運命なんて残酷なだけ

緋川真望

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7 幸せな夢の中

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 透は幸せな夢の中にいる。
 夢の中で、透は春哉のつがいになっていた。恐ろしい事件など何も起こっていなくて、透は無事に高校を卒業し、祝福されて結婚し、夫である春哉と抱き合っている……。

「あ、あぁっ、そこいい、そこ好き、いっぱい動いてぇ……!」

 はしたない言葉を叫び、透は男の体にしがみついている。
 夢の中で、透は発情の真っただ中にいた。
 何もおかしいとは思わなかった。
 だって、Ωがつがいのαに発情するのは当たり前のことだから。

「透……ここ、いいか……?」
「うん、うん、すごくいい……!」
「ん……中に出すぞ」
「いっぱい出して、俺ん中に出して……!」

 大きな手が腰をつかんで、ぐいぐいと一番奥を突いて来る。
 快楽の渦に呑み込まれて春哉とひとつになる。
 体は喜びに震え、心は満たされる。
 抱き合って、キスを交わして、激しく求めあって、何度も何度も中に出された。

「あぁ……あ……」

 大きな快感の波が過ぎると、透は指一本動かせないほどに疲れ果ててぐったりとしてしまう。

「透、大丈夫か」
「うん……すごく……気持ち良かった……」

 微笑むと、柔らかい唇が透の唇に重ねられた。
 優しいキスにうっとりしている透に、春哉は口移しで避妊ピルを飲ませてきた。

「ふふ…………子供……できてもいいのに……」

 透の呟きに春哉はぴくりと一瞬動きを止めたが、すぐに優しく髪を撫でてくる。

「そうだな……透の子供はきっと可愛いだろうな」

 大きな体がぎゅっと透を抱きしめてくるから、透も背中に腕を回してぎゅっと抱き返した。

 自分は守られていると感じていた。
 この人に深く愛されていると感じていた。
 透はとにかく幸せだった。

 そんな発情の波を、どのくらい繰り返したんだろうか。
 時間の間隔は失われていたが、多分二日か、三日くらいは過ぎていたと思う。

 発情が徐々に弱くなっていくにつれて、透の幸せな夢も徐々に覚めていった。
 『春哉との新婚生活』という完璧な夢に、ほんのわずかなほころびが生じ始める。

…………初めは小さな違和感だった。

 発情による激しいセックスは数時間にも及び、波が過ぎると透はぐったりとしてしまう。するとαの逞しい腕が透の体を軽々と抱き上げて浴室に運び、隅々まで丁寧に洗ってくれるのだ。

 透はふと不思議に思った。
 まるで子供にするように透の髪を乾かし、パジャマを着せて、ベッドまで運んでくれるのは、本当に春哉なのだろうか。

 珀山家の離れにいた頃、透の発情期のたびに春哉は来てくれた。
 でも、こんな風に甲斐甲斐しく透の世話を焼いたりはしなかったはず……。
 離れには使用人が何人もいたし、春哉は使用人がするようなことをする人ではなかったから。


 そしてまた次の日、透はもっと大きな違和感を覚えてしまう。

 ソファのクッションに寄りかかってぼうっとしながら、跪いて下を向いている男を見ていた。
 今、透の足をマッサージしているのは本当に春哉なんだろうか。
 プライドの高いαが、Ωの前に跪いて足を揉んだりするんだろうか。

「あの……なんでそんなことしてくれるの……?」

 透の呼びかけに、跪いた男は無言で微笑んだだけだった。


 それからも、小さな違和感は少しずつ積み重なっていった。

 透を抱っこしたままで軽食を食べさせてくれた時にも。
 荒れた手指に香りの良い保湿クリームを塗ってくれた時にも。
 当然のように腕枕をして、透が眠るまでずっと背中を撫でてくれた時にも。


 一番違っていたのは、発情が収まってきてからの透への接し方だった。

「んっ、んぁっ、だめ……だめ、もうイク……イク……!」

 しつこいほどの愛撫を受けて透が達してしまうと、温かく湿ったものが優しく下半身に触れて来たのだ。

「…………???」

 最初は何が起きているのか分からなくて、透はハァハァと息をしながら下の方に目をやってみた。

「え……? うそ……舐めてるの……?」
「ああ」

 αはうなずき、またちゅっと透のものを吸った。

「ひゃっ……」
「どうした、嫌か?」
「う、ううん……気持ちいい、けど……」

 透の返事を聞いてαの男がニコッと笑い、また愛しそうに透の出した白いものを舐め始める。腹についたものも、先端から垂れているものも、すべてを美味しそうに舐め取って飲み込んでいく。

