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第7話 まさか冷酷な魔族の王子さまに

7-(3) この国の名前は

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 ジュリアンのテントからレオのテントへ、抱きかかえられたまま移動する。
 門番さん二人が踵をビシッと合わせて敬礼する横を通って、レオは赤いテントの中へ入った。



 中は、ものすごーくごちゃごちゃだった。

 ベッドのシーツもクシャクシャのベトベトだし、洗浄薬の瓶はふたが開いちゃって中身がこぼれているし、大勢で飲み食いしたのか、お皿とか瓶とかコップとかがあちこちに何個も置いてあって、お酒っぽい匂いが充満していた。

「あちゃー、片付けろって言うの、忘れてたぁ。急にジュリアンが自分のテントへ来いって呼びだすからさぁ」

 レオは僕を椅子に座らせてから、テーブルの上の鈴を鳴らす。
 入ってきた使用人さん達が、一斉に片づけを始めた。

「こいつら、しばらく入ってくるなって俺が言ったのを律義に守っていたらしいな」

 と、肩をすくめる。

「昨日はさー、宿舎に残っている召し出しされていない子を全員呼ぶように言ったんだ。そしたら7人も来ちゃってさ。酒も入ってたから、すげぇ盛り上がっちゃって、ははは……」

 レオがちょっと気まずそうに頭をかいた。

「……しちにん……」

 僕は目を丸くする。

 そう言えば、レオは何回でも出来ると言っていたような……。

 この前、僕はレオに抱かれた時にすぐ気絶してしまった。きっと物足りなかったのかもしれない……。レオは優しいから僕を専属にしてくれたけど、なんだか申し訳ないような気がした。

「レオ……僕……」
「あー、そんな怯えた顔をするな。これからは絶対にリュカに無理をさせない。誓うよ。絶対にリュカが嫌がることはしないから」

 今までだって、嫌なことなんてされたことは無い。

「レオはいつも優しいです」
「そうか? これからリュカは俺の専属だけど、俺をご主人様とは思わなくていい。そうだな、保護者だとでも思ってくれ。そんで、いっぱいわがままを言ってくれ」

 両手で僕の頬を包んでレオがにっこりと笑う。

「リュカが笑ってくれるのが俺は一番うれしいんだ」

 僕もレオに笑い返した。

「ありがとう、レオ」

 レオは僕に触れるだけの優しいキスをした。




 その夜も、レオは僕に何もしなかった。
 ベッドの中で僕を抱きしめて、この世界の子守唄と、日本の子守唄を歌ってくれた。
 いつも大きくて元気な声のレオだけど、歌う時にはとてもしっとりと優しい声音だったので少し驚いた。そのゆったりした美声を聞きながら、僕はレオの胸で眠った。



 僕は夢を見た。
 エディが僕を見つめていた。
 エディは何も言わなかったし、僕も何も言わなかった。
 ただ、静かに見つめ合っているだけの音の無い不思議な夢だった。




「失礼いたします。王子殿下が入室をご希望でございます」

 テントの外からの声で僕は目が覚めた。
 レオは気配に気づいていたみたいで、とっくに起き上がっていた。

「おー、入れー」

 ジュリアンがカイルを連れて入って来た。
 カイルはレオに挨拶もしないで、無言のまま入り口に立った。

 レオが鈴を持とうとするのをジュリアンが手で制する。

「茶はいらぬ。リュカの処遇について陛下から返事が来た」

 と、言いながらジュリアンは椅子に座った。

「ずいぶん早いな」

 と、レオも椅子に座る。
 僕はベッドに半身を起こしたままだ。

「あまりにも早すぎる。まるで、勇者がリュカを専属にするのを見越していたような対応だ」
「で、返事には何て?」
「勇者の所有物に手を出すつもりは無いと、あっさり引き下がった」
「何だそうか、良かったじゃねぇか」
「うむ。だがその代わり、今日にも魔族の姫を受け入れろと言ってきた」
「今日?」
「今日だ」

