運命なんて残酷なだけ

緋川真望

文字の大きさ
上 下
30 / 35

30 運命の二人の物語(5)

しおりを挟む
「死んでもらった……?」

 好きな人と一緒にいるために『運命の番』には死んでもらったと……唯月の言葉が本気なのか冗談なのかよく分からなくて透は聞き返していた。

「ええと、それは殺したっていう意味ですか?」
「分かりません……」
「分からないって、ええと……?」

 唯月は感情が高ぶったように顔を赤くして手を震わせているのだが、それが怒りか悲しみかそれともほかの感情によるものなのかも分からない。

「どういうことですか……?」
「お前なんか死んでしまえと罵倒したら、数日後には死んでいました。新聞でその記事を見つけた時、私は笑いました。喜びました。罪悪感とか後悔とか、そんなものは欠片も感じませんでした。あいつが死んでくれて、ただただ本当に嬉しかったんです……!」

 その口は奇妙に歪んだ笑みを浮かべているのだが、唯月の目には涙が滲んでいた。

「つまり、自殺……?」

 唯月はぶんぶんと首を振った。
 そしてこらえきれなくなったようにぽろぽろと涙を流し始めた。

「唯月さん……あの、大丈夫ですか?」
「もう……そういう回りくどいことを言うのはやめましょうよ……!」
「え?」
「わざわざおかしな作り話で『運命の番』の話をするなんて、透さん、あなた本当は全部知っているんでしょう? だからここへ来たんでしょう? 責めるならはっきり責めればいいのに、わざわざ遠回しに言うのはどうしてなんですか? 私はあいつがあそこまでイカれた男だなんて知らなかったんです。私はあんな恐ろしいことはまったく望んでいなかった。ただあの首輪を綺麗だと言っただけで……! 宝石の首輪が綺麗でうらやましいと、ぽろりと口にしてしまっただけで……。あいつがあんな酷いことをするなんて本当に思いもよらなかったんです。あなたに対して酷いことをして欲しいと頼んだわけじゃないのに……!」

 透は一瞬、落とし穴に落ちたみたいにヒュンと視界が揺らぐのを感じた。

「くびわ……?」

 事件が起きた三年前、瀕死の透が鬼在きさらの病院前で発見された時、宝石のついた首輪は無くなっていた。警察は、数百万もするその首輪が犯人達の狙いだったんだろうと透に説明したのだが……。

「私は首輪なんて欲しくはなかった。あなたを憎んでいたわけでもなかった。でも、あなたが春哉さんを呼ぶから……何度も何度も熱っぽい声で春哉さんを呼ぶから……! わ、私……あいつに春哉さんの誕生日を教えた……それが首輪の暗証番号だって確信していながら、あいつに教えたんです……。ごめんなさい……ごめんなさい、透さん……!」

 唯月の声はひどく震えていたし、興奮していて支離滅裂だったけれど、ちゃんとこの耳で聞き取ることは出来た。

 透は当時、婚約者である春哉に恋していた。首輪の暗証番号は確かに春哉の誕生日だった。

 パズルの最後のピースがカチリとはまった気がして、反射的に右手がジャケットの中のナイフへのびる。けれど、指先がちょこんと柄に触れただけで、透はナイフを握ることはできなかった。

―――― 今ここに、透が殺したい相手はいない……。

「唯月さん……」

 透はナイフを握る代わりに、自分の首元をゆっくりと撫でた。

「あの首輪……唯月さんが持っているんですか」

 喉の奥がからからに乾いてしまって、透の声は掠れている。
 唯月は泣きながら首を振った。

「こ、怖くてすぐに捨てました……」
「捨てたということは一時的にせよ、その手に持っていたということですよね? 犯人にもらったんですか」

 唯月はこくりとうなずいた。

「お前にやるって……嬉しいだろって、あいつは笑ってそれを寄越して……」
「あの首輪を綺麗だって言ったのは、いつですか? 俺はこの前ここに来るまで、唯月さんとは会ったことが無いのに」
「あいつが、むりやり都内のホテルの前へ私を連れて行ったんです。あいつは春哉さんのことを調べたみたいで、お前の番がどれだけ不実なのか見せてやるって言って……」
「ホテル……」
「はい、南葵山の」
「あぁ、あそこのホテル……」

 学費が工面できずに一年休学していた春哉は、珀山の援助を得て復学した。屋敷の維持費や生活費もすべて珀山に面倒を見てもらっている春哉にとって、唯一の自慢があのホテルの会員権だったようだ。
 当時の透は何も知らず、春哉が特別なホテルに連れて来てくれたことを喜んでいたのだけれど、春哉にとってはそれがプライドを保つために必要なことだったのかもしれないと、今では思っている。