(どうして……? 今まで春哉さんは絶対にそんなことをしなかったのに……)

 αのそそり立つもののしゃぶり方は教えてくれたけれど、春哉が口で透のものを愛撫してくれたことはただの一度も無かった。

『Ωの体というのはね、αのフェロモンだけで準備万端になるんだよ。僕のを咥えて匂いを嗅ぐだけで、挿れて欲しくてたまらなくなるだろう?』

 性的な経験の無かった透にとって、春哉の言葉は絶対だった。

『透君、覚えておいてね。αである僕を気持ちよくさせればさせるだけ、Ωである透君も気持ちよくなれるんだよ』

 春哉の言うことはすべて正しいと思っていた。

 それなのに……。

「あの……挿れなくて、いいの……?」
「透が発情してもう五日目だからな。欲情の大きな波はだいぶ過ぎただろうから、透の疼く体を落ち着かせてやるだけでいい。俺のペースでやると、どうしても透に無理させてしまうからな」
「そう、なの……?」

(何かおかしい。俺は春哉さんを優しいαだと思っていたけれど、今ここにいる春哉さんはもっともっと信じられないくらいに優しい気がする……)

 ぼんやりとすぐそこにいるαの顔を見る。

(あれ……春哉さんの顔って、こんなだったっけ……?)

 大きな手が透の頭を撫でてくる。

「疲れただろう? 少し眠るか?」
「う、うん……すこし、寝る……」

 αの男は当然のように自分の腕に透の頭を乗せて腕枕をした。そして、もう片方の手で透の髪をくように撫で始めた。大事にされていることを感じて、さっきまでの違和感なんてどうでもよくなってくる。透は優しいαの手に身をゆだねて、うとうとと眠り始めた。




◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 発情してから何日が経ったのだろうか。
 透がベッドの上でふと目を覚ました時、室内は薄暗く仄かな明かりが見えるだけだった。壁に凝った装飾の燭台が数本突き出していて、蝋燭のようなものが淡く光っている。見慣れない室内をぐるりと見回して見ると、歴史のある洋館のような内装だった。

 ここは、珀山家の離れではない。
 もちろん母屋でも無いし、珀山家がいくつか所有している別荘でもない。
 春哉と泊まったことのあるホテルの部屋でもない。

(ここはどこ……?)

 透の体は完全に満足していて、心地いい疲れとαの匂いに包まれている。
 発情期が終わった時の感覚そのものだった。

(どうして、俺はこんなところに……? 何が何だか分からない……。俺はいつ発情したんだっけ? 発情する前は何をしていたんだっけ? それに、俺は今誰の腕に抱きしめられているんだっけ?)

 筋肉質な腕が後ろから透を抱きしめていて、なぜか後頭部が温かかった。

「透……」

 くぐもった声が頭の後ろで透を呼んだ。透の髪に鼻をうずめるようにしてαの男がくっついているようだ。

「透、まだ離れたくない……」

 男は悲しそうな声で言った。
 春哉の声ではなかった。
 もっと低くて深みのある声だ。

「ずっと発情期ならいいのにな」

 呟いた後、声の主は自嘲的にふっと息を吐く。

「そうしたら透の体がもたないよな。はは、バカなことを考えた」

 男の腕がぎゅうっと透を強く抱き寄せる。

「透……」

 切ない声が再び透を呼んだかと思うと、うなじに柔らかいものが押し付けられてゾクンと背中に快感が走る。

(え……? なに? 首にキスしてるの?)

 首に押し付けられた唇は、しばらくの間動かなかった。
 そして男は祈るように囁いた。

「透とつがいになりたい」

(つがい? この人は何を言っているんだ? 俺と番になんてなれないのに……だって、俺はもうとっくに……とっくの昔に首を噛まれて……)

「――――……あああ!!!」

 悲鳴のように大きく叫び、透は男の腕を振り払った。

 透は一瞬で『幸せな夢』から『残酷な現実』に戻って来た。
 恐ろしい事件は現実に起こっていて、透は春哉と結婚などしていないし、つがいになどなっていない。
 透の番は、顔も名前も分からない暴行犯だ。
 透の番は、むりやり首を噛んだことで透からすべてを奪った憎むべき犯人だ。

―――― この世で唯一透を発情させることが出来るα。

「お前が……?」

 起き上がって振り向き、男の顔を見た。
 そこにいたのは、モデルか俳優かというような端正な顔をした男だった。

「透……?」

 男は驚いたように透の名前を呼んだ。
 その男の体から、甘くて芳しくてたまらないαの香りがした。





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