 レオが眉をしかめる。

「それはどういうことだ? 平民上がりの俺だって知っているぞ。王族の結婚にはその準備に数ヶ月も、いや長いと何年もかかったりするものだろ?」
「本来はな、だが今は戦時中だ。いろいろと例外を押し通しやすい時勢だからな。姫にはこの国の常識を学ばせるために、我が国の王宮で一年間教育するそうだ。今夜、国境を開けてこちら側へ入ってくるから、私に出迎えよという王命だ。そして明日にも転移陣で王都へ送り届けよと」
「嫁入り前のお姫さんをお前のテントに泊めるのか?」
「いや、それは新しいテントを用意するから問題は無い。だが、あまりにも急ぎ過ぎている……」

 ジュリアンは自分が政略結婚することに抵抗は無いみたいだった。それよりも、あまりに急なことで準備が大変だとレオに愚痴っている。

 僕はそのお姫様のことが気になった。突然よその国へ嫁いで行かなくちゃいけないなんて、きっとすごく心細いと思う。休戦協定のためってことは、人質みたいなものなのかな? ジュリアンは優しいからお姫様を大切にするとは思うけど……。

 ジュリアンの方を見ると、何かを考えるように眉をしかめてこめかみに手を置いていた。

「もしも今のこの状況が陛下のシナリオ通りだとするならば、その目的は何だと思う?」
「今の状況?」

 レオが首を傾げる。

「ああ、私に魔族の姫を娶らせ、リュカを勇者レアンドルの専属にしたことだ」

 ジュリアンがベッドにいる僕を見た。

「まるで、私とリュカを完全に引き離すことが目的だったかのような……」

 僕は首を傾げた。
 僕とジュリアンを引き離す?
 奴隷一人が誰のものになろうと、国の上の人達には何の関係も無いよね?

「ジュリアン、それはお前の考えすぎじゃねぇか?」
「……かもしれぬが……」

 その時、僕のお腹が小さくクゥっと鳴った。
 僕が慌ててお腹を押さえると、難しい顔をしていた二人がぷっと噴き出した。

「ジュリアン、やっぱここで飯食って行けよ」
「そうだな、頼む」

 レオは笑いながら鈴を鳴らした。

 朝食の用意が出来るまで、カイルは無言で使用人さん達を威圧していた。
 使用人さん達はすごく急いで準備をすると、慌てたようにテントを出て行った。


 レオのテントでの朝食はいつも通り、硬いパンと塩味のスープと酢漬けの野菜、それから日本のお粥みたいなリゾットだ。

 ジュリアンはパンをちぎってスープに浸しつつ、レオに言った。

「国境を開くからには、万全の体制を整えなくてはならぬ。フィリベールには軍の指揮を執ってもらうが……そなたは、私と一緒に出迎えに出なくてはならぬだろうな」
「うえぇ……めんどくさい」

 僕にお粥もどきを食べさせながら、レオが舌を出す。

「そう言うな。さすがに勇者がこの地にいるのに、魔族の王女の前に顔を出さないというのは礼儀に反する。私とレアンドルは正装して、国境前で出迎えだ」
「へぇへぇ」

 やる気なさそうに返事するレオに苦笑してから、ジュリアンは僕をちらっと見た。

「そうすると、リュカはエドゥアールのテントに避難させておこうか」
「それはだめだ」
「レアンドル……」
「私情で言ってるんじゃねぇよ。世界中で一番安全なのは俺の横だろ? 万が一襲撃があった場合、エドゥアール一人でリュカを守り切れるか?」
「エドゥアールはああ見えて魔王級だぞ」
「魔王が何だって言うんだよ。戦争時に一度まみえたが、本物の魔王だって俺の半分も魔力を持っていなかったぞ」

 えー? すごい。じゃぁレオは魔王様の倍以上も魔力があるの?

 僕はちょっとびっくりって感じでレオを見上げたんだけど、ジュリアンのびっくりはちょっとどころじゃなかったらしい。

 カシャン、と音がした方を見ると、ジュリアンの前のスープの皿の中にスプーンが落ちていた。

「レ、レア、レアンドル。そ、それはまことの話か?」

 めずらしくどもりながら、ジュリアンは真っ青になってレオを見た。

「ああ、ほんとだけど?」
「それでは……それでは本当に人類最強ではないか」
「ずっとそう言ってるだろ? 俺は人類最強だって」

 ジュリアンの喉仏がゴクリと動く。

「だが……あ、相手の魔力量が分かるなど聞いたことが無い」
「そうかぁ? フィリベールもエドゥアールも魔力量くらい分かると思うぞ。あと魔王も俺の魔力のでかさを感じ取ったから、あの時俺との直接対決を避けて、さっさと撤退していったんだろ?」