「リムジンから降りて、豪華な首輪のあなたをエスコートする春哉さんを、私は遠くから見ていました……。高級そうなスーツを身にまとっている春哉さんは幸せそうに見えました。隣にいるあなたも幸せそうに見えました。春哉さんが欲しがっているものをすべて与えてあげられるあなたが羨ましかった……。それで思わず『羨ましい』と口にしてしまったんです。あいつがニヤニヤ笑ってこっちを見るので、心の中を見透かされたくなくて『首輪が綺麗で』と付け加えました。でも、そんなことであいつが透さんを襲うなんて……」

 金田拓真は透を襲って拉致し、強制発情剤を使って発情させて仲間と共に強姦した。それは、唯月のためだったんだろうか? それとも唯月の番である春哉を困らせるため? どちらにしても不合理で、透には理解出来ない。拓真は一体、何をどうしたかったんだろう。

「唯月さんは、あの場にいたんですか? 事件のあったあの廃倉庫に」
「い、いえ! 違います! あいつが電話をかけてきたんです!」
「電話?」
「今、俺が何していると思うかって電話の向こうであいつはへらへら笑っていて、お前の番の婚約者と遊んでいるんだぞって……。最初は何を言っているのか意味が分かりませんでした。でも、その……あなたの声を聞かされて」
「声?」
「……発情した声、です……」

 屈辱と怒りでカッと顔に熱が登り、同時に眩暈がして透はぐらっと倒れそうになった。

「透さん!」

 唯月が慌てて支えてきて、そのまま隣に座って来た。

「透さん、ごめんなさい。私もそんなことやめてって叫んだんです。でも、あいつはしつこく声を聞かせて来て」
「だって! だって、あの時は、強制発情剤を使われていて……!」

 きっと透はあられもない声を上げていたんだろう。犯されているのに、嫌がるどころか喜ぶように喘いでいたんだろう。恥ずかしすぎて、唯月の目を見られない。

「そうですよね。正気じゃないというのはすぐ分かりました。あなたは春哉さんの幻を見ているようでした」

 強制発情剤を使われた時の記憶は断片的にしか残っていない。でも、その頃の透は発情期のたびに春哉に抱かれていた。薬で見る幻影も、当然春哉の姿をしていただろう。

「首輪の暗証番号は4桁だけど、何か思いつく数字はあるかって、あいつは聞いてきました。その後ろで、透さんの甘く熱を帯びた声が、幾度も幾度も春哉さんを呼んでいました。その声を聞くうちに、私の中で嫉妬が大きく膨らんでしまって……。発情期のたびにこのΩは春哉さんに抱いてもらえるんだ……そのたびにこんな可愛い声であの人のことを呼ぶんだと思うと胸が苦しくて……」

 支えるようにして透の腕をつかんでいた唯月の手が、少しづつ震え始める。

「首輪なんて、欲しくは無かった……。でも、あなたは春哉さんと結婚できるし、首輪くらい奪われてもいいじゃないかって……お金持ちなんだし、宝石くらいいくらでも買えるだろうしって……今思うと、本当にバカみたいなことを考えてしまって、春哉さんの誕生日を」
「でも俺は、そのせいで首を噛まれた」

 ビクンと唯月の体が硬直した。

「あのゲス野郎の番にされてしまったせいで、慶との間に子供は作れない」

 唯月は崩れるように床へ降りてこうべを垂れた。

「ごめんなさい、透さん……私、知らなかったんです。むりやり番にされていたなんて、本当に知らなかったんです……。ごめんなさい、全部私のせいです……本当にごめんなさい……」

 床にぽたぽたと水滴が落ちていく。
 土下座した唯月の首の後ろには『番の印』がくっきりと見えていた。
 唯月が愛してやまない墨谷春哉が付けた印だ。

「つまり……あの事件の犯人である金田拓真が、唯月さんの『運命の番』だったというわけですね……」

 改めて確認するように言うと、

「う、ううっ」

 と、唯月は両手で顔を覆って大きく肩を震わせた。

 体の力が抜けてしまって、透もずるずるとソファから滑り降りた。テーブルを押しのけるようにして、唯月に近付く。

 『運命の番』というロマンティックな響きや、それを題材にした恋愛映画の影響で、ついつい白馬の王子様的存在を想像しがちだけれど、現実はそうじゃない。フェロモンの専門医が言っていたように、『運命の番』は遺伝子レベルで相性が良いαとΩというだけの関係だ。

