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(31)咲夜13歳 『影法師』
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「翡翠さん、俺の説教をご所望なんだって?」
おどけた顔で源吾が言うので、翡翠は困ったように苦笑した。
怪我を負った蓮次郎は、アスクレピオス様と少名毘古那神様が怪我の具合を診てくれた。
狸の若い衆らと一緒に『きさら堂』を出ていく時、振り返った蓮次郎と翡翠は一瞬目が合ったのだが、互いに何も言うことが出来なかった。今は、あちら側の証城寺で療養しているらしい。
「うーん、だがなぁ、男女のあれやこれやっつうのは本人達にしか分からねぇことばっかりだ。外野がやいのやいの言うことじゃぁねぇと俺は思ってるんだが」
「源吾おじさん、男女じゃないよ」
「ん? 何がだ?」
咲夜の冷静なつっこみに、一瞬源吾がきょとんとする。
「だって、あの鬼も俺もひすい様もみんな男だもん」
「おっと、こいつぁいけねぇ。まーたうちのかかぁに叱られらぁ。恋愛するのは男と女だけじゃねぇってな。ま、とにかく、色恋沙汰に口を出すのは野暮ってなもんだ。蓮の字の野郎には、かよわい翡翠さんに鬼の本性で迫ったことだけはしっかり叱っといたからよ」
「はい……」
源吾の大きな手が、ぽんと翡翠の頭に乗せられる。
「気に病むこたぁねぇ。翡翠さんは咲夜が好き。咲夜は翡翠さんが好き。それで何の問題もねぇ」
そんな単純な話でないことは、源吾も分かっているはずだ。翡翠には、時津彦様という本当の主がいるのだから。
「咲夜が六代目になるというのは」
「なんだ、咲夜。もう言っちまったのかい」
「うん! だって絶対に俺がなるもん!」
「ったく、お前ってやつぁ……」
源吾は呆れたようにふっと笑い、がっしりと太い腕を組んだ。
「あのな、翡翠さん。実はかなり前から、狐と狸が両方の世界で時津彦の消息を追っている。が、いまだにその生死は不明だ。まぁたとえ生きていたとしてもすでに80を超えた老人だからな。さすがにもう『きさら堂』の主人の座には……」
「な、何を言うか! どんなに年を重ねようが、我らは全員が時津彦様によって生み出されたあやかしだ。我らの主人は時津彦様だけだ」
「戻ってきて欲しいのかい?」
源吾の直球の質問に、翡翠はぐっと体に力を入れた。
時津彦様は翡翠に命を与えてくれて、名前を授けてくれて、『きさら堂』の仮の主人という地位までも与えてくれたお方だ。
どんなに咲夜に惹かれようとも、翡翠の中から時津彦様への思いが消えるわけではない。
「戻ってきていただきたいと、思っている。その上で、私の気持ちをお話しして、おそばを離れることをお許しいただきたいのだ」
「なるほどな。きちんと筋を通したいと」
「はい」
「あんた、良い女だなぁ」
「女じゃないよ、源吾おじさん」
「あ、しまったぁ! またかかぁに叱られちまうや」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「俺ね、試したいことがあるの」
あちら側へ戻るという日に咲夜が翡翠を連れて行ったのは、影が浮かぶカーテンのあるあの客室だった。
右側のカーテンにいる女の影は、今日も繰り返し同じ歌を歌っている。
「今日も歌ってるね。喉ガラガラにならない?」
「人間ではないから喉が枯れることは無いだろうが、こうもしつこく歌い続けるということは何か意味があるかもしれぬな」
「おじいちゃんに聞かせてるのかな」
「さぁ、どうだろうか」
左側のカーテンに映るのは、おじいちゃんと呼ぶには若々しい男の影だ。こちらも前と同じようにただ立ち尽くしていてほとんど動かない。
「ここで何を試すのだ?」
「つなげるの」
「つなげる?」
「うん、これと、これを」
「左右のカーテンをつなげるのか……? それはこの前私がやってみたが」
「もっとちゃんとつなげるんだよ。このふたりを会わせてあげるの」
「会うのが幸福とは限らぬぞ」
もしかしたらこの二人には、艶子が見逃している過去の因縁でもあるのかもしれない。醜い男女の争いなど咲夜には見せたくない。