 ジュリアンの喉仏が再びごくんと動いた。

「そう、だったのか……」
「ああ、お前と一般兵の違いとかは差が小さすぎてよく分かんねぇけど」
「わざわざ私の弱さを思い知らせるようなことは言わなくて良い」
「はは、悪い悪い」

 ジュリアンは驚きすぎて疲れたみたいに、ふうっと息を吐いた。

「しかし、そういうことだったのだな」
「なにが?」
「魔族の国がなぜ勇者がいる我が国に侵攻してきたのかということだ。そして、なぜ攻め入って来た当初とは違って、かなり混乱したようにばらばらに撤退していったのか」
「なんでなんだ?」
「勇者は定説では魔王とほぼ同格の存在と言われてきた。当然、今世の勇者もそうなのだと思われている。私も含め誰もが勇者と魔王は互角だと思い込んできた」

 でも実はレオの方が圧倒的に強者だった……。

「今、魔族の国には魔力量が魔王にも匹敵するという王子アランの存在がある。魔王とアランの二人がかりなら、勇者を退けられると勘違いしたのであろう」

 レオは嫌そうに顔をしかめた。

「勘違いで戦争かよ、くだらねぇ。こっちにはエドゥアールもフィリベールもいるんだから、そもそもの前提が間違っているじゃねぇか」
「確かにあちらの情報収集はお粗末だが……。ふふふっ」

 小さくジュリアンが笑う。

「何がおかしいんだ?」
「それは常にそなたが目立ち過ぎていたからだと思ってな。あの二人は自己顕示欲があまりないから、モンスター討伐においてもいつもそなたのサポート役に徹していた。正確な実力が知られていないのも仕方あるまい」
「それだと俺が自己顕示欲の塊みたいじゃねぇか」
「その通りであろうが」
「言ってろ」

 すねたようにレオは口を尖らせる。

「ちなみに聞くが、あの二人の魔力量はどの程度なのだ?」
「あー、まぁそうだな。エドゥアールが魔王とほぼ同じ、フィリベールはそれよりちょい劣るくらいかな。でもエドゥアールの魔力は多分天然じゃねぇ。後天的に手に入れたものだな」
「後天的?」
「ああ、生まれながらのものじゃないってこと。あいつの中にあいつじゃない気配があるから、あの魔力は後付けだなぁ」
「禁術の一種か?」
「さぁ、俺は魔法に詳しくないから、何が合法で何が禁術かもよく分からん」
「もしも何か危険があるなら……」
「ああ、それは無い。力も気配もずっと安定している。エドゥアールの中に何があろうと、それは完全にあいつのコントロール下にあるようだ」

 難しい話の中にエディの名前が出てきて、僕はドキリとした。
 エディの中にエディじゃない気配があるの……?
 それって、なんか、怖い感じがする……。

「あの、それってどういう……? エディ……大魔導士様は大丈夫なんですか?」
「リュカ」
「はい」
「こっち向け」
「は、はい」

 いきなり、レオは僕の口に吸い付いてきた。

「んん……」

 深くしつこい口付けで、僕の舌を強く吸う。
 レオは口を離すと、僕の頭を抱いて自分の胸にむぎゅっと押し付けた。

 うう、ちょっと息が苦しい……!

「なぁジュリアン、癒しの魔法の使い手に心当たりあるか? 王都に残るにしろ、もらった領地に移り住むにしろ、リュカには定期的に魔力を補充する必要があるだろ。いつまでもエドゥアールの世話になるのはしゃくだ」
「癒しの魔法の使い手は非常に少ない。急ぎとなると、相場より高くつくが」
「相場の二倍でも三倍でも、それ以上でもかまわねぇよ」
「それならすぐにでも手配できよう」
「頼む」

 そこでやっと解放されて、僕はぷはっと息をした。
 ジュリアンがくくくっと笑いだす。

「リュカ、この男は寂しがりで甘えん坊でやきもち焼きなのだ。これから苦労するであろうが、根はいいやつだ。堪えてくれ」
「おい、そういう言い方はやめろよ」

 苦々しくレオが言って、口を尖らす。
 多分、お互い冗談交じりなんだろうけど、ちょっと気まずいので僕は話題を変えた。
 今までここにいて、一度も聞いたことのないそれに対する、ちょっとした疑問を。

