運命なんて残酷なだけ

緋川真望

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10 蛇の道は蛇

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『私は目隠しをされ、両手を結束バンドで拘束されていて、コンクリートの床に転がされていました……』

 静かな書斎の中、透の声が流れていた。

『続けて』

 落ち着いた低い男の声が先を促す。

『……聞こえてきた声は、多分4人分だったと思います。リーダー格の男はαのようでした』
『どうしてそう思ったのかな』
『フェロモンはひとり分しか感じなかったので……ほかの3人はβだったんだと思います』
『それで? 4人の男達は君に何をしたのかな』
『「発情したΩとセックスしたことがあるか?」とリーダー格の男が言うと、3人は「マジでそいつとやらせてくれんの?」と大きな声で騒ぎ始めました。かなり……興奮した様子でした……』

 それから少しの間、沈黙が降りる。

『大丈夫、ゆっくりでいいよ。ほら、深呼吸して』
『は、はい…………すみません』

 深く息をするような音がかすかに聞こえてきた後、また透の声は話し始めた。

『それから、リーダー格の男が、私に強烈な臭いのするものを嗅がせてきました』
『それはどんな臭いだったのかな』
『刺激臭というか、濃い臭いに甘さが混じっていて不快な感じでした』
『強制発情剤だったと思うかい?』
『その時はそれが何だかわかりませんでしたが、たぶんそうだったんだと思います……でも、私はすぐに発情しませんでした。「いやだ、たすけて」と叫んで逃げようとすると、いきなり胸に激痛が走って…………最初は、何をされたのかよく分かりませんでした。でも、誰かが「おいおい顔は蹴るなよ。萎えるから」って笑って言うのが聞こえて、ああ私は蹴られたんだと分かりました……それから……』
『それから?』
『そ、それから……』

 透の声が震え出し、苦しそうな呼吸の音が続く。
 ガタンと椅子が動くような音が聞こえた。

『大丈夫? これ以上話すのは無理そうかな』
『だ、大丈夫です……大丈夫……話せます』

 深呼吸するような音の後、震える透の声が再び証言を始める。

『……それから、また強い臭いを嗅がされて、顔を背けようとしたら何かの液体をパシャッと頭からかけられました。臭いがどんどん強くなって、心臓がどくどくし始めて体が熱くなってきました。すると「いいぞいいぞ、やっと発情しやがった」って誰かがはやし立てるように言いました。私はそこから逃げ出そうとしたけれど、右と左から体を押さえ付けられてしまって無理でした。それでむりやりベルトをはずされ……ズボンをおろされて……あ、足をひろげら』
「ひぃー! 寒い! 怖い! ボス、フェロモン抑えて!」

 突然竜司が叫び、ボイスレコーダーのスイッチをプチっと切った。

「怖すぎだよ、ボス! どんだけ強いフェロモン流すの! 柴田さんなんてもうボスの威嚇だけで気絶しそうだよ!」

 慶がハッと顔を上げると、ソファに座った初老の男が真っ青な顔でこぶしを握り締めていた。
 その初老の男、中臣組なかとみぐみの元・舎弟頭しゃていがしらである柴田宗平に、慶は深く頭を下げる。

「すまない。完全に無意識だった」
「こりゃまた噂以上のフェロモンですなぁ。わしも若い頃はこれでも武闘派と呼ばれていたもんですが……いやはや年を取りました。冷や汗が止まりません」

 柴田は苦笑しつつ、ぬるりと首を撫でた。

「だがまぁ、こんな胸糞の悪いもん聞かされりゃぁ、神崎さんがお怒りになるのも仕方のないことです」
「俺も聞いててすげぇムカついた! Ωのかわい子ちゃんたちなんて黙っててもあっちからαに寄って来るのに、なんでわざわざ嫌がる子をさらってこんなひどいことをするんだろ?」

 首をかしげる竜司の反応に、柴田は意外そうな顔をした。西濱会の会長にかわいがられ後継者候補とまで噂されている孫が、案外すれていないことに驚いたのだろう。

「まぁ、こういう理不尽や不条理はちまたにはごろごろ転がっているものですがね」
「えー……? そうなんだ……。寓夜街にいるΩ達はみんな楽しそうなのに」
「ははは、それはもちろん寓夜街の主である神崎さんがよーく目を光らせておりますから」
「そうなの? ボスすごい!」

 慶は寓夜街の支配者などではないが、西濱と中臣との間を取り持ったことで裏社会から一目置かれているのは事実だった。
 慶が自分の店のΩに対して待遇改善に努め、働きやすい環境を作っていることは有名な話だ。そのため、違法な契約で働かされているΩや犯罪に巻き込まれたΩが助けを求めてくることがあり、神崎慶は寓夜街の駆け込み寺のような存在になっていた。

