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(50)咲夜18歳 『婚礼前』

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「卒業したら、何をする?」

 ほとんどの生徒が進路も決まり、どことなく弛緩した空気が漂う教室の中で、雑談する声が咲夜の耳にも聞こえてくる。

「遊ぶ! めいっぱい遊ぶ!」
「私も―。三年生になってから家と学校と塾しか行っていないしー」
「私はとにかく寝る。今までの睡眠不足を取り戻す」
「俺は引っ越しだな」
「引っ越し?」
「大学近くで一人暮らしするから」
「いいなぁ」
「そうだ、旅行しようよ! みんなで卒業旅行!」
「旅行か、いいねぇ」
「どこ行く?」
「海行きたーい」
「遊園地行きたーい」
「キャンプしたーい」
「じゃぁ多数決しようぜ」

 平和な空気の中で欠伸をしていた咲夜に、前の席の男子生徒が質問する。

「なぁ咲夜は? 一緒に行く?」

 その一言で、その場の全員がバッと咲夜の方を向いた。
 
 進学校である鬼在きさら高校で常に成績上位だった咲夜は、担任や学年主任、果ては校長の説得にも応じずに大学をひとつも受験しなかった。

「俺はパス。今は鬼在きさらを離れたくないから」
「えー、そうなの?」
「やっぱ噂通り、ヤのつく職業で襲名披露とか?」
「あはは、まさか」
「そりゃただの噂だろ」

 卒業後は家業を継ぐということにしてあるのだが、親代わりだといって面談に来たのが任侠映画から抜け出てきたような源吾だったせいで、いわゆるそういう世界のボンボンだと一部の生徒たちの間で勘違いされているらしかった。

「えっと、なんだっけ? なんかのお店を継ぐんだっけ?」
「まぁ、そんな感じ」
「店って?」
「何のお店?」
「骨董店だよ」
「骨董? 古臭い壺とか掛け軸とか売ってるあの骨董?」
「はは、まぁそうだね」
「そんなものを継ぐために、大学進学あきらめたの? めっちゃ成績良かったのに?」
「ん-、店のためっていうより、大事な人のためだから」
「大事な人?」
「うん。俺の初恋の超絶美人のね」

 咲夜が、きらりと眩しいほどの良い笑顔を見せる。

「は、はつこい……」
「びじん……」
「その人の準備が整ったら、すぐに結婚する予定なんだ」
「け、結婚ー!?」

 満面の笑みを浮かべる咲夜を前に、クラスメイト達は騒然となった。

 その瞬間にクラスメイトの約三分の一と、廊下で聞き耳を立てていた数人の女子生徒と、彼女らから衝撃の報告を聞くことになる大勢の隠れファン達は、咲夜の知らないところでひっそりと失恋したのだった。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 クラスメイトの質問攻めからやっと逃げるように帰ってきたら、翡翠様が上半身だけ絵から這い出ていた。