「あの、そういえばこの国ってなんていう国なんですか?」

 その時の、レオとジュリアンの顔は面白かった。
 同じタイミングで僕を振り返って、同じように目を見開いて、同じようにぽかんと口を開けたから。なんか、お笑いのコントみたいだ。

「あ、あの……?」

 でも、しばらく固まったままの二人に、僕はちょっと焦ってきて言葉を続ける。

「あの、ええと、皆さんがこの国とか我が国とか言うのは聞こえたんですが、名前を言うのは聞いたことが無かったので……」

 ジュリアンの方が一瞬早く立ち直って、僕にこわばった笑顔を向けた。

「そうか、常識が無いということは、そういうこともすべて抜け落ちているのか……」

 レオはちょっと遅れて立ち直り、ジュリアンに顔を向けた。

「教えてやれよ、王子様。慣れてるだろ」
「ああ……よく読み聞かせをしていたから暗記しているが」

 ジュリアンはコホンと小さく咳払いした。

「では、リュカにこの国の名前にまつわる昔話を聞かせてやろう」

 そしてジュリアンは、古代から伝わる双子の魔導士のお話を語り聞かせてくれた。


『昔、昔、千年も昔。この国が、この地に建国されてまだ百年にも満たない若い国だった頃、王様のもとに双子の男の子が生まれました。

 二人は魔法の才能に恵まれ、成人する頃には大魔導士と呼ばれるまでになっていました。
 けれども、若い二人は自分こそが魔法の一番の使い手だと言って譲らず、ある満月の晩にこっそり勝負をしたのです。

 兄は言いました。お前がどんなに恐ろしい魔法を使っても、私はそれを打ち消して見せよう。
 弟は言いました。兄さんがどんなに打ち消そうとしても、決して消せない魔法を使いましょう。

 そしてなんと弟は、この国の名前に呪いをかけたのです。この国中の、いいえ世界中の誰かがこの国の名を呼ぶたびに、ひとつずつこの国に災いが襲い掛かるようにと。

 兄は慌てました。災いが次から次へと降りかかってきます。ひとつひとつ打ち消していく時間は無く、彼は腰に下げた王家の宝剣にその災いを吸収していきます。
 しかし、いかに王家に伝わる宝剣といえども、無限に災いを吸収し続けることはできません。

 そこで兄は一計を案じました。この国の名が呼ばれるたびに呪われるのだから、この国の名を呼べないようにしてしまおうと。

 兄の魔法は国中から、いいえ世界中からこの国の名前を奪っていきました。
 誰も、この国の名前を呼べなくなってしまったのです。

 それ以来、千年もの間、誰一人としてこの国の名前を呼んでいません。
 この国の国民は自分の国を「我が国」と呼び、隣国からは「かの国」と呼ばれているけれど、千年も続けば誰も不便には思わなくなります。

 名前が無くとも、国は千年も万年も続く……という不思議な不思議なお話です。』

 ジュリアンの話し方はすごく上手だった。

「よく弟に話して聞かせるのだ。まさか、リュカの知識が5歳児と同じとは思わなかったが」
「ご、5歳児……」

 うーん、何気にショックだ。
 僕はこの世界のことを本当に何も知らないんだ……。

 レオが僕の頭をくしゃくしゃっと撫でた。

「リュカ、そういやお前、字は読めるのか?」
「えっと、多分、読めないです……」

 わー、レオとジュリアンがすごい顔をしている。
 奴隷って教育を受けられないイメージだけど、リュカは王宮所属の奴隷だったから読めるのが当たり前だったのかな?

 僕だって、日本語なら読めるんだよー。
 成績は悪かったけど、ちゃんと自力で高校には入れたんだよー。

 レオは僕をギューッと抱きしめた。

「それならまずは子供用の絵本をいっぱい買ってやる。ゆっくり教えてやるから、まずは字を勉強しような」

 レオが歯を見せてニカッと笑う。
 保護者と思えってこういうことかな。
 僕はこの世界の常識が無さ過ぎるから、がんばって勉強しなくちゃ。

「はい、嬉しいです」

 僕もレオにニコッと笑い返した。






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