「ん-っと、ね。なんとなく、運命みたいだと思ったの」
そう言って、咲夜ははにかむように笑った。
「運命?」
「俺がここにいる日に、おじいちゃんが死んで影になったから」
「咲夜とあの老人には何の関係も無いだろう?」
「でも、ひすい様が悲しそうだった」
「私が?」
「ひすい様はおじいちゃんが死んでしまって悲しそうだった。影になっても二人が会えなくて悲しそうだった」
咲夜は翡翠の手をそっと握って、手の甲を撫で始める。
「右と左のカーテンをくっつけてみたけど何も起こらなくて、ひすい様は心が痛そうな顔してた。ひすい様は優しいから、何とかしてあげたいと思っているでしょう?」
印象的な黒い瞳に何もかも見透かされているようで、翡翠は驚いた。
「咲夜は心配しなくてよい。私は大人だから、どうにもできないことには慣れている」
もう二度と会えない友を思い、翡翠は少し目を伏せた。
「ううん。俺がいない日にあったことなら、俺には何もできない。でも、俺が『きさら堂』にいる日におじいちゃんが死んで、俺が『きさら堂』にいる日にひすい様が悲しい思いをした。だったら、俺はやれることをやらなくちゃって思うの」
「咲夜……」
咲夜は翡翠の手の甲にちゅっとキスをした。
「見てて。俺は特別な子供だから、ほかの人に出来ないことが出来るんだよ」
自信に満ちた笑顔を見せてから、咲夜はカリッと自分の人差し指を噛んだ。そして血の出る指先を左側のカーテンの端につけ、縦に動かしていく。
翡翠は息をのんだ。
左側のカーテンに書かれていく赤い線と、そっくりそのまま同じ線が右側のカーテンの端にもゆっくりと引かれてゆくのだ。
女の影が歌うのをやめた。男の影が線の方を向いた。互いに赤い線を挟んで向かい合い、影法師が見つめ合う。
「あ……お互いの存在に、気付いた……?」
男も女も赤い線へと近づいてゆく。しかし、男は何かをためらうように足を止める。多分、女を思うがゆえのためらいだろう。生きている頃に何があったのか、翡翠と咲夜は分からない。けれど、男の指先が震えていることははっきりと見える。
線を越えたのは、女の方だった。右側のカーテンに引かれた赤い線に手を突っ込む。すると、左側の線から女の腕が現れる。女は意を決したように、一気に線に飛び込んだ。
「あ……!」
女の影は左側のカーテンに移り、男女は熱い抱擁を交わす。喜びを爆発させるように、何度も何度もキスを交わし、男女はまたきつく抱き合った。影は何も言わないし、表情も見えないけれど、この男と女がどれほど相手を想っているのかはありありと伝わって来る。
「ひすい様、心の痛いの、少しは無くなった?」
咲夜が翡翠の顔を覗き込んで、可愛く笑う。
その顔を見た途端に、涙腺が壊れたかのように翡翠の目から涙が溢れてきた。
「あぁ、無くなった……もう痛くないぞ……」
「良かった。俺、ひすい様、大好き」
「咲夜、ハグしてくれ……」
「うん! ハグする!」
咲夜は翡翠の体を抱き寄せ、頬や額にちゅ、ちゅ、とキスを降らせる。
「ひすい様、大好き」
「あぁ……」
「本当に好き」
「うん……」
「口にキスしていい?」
もちろんいいよと言いたかったが、翡翠は目を伏せて首を振った。
「すまない」
「俺が子供だから?」
「いいや、違う」
時津彦様に、会わなくては。
翡翠の望みは翡翠だけの望み、翡翠の心は翡翠だけの心だと、やっと気付くことが出来たのだから。
「もう少し待ってくれ。すべてにきちんと決着をつけて、私は堂々と咲夜の恋人になりたい」
その時、左側のカーテンで抱き合う男女二人の影が、一緒に歌を歌い出した。
あの物悲しい旋律に男性の歌う旋律が重なると、全く違う印象の曲に聞こえてくる。
「わぁ、違う曲みたい」
「愛しい人、愛しい人、私にはあなただけ……だったか」
「おじいちゃんもいい声してる」
「そうだな。これは、もともとふたりで歌う歌だったようだ。ハーモニーがすごく綺麗だ……」
「ああああああ、遅かったぁ!!」
ノックも無しにドアが開けられ、そのままドアの前で艶子が崩れ落ちた。
「艶子?」