「さ、貞子……?」

 思わずあちら側で大牙と一緒に見たホラー映画のヒロイン(?)の名を呟く。

「咲夜様、どうしましょうか」
「すいません、無理に引っ張り出していいのか分からず……」

 翡翠様の絵の横で、アルファとベータがおろおろとしている。


 絵のあやかしは、絵が破壊されれば簡単に消えてしまう。一騎当千のはずの十二神将でさえも、ぬえの腹の中で胃液に溶けてしまっていた。

 鵺を追い出した今、『きさら堂』の中で大きな危険があるとは思わなかったが、咲夜は念の為に自分がそばにいられない時は護衛としてアルファ達をここに置いていたのだ。


「うん。ご苦労様。後は俺がやるから休んでいいよ」

 咲夜がうなずくと、二人は一礼してからアトリエにある自分の絵へと戻っていった。



 翡翠様はたっぷりとドレープの効いた白いローブを着ていて、その上にアクアマリンの長い髪が広がっている。うつぶせの状態なので、髪に隠れて顔がよく見えない。

「翡翠様……」

 呼びかけた声が少し震えていて、咲夜は思ったよりも自分が動揺していることに気付いた。

 幾度となく想像していた感動の再会とは、まったく違うシチュエーションだからだろうか。まさかホラー映画さながらに半分だけ出てくるとは思わなかった。

「翡翠様、ええと、起きたの……?」

 まだ、まったくと言っていいほど実感がわいてこない。
 キラキラと輝くアクアマリンの髪を震える指でそっとかき上げると、翡翠様の綺麗な顔がやっとあらわになった。

「んん……まだねむい……」

 翡翠様はそう言って、ちょっとだけ眉間にしわを寄せた。

「うん、ごめんね。でも、ベッドで寝ようよ」

 咲夜は壊れ物を扱うように翡翠様の体の下から手を入れて、そうっと引っ張りながら抱き上げてみる。何の抵抗も無く、翡翠様の下半身も絵の中からするりと出てきた。

「ん-、さくやぁ……」

 翡翠様は手も足もだらりと脱力していて、完全に咲夜に身を預けている。腕に感じる確かな重さ、手のひらに感じる柔らかさと温かさにやっと実感が滲んでくる。

 翡翠様がここにいる。
 この腕の中にいるんだと。

 ふいに、ぽろりと涙がこぼれ落ちた。

「あ、あれ……?」

 抑えようとしても、涙は後から後から流れてくる。
 涙は頬を伝い、ぽたりぽたりと翡翠様の顔へ落ちていく。

「ん……」

 涙で揺らめく視界の中で、アクアマリンのまつ毛がかすかに震えるのが見えた。

 息を止めて見守る咲夜の腕の中で、ゆっくりとまぶたが持ち上がり、その下の輝く瞳を覗かせた。

「咲夜」

 ふわり。
 花が開くように、翡翠様が笑う。

「ひ、ひすい、さま……」

 涙声の咲夜にちょっとだけ驚いて、翡翠様が愛しそうに目を細める。

「咲夜、どうした。泣いているのか」

 細い指が咲夜の目元に触れてきて、翡翠様は指先についた小さな雫をちゅっと口に含んだ。

「ん、しょっぱい」
「ひすいさま……なめ、たの……?」
「あぁ、舐めた。生きている味だ」

 ふふふっと翡翠様が笑う。

「咲夜」
「う、うん……」
「約束通り、今日は一緒に寝ような」

 約束した『今日』はもう三年も前のことなのだが、咲夜はそれを指摘しなかった。ただ優しくうなずいて翡翠様をベッドにおろし、自分もその横に寝そべった。

 至近距離に翡翠様の顔がある。
 ほんの少し動くだけでサラサラと流れる藍玉らんぎょくの髪、光るような透明感を持つ白い肌、笑みの形に艶めく唇。 

「ひすいさま……きれい……」
「知っておる。この姿は稀代の天才絵師・時津彦様が……」

 翡翠様はハッと言葉を止めて、ゴホンゴホンと咳払いをしてから、慌てたように言い直した。

「この姿は、不世出の天才絵師・咲夜が私そのものを描いてくれたものだからな」
「うん、俺の最高傑作だよ」

 翡翠様が嬉しそうに微笑んで、咲夜の髪を撫でてくる。
 咲夜は甘えるように抱きついて、翡翠様の胸に顔を押し付けた。

「今日は色々あったな。色々ありすぎて何から手を付ければいいんだか、見当もつかぬ」
「大丈夫、翡翠様はゆっくりして。仮の主人の俺に任しておけばいいよ」
「そういうわけにもいくまい。元・仮の主人として何でも手伝うぞ。そういや今何時だ? 艶子や親分さん、それから姫様はあやかし館で休んでもらっているのか?」
「ううん、もうみんなとっくに帰ったよ」
「帰った?」
「大丈夫だよ、翡翠様。『きさら堂』の玄関の修理についても、鬼在きさらの街の騒動についても、使用人達やたかむらのことについても、もう全部うまく収まったから」
「そうなのか?」