「もしも『運命の番』が最低のクズ野郎だったら……? それはΩにとって地獄でしかないですね……」

 唯月は全身を震わせるようにして泣きじゃくっている。
 透はそっとその肩に手を置いた。

 透は金田拓真の死体に残っていたフェロモンの香りにすら抗えなかった。この手で殺してやりたいと思うほど憎い相手なのに、『番』の香りは信じられないくらいに魅力的だった……。ただの番でさえそれほどに魅かれるのに、それが『運命の番』だったら?
 想像しただけで、ぞくりと寒気がした。

「わ、わたし……嫌で嫌でしょうがないのに、あいつの匂いを嗅ぐとどうしようもなく体が熱くなってしまって……何度も何度も春哉さんを裏切ってしまいました……」
「その事を、春哉さんは……」
「あの人は何も知りません! あの人には何も言わないで! お、お願いです……!」

 縋って来る唯月を、透は振り払えなかった。
 透もΩだからよく分かった。もしも慶に出会う前に金田拓真に会っていたら? もしも慶のいないところで鬼嵜恭一に会っていたら? 透は簡単に組み敷かれていただろうし、発情して自分からαの体を求めていたかもしれない……。

「俺は何も言う気はありません」
「あ……ありがとう、ございます……ありがとうございます……」

 顔を歪めてぼろぼろと涙を流す唯月が哀れに思えた。
 唯月は自分のせいで透の首輪がはずされたと思っているようだけど、拓真が春哉の身辺を調べたのなら誕生日くらい知っていたはずだ。きっと唯月を共犯にしたくて、わざわざ電話をかけたんだろう。

「金田拓真は、『運命の番』のあなたがほかのαを想い続けることが許せなかった。そういうことですか?」
「う、運命の、番なんて……体の相性だけなのに……」

 しゃくりあげながら唯月が答える。

「あいつは、まるでストーカーみたいでした。私にとって『運命の番』という存在は悪夢そのものでした。心では拒絶しているのに、体は勝手に受け入れてしまう。何度嫌だといっても、本気にしてもらえない。抑制剤を飲んでも効果は無いし、引っ越してもすぐに見つかってしまうし、死のうとしても逃げられなくて……もう殺すしか無いって思って、いっぱい、いっぱい、毒も用意したけど、結局一度も使えなかった……。でも、私にあの宝石の首輪を渡した後、あいつがぱたっと来なくなったんです。あんな恐ろしいことをしたんだから捕まったのかもしれないと思ったけれど、ニュースにもならないし、ただ、いなくなってくれたことにホッとして……」
「あぁ、それは、ほとぼりが冷めるまで海外に行かされていたみたいです」
「そうなんですね……。あいつがいない3年間はずっと穏やかでした……。春哉さんはβの令嬢と結婚をして、すぐに鬼在きさらに家を建ててくれて、週末だけですけど春哉さんと一緒に暮らすことが出来て……。はたから見れば私は日陰の囲い者なのかもしれませんが、それでも充分に幸せだったんです。それなのに」

 震えている唯月の体を、透はそっと抱きしめた。
 唯月は春哉に相談するべきだったし、警察に通報するべきだった。だが、同じΩとしてそうすることが出来なかった弱さも透はよく理解できた。

「3年ぶりに金田拓真が帰って来てしまったんですね」
「はい……あいつは……あいつは、この家まで押しかけてきました。私と春哉さんの二人の家に」

 ぶるぶるっと唯月の体が身震いする。

「あいつは、この大事な家の中で私を犯しました。私はまた……どうしても、『運命の番』のフェロモンに逆らえなかった……! うっ、ううっ」

 唯月がこらえきれなくなったように嗚咽を漏らした。

「唯月さん……」
「あ、あいつ……ベッドで泣いている私になんて言ったと思います? 『結婚してやるから一緒に来い』って『いい加減に二股かけていないで俺を選べ。俺なら唯月を幸せにしてやれる』って……。心底呆れ果てて、この男とは一生分かり合えないんだと悟りました。あいつは私がずっと拒み続けてきたことをツンデレかなにかと勘違いしているみたいでした。私はずっと、ずっと、嫌だって言ってきたのに、あいつにむりやり襲われてきたっていうのに、あいつの中では私が春哉さんとあいつを二股かけていたような口ぶりなんです。私、その時初めてあいつに怒鳴りました。『お前と一緒にいて幸せだった時なんて一瞬も無い。お前なんか死んでしまえ!』って……それまでに用意したいくつもの毒の小瓶を全部投げつけてやりました。そうしたら、本当にあいつが死んだんです。嬉しかった……ただただ嬉しかった……。私は人の死を喜ぶような人間になってしまったんです……」

 唯月は透にしがみついたまま離れなかった。
 透はΩだから体は小さく細いのだが、唯月はさらに華奢だった。
 唯月が泣き止むまで、透はずっとその弱々しい背中を撫で続けた。