「なんてこと! その二人は引き合わせちゃ駄目だったんです。こうなる前に別々にしようと思ったのに……!」
「どういうことだ?」
「兄妹だったんです!」
「きょうだい?」
「兄と、妹」
艶子が抱き合う二人の影を振るえる指で指し示す。
「あぁ……そうか」
そこまでの驚きはなかった。
この二人には何か事情があるのだと予想していたから。
「今さらですけど、やっと分かったんです。ここで亡くなった老人が兄で、女の影は40年以上前に死んだ妹のものでした。兄が婚約者と挙げるはずだった結婚式の前日に妹が自殺してしまい、結局婚約は解消されたとか。兄の方はその後一生独身を貫き、お屋敷と財産は親戚筋に譲ったそうです。その親戚が勝手にお屋敷の家財道具などを売ってしまったせいで、兄は妹の影を映すカーテンを探し求めてここまで辿り着いたらしいんです」
一気に説明し、艶子は心底困ったという顔で翡翠を見上げた。
「どうしましょう、翡翠様。兄と妹でこんな……許されませんよね」
「どうしてだ?」
翡翠が問うと、艶子の目が大きく見開かれる。
「どうしても何も、血のつながった二人が愛し合うなんて!」
憤慨したように叫ぶ艶子の前で、翡翠と咲夜は顔を見合わせた。
「えっと、でもこれ、ただの影だよ?」
「そう、これはただの影だ」
翡翠と咲夜が微笑むと、艶子がぽかんと口を開けた。
「それは、どういう……」
「艶子は長い間、人間の社会で暮らしてきたから、考え方が人間寄りになっているようだな」
「え、は、はぁ……?」
「ここにあるのは血の通う生きた人間ではなくて、ただのふたつの影法師だ。影には血など流れていないのだから、血縁などというものも存在しないだろう?」
「そうだよ。もう死んでるし、人間じゃないし」
「ここにあるのは『きさら堂』所蔵のカーテンに宿るただのあやかしだ。誰にも、何も、咎められることは無い」
艶子はパチパチと瞬きすると、小さくコホンと咳払いして急に立ち上がった。
「ふふふ、取り乱してしまい、お恥ずかしいです。翡翠様のおっしゃる通りです。ここにあるのはただの影法師……ただのあやかしですね」
あやかしには年齢も性別もほかのどんな制限も無い。
ただ、魂と魂で惹かれあうだけ。
咲夜が手を差し伸べてくる。翡翠は当たり前にその手をぎゅっと握った。
おどけた顔で源吾が言うので、翡翠は困ったように苦笑した。
怪我を負った蓮次郎は、アスクレピオス様と少名毘古那神様が怪我の具合を診てくれた。
狸の若い衆らと一緒に『きさら堂』を出ていく時、振り返った蓮次郎と翡翠は一瞬目が合ったのだが、互いに何も言うことが出来なかった。今は、あちら側の証城寺で療養しているらしい。
「うーん、だがなぁ、男女のあれやこれやっつうのは本人達にしか分からねぇことばっかりだ。外野がやいのやいの言うことじゃぁねぇと俺は思ってるんだが」
「源吾おじさん、男女じゃないよ」
「ん? 何がだ?」
咲夜の冷静なつっこみに、一瞬源吾がきょとんとする。
「だって、あの鬼も俺もひすい様もみんな男だもん」
「おっと、こいつぁいけねぇ。まーたうちのかかぁに叱られらぁ。恋愛するのは男と女だけじゃねぇってな。ま、とにかく、色恋沙汰に口を出すのは野暮ってなもんだ。蓮の字の野郎には、かよわい翡翠さんに鬼の本性で迫ったことだけはしっかり叱っといたからよ」
「はい……」
源吾の大きな手が、ぽんと翡翠の頭に乗せられる。
「気に病むこたぁねぇ。翡翠さんは咲夜が好き。咲夜は翡翠さんが好き。それで何の問題もねぇ」
そんな単純な話でないことは、源吾も分かっているはずだ。翡翠には、時津彦様という本当の主がいるのだから。
「咲夜が六代目になるというのは」
「なんだ、咲夜。もう言っちまったのかい」
「うん! だって絶対に俺がなるもん!」
「ったく、お前ってやつぁ……」
源吾は呆れたようにふっと笑い、がっしりと太い腕を組んだ。
「あのな、翡翠さん。実はかなり前から、狐と狸が両方の世界で時津彦の消息を追っている。が、いまだにその生死は不明だ。まぁたとえ生きていたとしてもすでに80を超えた老人だからな。さすがにもう『きさら堂』の主人の座には……」
