、部屋を出ていく彼女をただ見送ることしか出来なかった。
アマーリエはまだ、十二歳の子供である。
ユスティーナに頭ごなしに怒られたので腹を立て、一時期な家出をしただけに過ぎない。
ネドヴェトの三人の女はそう考えた。
しかし、メイドのベアータが退室すると俄かにその様子がおかしくなっていく。
マルチナはぼんやりと感じていた。
ぼんやりと霞みがかかり、霧の中にいた自分。
その手すら、認識出来なかったのが、嘘のように今は指先まではっきりと認識が出来た。
頭の中の靄がきれいに消え去ったかのようだった。
ふと母と妹の様子を窺うとミリアムとユスティーナの瞳にまるで光が感じられないのが分かった。
虚ろな目をしているとしか言いようがない不気味な様子に言葉を失うマルチナを前に二人はぶつぶつと何かを呟いている。
己を責めるような二人の自虐的な呟きは、マルチナの耳にも痛いものだ。
逃げるように部屋を出たマルチナはまたも違和感を覚えた。
「どうして、こんな……」
ベアータを始めとした使用人の手によって、掃除が行き届いているはずだった。
廊下の床には見て取れるほどに埃が積もり、窓は手垢に塗れている。
「おかしいわ。こんなのって」
マルチナはどうにか心を落ち着かせ、考えを整理しようと自室へと急いだ。
幾人かの使用人と擦れ違うがそこでまた、心にざらざらとした妙な感覚を抱いた。
使用人から、向けられる目がぶしつけに失礼なのも腹立たしかったが、ありえない色をした瞳に恐怖を感じたからだ。
部屋に戻ったマルチナは鍵をかけ、ようやく落ち着きを取り戻したが、頭の中を過ぎった恐ろしい考えにみるみる顔色が悪くなっていく。
「みんな、ベアータと同じ眼をしているわ……」
マルチナはベアータが、義叔母のジャネタ・コラーの推薦でメイドになったことを思い出した。
ベアータは平民にしては珍しい銀色の髪の持ち主である。
明度が低く、濃い灰色に近いダークシルバーの髪色に加え、瞳の色も非常に珍しいものだった。
青みがかった灰の色をした瞳の中に様々な色合いが混じっているのだ。
まるで大空から大地を眺めたような不思議な様相を呈した虹彩はアースカラーと呼ばれていた。
マルチナは気付いてしまった。
いつの間にか、我が家の使用人がアースカラーの瞳を有する者しか、いないことに……。
そして、アマーリエとエヴェリーナが屋敷を去った翌日のことである。
コラー女伯爵――ジャネタ・コラーの突然の訪問でマルチナのあやふやだった推理が核心に変わった。
ジャネタがアースアイの持ち主だったからだ。
「お義姉様。お久しぶりでございます」
薄く青みがかったアイスシルバーの髪にアースカラーの瞳をしたジャネタは、十八歳の息子がいるとは思えない若さと美しさを保っていた。
薄らとした淑女の笑みを浮かべ、優雅な所作のジャネタはマルチナから見ても理想的な淑女にしか、見えない。
だが、マルチナはジャネタの目が心の底まで見透かそうとしていると感じ、恐怖を覚えていた。
ミリアムはアマーリエのことで「あなたのせいではないですわ。お義姉様。お義姉様の優しさが分かって、すぐに帰ってきますわ」と慰めの言葉をかけられ、まるで操り人形のようにぎこちない動きになっている。
おかしい。
このままだとまた、おかしくなってしまう。
マルチナは話を合わせながらもどうすべきかを模索していた。
徐々に様子がおかしくなっていく母と妹を横目に見ながら……。
ネドヴェト侯爵家。
少なくとも表向きには理想的な貴族の家庭に見えた彼の家に何が起きていたのか?