 唯月はきっと誰かに話したかったんだろう。両親とは死別して、義父とは離れていて、この家を訪ねてくる友人もいないみたいだ。透が来た時、靴を返してすぐに別れれば良かったのにわざわざ中に招き入れたのは、真実を吐き出したかったからなんだろう。

 唯月は弱かったし、透は無知だった。結局、上流階級にこだわる不誠実な春哉と、『運命の番』に執着するクズ野郎の拓真という二人のαが、自分と唯月の人生を狂わせたような気がしていた。




しおりを挟む
感想 10

あなたにおすすめの小説

どうも。チートαの運命の番、やらせてもらってます。

Q.➽
BL
アラフォーおっさんΩの一人語りで話が進みます。 典型的、屑には天誅話。 突発的な手慰みショートショート。

Ωの不幸は蜜の味

grotta
BL
俺はΩだけどαとつがいになることが出来ない。うなじに火傷を負ってフェロモン受容機能が損なわれたから噛まれてもつがいになれないのだ――。 Ωの川西望はこれまで不幸な恋ばかりしてきた。 そんな自分でも良いと言ってくれた相手と結婚することになるも、直前で婚約は破棄される。 何もかも諦めかけた時、望に同居を持ちかけてきたのはマンションのオーナーである北条雪哉だった。 6千文字程度のショートショート。 思いついてダダっと書いたので設定ゆるいです。

花婿候補は冴えないαでした

いち
BL
バース性がわからないまま育った凪咲は、20歳の年に待ちに待った判定を受けた。会社を経営する父の一人息子として育てられるなか結果はΩ。 父親を困らせることになってしまう。このまま親に従って、政略結婚を進めて行こうとするが、それでいいのかと自分の今後を考え始める。そして、偶然同じ部署にいた25歳の秘書の孝景と出会った。 本番なしなのもたまにはと思って書いてみました! ※pixivに同様の作品を掲載しています

キンモクセイは夏の記憶とともに

広崎之斗
BL
弟みたいで好きだった年下αに、外堀を埋められてしまい意を決して番になるまでの物語。 小山悠人は大学入学を機に上京し、それから実家には帰っていなかった。 田舎故にΩであることに対する風当たりに我慢できなかったからだ。 そして10年の月日が流れたある日、年下で幼なじみの六條純一が突然悠人の前に現われる。 純一はずっと好きだったと告白し、10年越しの想いを伝える。 しかし純一はαであり、立派に仕事もしていて、なにより見た目だって良い。 「俺になんてもったいない!」 素直になれない年下Ωと、執着系年下αを取り巻く人達との、ハッピーエンドまでの物語。 性描写のある話は【※】をつけていきます。

暑がりになったのはお前のせいかっ

わさび
BL
ただのβである僕は最近身体の調子が悪い なんでだろう? そんな僕の隣には今日も光り輝くαの幼馴染、空がいた

運命の人じゃないけど。

加地トモカズ
BL
 αの性を受けた鷹倫(たかみち)は若くして一流企業の取締役に就任し求婚も絶えない美青年で完璧人間。足りないものは人生の伴侶=運命の番であるΩのみ。  しかし鷹倫が惹かれた人は、運命どころかΩでもないβの電気工事士の苳也(とうや)だった。 ※こちらの作品は「男子高校生マツダくんと主夫のツワブキさん」内で腐女子ズが文化祭に出版した同人誌という設定です。

僕の幸せは

春夏
BL
【完結しました】 恋人に捨てられた悠の心情。 話は別れから始まります。全編が悠の視点です。 1日2話ずつ投稿します。

顔も知らない番のアルファよ、オメガの前に跪け!

小池 月
BL
 男性オメガの「本田ルカ」は中学三年のときにアルファにうなじを噛まれた。性的暴行はされていなかったが、通り魔的犯行により知らない相手と番になってしまった。  それからルカは、孤独な発情期を耐えて過ごすことになる。  ルカは十九歳でオメガモデルにスカウトされる。順調にモデルとして活動する中、仕事で出会った俳優の男性アルファ「神宮寺蓮」がルカの番相手と判明する。  ルカは蓮が許せないがオメガの本能は蓮を欲する。そんな相反する思いに悩むルカ。そのルカの苦しみを理解してくれていた周囲の裏切りが発覚し、ルカは誰を信じていいのか混乱してーー。 ★バース性に苦しみながら前を向くルカと、ルカに惹かれることで変わっていく蓮のオメガバースBL★ 性描写のある話には※印をつけます。第12回BL大賞に参加作品です。読んでいただけたら嬉しいです。応援よろしくお願いします(^^♪ 11月27日完結しました✨✨ ありがとうございました☆

処理中です...