「な、何を言うか! どんなに年を重ねようが、我らは全員が時津彦様によって生み出されたあやかしだ。我らの主人は時津彦様だけだ」
「戻ってきて欲しいのかい?」
源吾の直球の質問に、翡翠はぐっと体に力を入れた。
時津彦様は翡翠に命を与えてくれて、名前を授けてくれて、『きさら堂』の仮の主人という地位までも与えてくれたお方だ。
どんなに咲夜に惹かれようとも、翡翠の中から時津彦様への思いが消えるわけではない。
「戻ってきていただきたいと、思っている。その上で、私の気持ちをお話しして、おそばを離れることをお許しいただきたいのだ」
「なるほどな。きちんと筋を通したいと」
「はい」
「あんた、良い女だなぁ」
「女じゃないよ、源吾おじさん」
「あ、しまったぁ! またかかぁに叱られちまうや」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「俺ね、試したいことがあるの」
あちら側へ戻るという日に咲夜が翡翠を連れて行ったのは、影が浮かぶカーテンのあるあの客室だった。
右側のカーテンにいる女の影は、今日も繰り返し同じ歌を歌っている。
「今日も歌ってるね。喉ガラガラにならない?」
「人間ではないから喉が枯れることは無いだろうが、こうもしつこく歌い続けるということは何か意味があるかもしれぬな」
「おじいちゃんに聞かせてるのかな」
「さぁ、どうだろうか」
左側のカーテンに映るのは、おじいちゃんと呼ぶには若々しい男の影だ。こちらも前と同じようにただ立ち尽くしていてほとんど動かない。
「ここで何を試すのだ?」
「つなげるの」
「つなげる?」
「うん、これと、これを」
「左右のカーテンをつなげるのか……? それはこの前私がやってみたが」
「もっとちゃんとつなげるんだよ。このふたりを会わせてあげるの」
「会うのが幸福とは限らぬぞ」
もしかしたらこの二人には、艶子が見逃している過去の因縁でもあるのかもしれない。醜い男女の争いなど咲夜には見せたくない。
「ん-っと、ね。なんとなく、運命みたいだと思ったの」
そう言って、咲夜ははにかむように笑った。
「運命?」
「俺がここにいる日に、おじいちゃんが死んで影になったから」
「咲夜とあの老人には何の関係も無いだろう?」
「でも、ひすい様が悲しそうだった」
「私が?」
「ひすい様はおじいちゃんが死んでしまって悲しそうだった。影になっても二人が会えなくて悲しそうだった」
咲夜は翡翠の手をそっと握って、手の甲を撫で始める。
「右と左のカーテンをくっつけてみたけど何も起こらなくて、ひすい様は心が痛そうな顔してた。ひすい様は優しいから、何とかしてあげたいと思っているでしょう?」
印象的な黒い瞳に何もかも見透かされているようで、翡翠は驚いた。
「咲夜は心配しなくてよい。私は大人だから、どうにもできないことには慣れている」
もう二度と会えない友を思い、翡翠は少し目を伏せた。
「ううん。俺がいない日にあったことなら、俺には何もできない。でも、俺が『きさら堂』にいる日におじいちゃんが死んで、俺が『きさら堂』にいる日にひすい様が悲しい思いをした。だったら、俺はやれることをやらなくちゃって思うの」
「咲夜……」
咲夜は翡翠の手の甲にちゅっとキスをした。
「見てて。俺は特別な子供だから、ほかの人に出来ないことが出来るんだよ」
自信に満ちた笑顔を見せてから、咲夜はカリッと自分の人差し指を噛んだ。そして血の出る指先を左側のカーテンの端につけ、縦に動かしていく。
翡翠は息をのんだ。
左側のカーテンに書かれていく赤い線と、そっくりそのまま同じ線が右側のカーテンの端にもゆっくりと引かれてゆくのだ。
女の影が歌うのをやめた。男の影が線の方を向いた。互いに赤い線を挟んで向かい合い、影法師が見つめ合う。
「あ……お互いの存在に、気付いた……?」
男も女も赤い線へと近づいてゆく。しかし、男は何かをためらうように足を止める。多分、女を思うがゆえのためらいだろう。生きている頃に何があったのか、翡翠と咲夜は分からない。けれど、男の指先が震えていることははっきりと見える。
線を越えたのは、女の方だった。右側のカーテンに引かれた赤い線に手を突っ込む。すると、左側の線から女の腕が現れる。女は意を決したように、一気に線に飛び込んだ。