 咲夜はこくんとうなずき、またぎゅっと翡翠様に抱きついた。

「だから、俺を褒めて。よくやったって、いっぱい撫でて」

 翡翠様の腕が包み込むように咲夜の頭を抱えてくれて、ちゅ、ちゅ、と頭や額にキスが降って来る。

「よくやったな、咲夜」
「うん、俺、頑張ったよ」
「えらいなぁ、咲夜」
「翡翠様、キスしていい?」
「もちろん」

 咲夜は顔をあげて、おそるおそる翡翠様の唇に自分の唇を押し付けた。三年ぶりの柔らかい感触に、胸の奥がじんわりと熱くなる。

「翡翠様、大好きだよ」
「咲夜……私も大好きだ……。もっとキスしておくれ」

 翡翠様は唇を少しだけ開いて、誘うようにちらりと舌を見せた。

「かわいい舌、舐めてもいい?」
「あぁ、私も咲夜の舌を舐めたい」

 嫣然とした声に、ドクンと咲夜の胸が鳴る。

 咲夜は舌を出すようにして、不器用に口を近づける。すると、翡翠様はちゅるっと咲夜の舌に舌をからめて唇を吸ってきた。

「ん!」

 驚いている咲夜の首に両手をかけるようにして、翡翠様は未経験の咲夜に遠慮することなく深くて熱いキスを続けてくる。

 ちゅくちゅくと官能的な唾液の音と共に、舌や歯や口蓋が刺激されて、次第に咲夜の体がドクドクと熱くなっていく。

「ふぁ……」

 情熱的な唇が離れると、咲夜はひどく気の抜けた声を出してしまった。

 腰がとろけるような快感と、激しく飛び跳ねる心臓に、くらくらとめまいがしてしまう。

「翡翠様……もう一回……もう一回したい……」

 興奮のままに覆いかぶさるようにして、また口づけを交わす。
 咲夜は翡翠様の真似をして、口の中で舌を動かしてみた。

「ん……」

 すると翡翠様が甘い吐息を漏らして、しがみつくように体を密着させて来る。
 咲夜はキスをしながら、無意識に下半身を翡翠様に押し付けていた。

「翡翠様……翡翠様……」

 うわ言のように名前を呼んで、幾度も幾度もキスを繰り返す。

「咲夜……」

「あぁ……体が熱いよ……翡翠様、苦しいよぉ……」

 体の中心に血が集まっていく。じんじんと疼いてたまらない。
 どうしたらいいのか分からずに、助けを求めるように翡翠様を抱きしめる。

「可愛い咲夜。触っても良いか」
「え……」

 何を?と聞こうとした時には、すでに翡翠様の繊細な手がズボンの上から咲夜の中心に触れていた。

「わ……あ、あ、待って……!」

 強烈な快感が背中を走って、咲夜はびくりと腰を引く。

「大丈夫、そんなに焦るな。自分でも触ったことはあるだろう?」
「あ、あるけど、でも……」

 制服のズボンのベルトをはずし、ファスナーを下ろして、細い指が下着の中に入って来る。輪郭をなぞるように指が動いたかと思うと、先の方を包み込んだり、しごくように動いたりし始める。


「あっ、あっ、で、でも……自分でするのとぜんぜん違っ……あっ、だめっ……も、もう出そう……」

 カクカクと腰が動いてしまい、咲夜はこらえきれずに翡翠様の手の中へ精を吐き出してしまった。


「あぁ、ごめんなさ……」

 謝ろうとする咲夜の目に、信じられない光景が映る。

 翡翠様が嬉しそうな表情で、手についたそれをぺろりと舐めたのだ。

「だ、だめ!」

 制服のポケットからハンカチを出して、咲夜は大慌てで翡翠様の手を拭った。

「あぁ、せっかく咲夜のを味わおうと思ったのに」
「お、俺も!」
「ん?」
「俺も、翡翠様のを触りたい!」

 叫ぶように言うと、翡翠様はちょっとだけ目を見開いて、次に満面の笑みを浮かべた。

「私も咲夜に触って欲しい。ずっと、ずっと、触って欲しかった……」


 それから、咲夜と翡翠様は裸になって、互いの存在を確かめるようにじっくりと触り合った。
 その日は新月ではなかったけれど、翡翠様は咲夜が触れるたびに感じて声を上げた。
 
 体中にキスをして、指で触れ、舌でも触れたけれど、最後の一線は超えなかった。

 二人とも、それは婚礼の後だと思っていたから。



「翡翠様……」
「ん……」
「俺と結婚してください」
「もとより、そのつもりだが」
「へへ……ちゃんと言ってなかったような気がして」
「そうだな。私もちゃんと返事をしようか」
「うん」
「咲夜、その求婚を受け入れる。必ずそなたを幸せにすると誓おう」
「幸せにするっていうそれ、俺のセリフじゃない?」
「どちらが言っても良いだろう?」
「そっか。二人で幸せになればいいよね」
「あぁ、だが咲夜に出会った時からすでに幸せだったがな」
「あ! それ、俺も言いたかったのに」

 二人は顔を見合わせ、くすくすと笑いあった。


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