「寓夜街は俺の根城だ。あそこの治安が悪くなれば商売あがったりだからな。そんなことより、俺が事件の詳細を調べるように頼んだのは藤堂だったんだが」
じゃの道はへびと申します。こういう方面には組対そたいの刑事さんより、わしの手駒の方が身軽に動きやすいようで」
「そうか」

 透の声が入ったボイスレコーダーに、全身の傷を映した何枚もの証拠写真、捜査資料のコピーまでそろっているところを見ると、柴田の手駒とやらは慶の想像以上に警察の内部に入り込んでいるらしい。

「手駒ってなに? 中臣組って解散したんじゃなかったっけ?」

 竜司の質問に、中臣組先代組長の懐刀ふところがたなと呼ばれていた柴田はフッと笑った。

「神崎さんのおかげで、形を変えて生き残っとります」
「そうなんだ。ボスってやっぱりすごいんだねぇ」

 柴田は竜司の方をちらりと見て、次に慶に問いかけるような視線を寄越した。
 このたった二言三言で竜司が西濱会の中枢にはいないこと、それどころか裏社会でほとんど力を持っていないことが分かったんだろう。

 慶はニコリと笑ってうなずいた。
 『竜司は自分の庇護下にある、余計な手出しはするなよ』という意味の微笑みだ。

 柴田はそれを正確に読み取ったようで、慶にうなずき返してきた。

「いやぁしかし、まさか西濱のお坊ちゃんが神崎さんの舎弟になっているとは思いませんでした」
「うん! おじいちゃんよりボスの方が断然強いからね!」

 竜司は無邪気に笑って答える。

「またお前は誤解を招くようなことを……」
「えー、だってほんとのことだもん」

 口をとがらせる竜司を前に、慶はいつものように溜息を吐く。

「柴田さん、竜司は俺の舎弟じゃない。このガキが勝手について回っているだけだ」
「ボス、言い方ぁ」
「舎弟がそんな口の利き方をするか。お前はガキで十分だ」
「えー、だってぇ」

 ぶふっと柴田が噴き出す。

「はははは、まるで親子ですな」
「やめてくれよ、俺はまだ32なんだ。そもそも俺はそっち側の人間ではなく、れっきとした堅気かたぎの人間だ。間違えないでくれ」
「ふっ……堅気の方がこんなものを欲しがりますかね」

 柴田の視線がちろりとテーブルの上のボイスレコーダーへと動く。
 慶はニッと口角を上げて笑った。
 目は笑っていなかった。

「対価は充分に支払ったはずだが?」
「ええ、充分以上に」
「なら余計な詮索はしないでもらいたい」
「もちろんです」
「で? この4人の居場所はみつけられそうなのか」
「それほど難しくはないでしょうな」
「珀山に圧力をかけられた警察でも見つけられなかったのに?」
「証言を聞く限り、犯人はプロじゃない。こんなバカげた事件を起こすようなチンピラが、警察の捜査をかいくぐって逃げおおせるとは思えませんから。おそらく、珀山以上の力が隠蔽に加担したんでしょうな」
「珀山以上の……?」

 慶は会員制クラブの顧客たちを定期的に調査しているのだが、現在、珀山正高には目立つ敵はいなかったはずだ。

「具体的には?」
「まだ憶測ですが、大学生くらいの子供を持つ政治家か、もしくは警察上層部……」

 慶はピクリと眉を動かす。

「ふん……なるほど」
「えー? なんでそんな大物がレイプ犯をかばうの?」
「どこの世界にも親の力を自分の力だと勘違いしている馬鹿な若者がいるものです。そして、そんな愚かな子供の過ちをきちんと正してやれない愚かな親も多い」
「あぁ……そういうこと」
「ええ、想像でしかありませんが、それほど的は外していないはずです」

 柴田は姿勢を正して慶に向き合った。

「念を押しておきますが、中臣が提供できるのは情報だけです。兵隊は出せませんぞ」
「分かっている。情報提供だけで十分だ」

 中臣組は現在、『仲冨商会』と名前を変えて合法的な会社組織のていをとっている。慶のコネで国が進めるカジノリゾート事業にも1枚噛んでいて、今はかなりデリケートな時期だった。

「ただし、情報の質には責任を持ってくれ。これに関わったやつ全員の詳細を知りたい」
「もとよりそのつもりです。ですが、いくら天下の神崎慶と言えど政治家や警察と事をかまえるのは……」

 ふ、と慶は鼻で笑った。

「何の心配をしている」
「え?」
「俺はしがない一般市民に過ぎないんだ。そちらが心配するようなことは何も起きないさ」

 さらりと言ってのけると、慶は凄みのある笑顔を見せた。
 言葉とは裏腹に、その黒い瞳の奥には明らかな殺意が籠っていた。

 荒事に慣れているはずの柴田の顔がさぁっと蒼ざめ、竜司がぶるっと身震いした。




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