「あ……!」
女の影は左側のカーテンに移り、男女は熱い抱擁を交わす。喜びを爆発させるように、何度も何度もキスを交わし、男女はまたきつく抱き合った。影は何も言わないし、表情も見えないけれど、この男と女がどれほど相手を想っているのかはありありと伝わって来る。
「ひすい様、心の痛いの、少しは無くなった?」
咲夜が翡翠の顔を覗き込んで、可愛く笑う。
その顔を見た途端に、涙腺が壊れたかのように翡翠の目から涙が溢れてきた。
「あぁ、無くなった……もう痛くないぞ……」
「良かった。俺、ひすい様、大好き」
「咲夜、ハグしてくれ……」
「うん! ハグする!」
咲夜は翡翠の体を抱き寄せ、頬や額にちゅ、ちゅ、とキスを降らせる。
「ひすい様、大好き」
「あぁ……」
「本当に好き」
「うん……」
「口にキスしていい?」
もちろんいいよと言いたかったが、翡翠は目を伏せて首を振った。
「すまない」
「俺が子供だから?」
「いいや、違う」
時津彦様に、会わなくては。
翡翠の望みは翡翠だけの望み、翡翠の心は翡翠だけの心だと、やっと気付くことが出来たのだから。
「もう少し待ってくれ。すべてにきちんと決着をつけて、私は堂々と咲夜の恋人になりたい」
その時、左側のカーテンで抱き合う男女二人の影が、一緒に歌を歌い出した。
あの物悲しい旋律に男性の歌う旋律が重なると、全く違う印象の曲に聞こえてくる。
「わぁ、違う曲みたい」
「愛しい人、愛しい人、私にはあなただけ……だったか」
「おじいちゃんもいい声してる」
「そうだな。これは、もともとふたりで歌う歌だったようだ。ハーモニーがすごく綺麗だ……」
「ああああああ、遅かったぁ!!」
ノックも無しにドアが開けられ、そのままドアの前で艶子が崩れ落ちた。
「艶子?」
「なんてこと! その二人は引き合わせちゃ駄目だったんです。こうなる前に別々にしようと思ったのに……!」
「どういうことだ?」
「兄妹だったんです!」
「きょうだい?」
「兄と、妹」
艶子が抱き合う二人の影を振るえる指で指し示す。
「あぁ……そうか」
そこまでの驚きはなかった。
この二人には何か事情があるのだと予想していたから。
「今さらですけど、やっと分かったんです。ここで亡くなった老人が兄で、女の影は40年以上前に死んだ妹のものでした。兄が婚約者と挙げるはずだった結婚式の前日に妹が自殺してしまい、結局婚約は解消されたとか。兄の方はその後一生独身を貫き、お屋敷と財産は親戚筋に譲ったそうです。その親戚が勝手にお屋敷の家財道具などを売ってしまったせいで、兄は妹の影を映すカーテンを探し求めてここまで辿り着いたらしいんです」
一気に説明し、艶子は心底困ったという顔で翡翠を見上げた。
「どうしましょう、翡翠様。兄と妹でこんな……許されませんよね」
「どうしてだ?」
翡翠が問うと、艶子の目が大きく見開かれる。
「どうしても何も、血のつながった二人が愛し合うなんて!」
憤慨したように叫ぶ艶子の前で、翡翠と咲夜は顔を見合わせた。
「えっと、でもこれ、ただの影だよ?」
「そう、これはただの影だ」
翡翠と咲夜が微笑むと、艶子がぽかんと口を開けた。
「それは、どういう……」
「艶子は長い間、人間の社会で暮らしてきたから、考え方が人間寄りになっているようだな」
「え、は、はぁ……?」
「ここにあるのは血の通う生きた人間ではなくて、ただのふたつの影法師だ。影には血など流れていないのだから、血縁などというものも存在しないだろう?」
「そうだよ。もう死んでるし、人間じゃないし」
「ここにあるのは『きさら堂』所蔵のカーテンに宿るただのあやかしだ。誰にも、何も、咎められることは無い」
艶子はパチパチと瞬きすると、小さくコホンと咳払いして急に立ち上がった。
「ふふふ、取り乱してしまい、お恥ずかしいです。翡翠様のおっしゃる通りです。ここにあるのはただの影法師……ただのあやかしですね」
あやかしには年齢も性別もほかのどんな制限も無い。
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