異変は静かにそして、確実に進行していた。
根から蝕む病魔の如く、ネドヴェトを侵していたのだ。
全ては企てた者の意のままに進むかと思われたが、僅かに生じた綻びが流れを変えつつあった。
綻びはアマーリエの豹変から、始まった。
我儘で自分本位なアマーリエが変わろうとも何も変わりはしない。
ところが企てし者の思惑に反し、アマーリエの変貌が周囲を大きく動かした。
そして、起きたのがマルチナのデビュタント衣装が汚されるという内々の事件である。
純白のボールガウンが、何者かの手により酷い有様になったのだ。
外部からの侵入の形跡は一切、見られない。
内部の者による犯行の可能性が高かった。
冷静かつ中立の視点で捜査が行われていたら、アマーリエが犯人である物証もなければ、糾弾する理由もないということは誰の目にも明らかだった。
だが、それに異を唱える者はおらず、ユスティーナの挙げた状況証拠を前に憤慨した我儘なアマーリエが家を飛び出したのである。
マルチナもさすがに違和感を覚えていた。
アマーリエが犯人であると断じ、それ以外はありえないと決めつけるユスティーナの常軌を逸した言動に賛同出来なかった。
慈愛に溢れていた母ミリアムの語る慈愛の名を借りた浅薄な懐の深さに呆れてさえもいる。
だからといって、優柔不断なマルチナはアマーリエを庇う訳にもいかず、部屋を出ていく彼女をただ見送ることしか出来なかった。
アマーリエはまだ、十二歳の子供である。
ユスティーナに頭ごなしに怒られたので腹を立て、一時期な家出をしただけに過ぎない。
ネドヴェトの三人の女はそう考えた。
しかし、メイドのベアータが退室すると俄かにその様子がおかしくなっていく。
マルチナはぼんやりと感じていた。
ぼんやりと霞みがかかり、霧の中にいた自分。
その手すら、認識出来なかったのが、嘘のように今は指先まではっきりと認識が出来た。
頭の中の靄がきれいに消え去ったかのようだった。
ふと母と妹の様子を窺うとミリアムとユスティーナの瞳にまるで光が感じられないのが分かった。
虚ろな目をしているとしか言いようがない不気味な様子に言葉を失うマルチナを前に二人はぶつぶつと何かを呟いている。
己を責めるような二人の自虐的な呟きは、マルチナの耳にも痛いものだ。
逃げるように部屋を出たマルチナはまたも違和感を覚えた。
「どうして、こんな……」
ベアータを始めとした使用人の手によって、掃除が行き届いているはずだった。
廊下の床には見て取れるほどに埃が積もり、窓は手垢に塗れている。
「おかしいわ。こんなのって」
マルチナはどうにか心を落ち着かせ、考えを整理しようと自室へと急いだ。
幾人かの使用人と擦れ違うがそこでまた、心にざらざらとした妙な感覚を抱いた。
使用人から、向けられる目がぶしつけに失礼なのも腹立たしかったが、ありえない色をした瞳に恐怖を感じたからだ。
部屋に戻ったマルチナは鍵をかけ、ようやく落ち着きを取り戻したが、頭の中を過ぎった恐ろしい考えにみるみる顔色が悪くなっていく。
「みんな、ベアータと同じ眼をしているわ……」
マルチナはベアータが、義叔母のジャネタ・コラーの推薦でメイドになったことを思い出した。
ベアータは平民にしては珍しい銀色の髪の持ち主である。
明度が低く、濃い灰色に近いダークシルバーの髪色に加え、瞳の色も非常に珍しいものだった。
青みがかった灰の色をした瞳の中に様々な色合いが混じっているのだ。
まるで大空から大地を眺めたような不思議な様相を呈した虹彩はアースカラーと呼ばれていた。
マルチナは気付いてしまった。
いつの間にか、我が家の使用人がアースカラーの瞳を有する者しか、いないことに……。
そして、アマーリエとエヴェリーナが屋敷を去った翌日のことである。
コラー女伯爵――ジャネタ・コラーの突然の訪問でマルチナのあやふやだった推理が核心に変わった。
ジャネタがアースアイの持ち主だったからだ。
「お義姉様。お久しぶりでございます」
薄く青みがかったアイスシルバーの髪にアースカラーの瞳をしたジャネタは、十八歳の息子がいるとは思えない若さと美しさを保っていた。
薄らとした淑女の笑みを浮かべ、優雅な所作のジャネタはマルチナから見ても理想的な淑女にしか、見えない。
だが、マルチナはジャネタの目が心の底まで見透かそうとしていると感じ、恐怖を覚えていた。
ミリアムはアマーリエのことで「あなたのせいではないですわ。お義姉様。お義姉様の優しさが分かって、すぐに帰ってきますわ」と慰めの言葉をかけられ、まるで操り人形のようにぎこちない動きになっている。
おかしい。
このままだとまた、おかしくなってしまう。
マルチナは話を合わせながらもどうすべきかを模索していた。
徐々に様子がおかしくなっていく母と妹を横目に見ながら……。
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