運命なんて残酷なだけ

緋川真望

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5 せめて発情期の間だけは

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 ここは都内から数時間で来られる山間やまあいの別荘地だ。車で数十分行けば海岸にも出られる好立地なため夏の間は観光客で騒がしいが、肌寒くなって来た今はそれも落ち着いている。窓の外から聞こえるのは、せいぜい虫の音くらいだ。

 慶は観光客のいない真冬に来て、静かな屋敷で籠るように過ごすのが好きだった。重厚なカーテンも、豪奢なシャンデリアも、曲線の美しい猫足の家具も、慶がこの別荘を受け継いだ頃からほとんど変えていない。育ててくれた親が遺してくれた屋敷を、慶は思い出と一緒に大切に管理し維持してきた。



「んん……」

 暑かったのか、Ωが毛布を跳ねのけるようにして寝返りを打った。

 慶はベッドの端に腰かけて、改めてΩの体を眺めてみた。
 まず目に飛び込むのは、首の後ろから左肩へかけての大きな火傷の痕だ。髪は少し傷んでいて、手も荒れている。体のあちこちに古い傷跡のようなものも見えるし、腕や足には最近のかすり傷も多い。

 だが、全体的には美形だった。
 乱れたバスローブから形のいい四肢が大の字に伸びている。Ωの体は一般的に華奢で筋肉がつきにくいと言われているのに、このΩの体はしっかりと筋肉があり引き締まっている。普段からスポーツでもやっているのか、均整の取れた美しい男の体だった。

 慶は今までΩの男もΩの女も抱き心地にそれほど違いはないと思っていた。細く弱々しい体は男も女もかなり柔らかく、αに対して貪欲にからみついて来るのも男と女で違いはなかったからだ。

 だが、この子の体はしなやかで少し硬く、自分が男であることを無言で主張しているかのようだ。慶は手を伸ばして、ふくらはぎの筋肉のラインをすーっと撫でてみた。手のひらに張りのある肌と密度の高そうな肉の弾力が伝わってくる。

 これはまぎれもなく男の体だ。
 慶は今さらながらに、その事実に気付いた。

「そうか……。俺は、男を抱いたんだな……」

 男の唇にキスをして、男の肌を撫でまわして、男同士で深く交わった。
 意識すると妙な気分になり、なぜか頬が熱くなってくる。

(下半身も俺と同じだっただろうか)

 無我夢中で行為に及んだのでこの子の裸体をきちんと見ていない事に気付き、慶は好奇心からバスローブをちらりとめくり上げた。

「へい、お待ち!」

 妙な掛け声とともに竜司がバーンとドアを開け放った。

 慶がギクリと振り向くと、竜司が何かを察したようにニヤリと笑う。

「おっとぉ、お邪魔だった?」
「あ、いや別にそういうんじゃない」
「ダイジョブダイジョブ、ナニモミテナイヨー」

 ニマニマ笑ったままで葡萄を載せた皿をテーブルに置くと、竜司は慶の前に擦り切れた財布らしきものを差し出してきた。

「ボス、はいこれ」
「これ?」
「そのΩの服のポケットに入ってたやつ。名前、知りたいんでしょ?」
「しかし、人の財布を勝手に」
「いいからいいから。この子スマホも持っていなくて、確認するにはこれしかないの。未成年だったら保護者に連絡しなくちゃいけないんだし」

 軽く言って、竜司はさっさと財布らしきものをベリベリと開いてしまった。
 慶が不思議そうに竜司の手元を覗き込む。

「今の音は?」
「音? ああ、マジックテープのこと?」

 竜司が慶に見せるように何度かマジックテープの開口部を開け閉めすると、ベリベリ、ベリベリ、とかなり大きな音がする。

「そっか。ボスってこういう財布に触ったこと無いよね」
「ああ、初めて見る」
「若い子はよく持ってるよ。って、あれ、中身これだけ?」

 現金は数千円だけで、クレジットカードの類いは一枚も無く、『きさら個室ビデオボックス』という店のIDカードが入っているだけだった。そのカードの名前の欄には『冬野透』と手書きで書かれている。それがこのΩの名前だろうか。

「透というのか……」
「ふゆのとーるかぁ、なんか寒そうな名前だね」
「ほかには?」
「ほか?」
「住所や連絡先の分かるものはあるか」
「えっと……ほかには……あっ、ここも開くんだ」

 手掛かりを求めて竜司がすべてのポケットを探って中身を出していく。テーブルの上に広げられたそれらは、数千円の現金とコンビニのレシート二枚と小さなビニール袋に入った錠剤だけだった。

「何の薬だろ?」
「Ωがよく持ち歩いている抑制剤かピルじゃないか」
「そっか。うーん、免許証とか持ってないのかなぁ……あっ、あったあった、これオメガ証じゃん」

 オメガ健康保険被保険者証、通称オメガ証……この国では性別に関わりなく健康保険に加入できるが、Ωだけは性別が分かるように保険証の表に大きく『Ω』とマークがついている。Ωには発情期などがあり、病院では他の患者と部屋を分ける必要があるためだった。

 オメガ証に載っている写真は間違いなく透のものだったが、そこに記されていた名前は『冬野透』ではなかった。

―――― 珀山はくざんとおる

「ふぅん、この子21歳だって。さすがに未成年じゃなくて良かっ……あれ? はくざん? ってさっき葬式やってた家の?」

 と、驚いたように竜司が言った。

 慶はうなずき、オメガ証に映る無表情な透の写真とベッドに横たわる細い体を交互に見た。

「珀山家にΩの息子がいるとは知らなかったな……」
「あそこってαの名家だっけ?」
「ああ、確かαしか当主になれないというα至上主義の古い家だ。しかも今の代では当主はもちろん、死んだ妻も長女も長男も全員αだったはずだ」
「うわぁ、αの家族にΩがひとりかぁ。なんかいろいろ想像つくけど……」

 珀山家の当主・珀山はくざん正高まさたかは寓夜街にある慶の会員制クラブの常連なので、何度か顔を合わせたことがある。旧華族の血筋とかで、かなり特権意識の強いαだ。出来の良い長男長女の自慢はするが、Ωの息子の存在については一切口にしたことはなかった。よほど親しい間柄でなければ、透の存在は知られていないのだろう。

 今日初めて会った時、珀山邸の庭の方から現れた透は、母親の葬儀だというのにサイズの合わない喪服と汚れたスニーカーを身に着けていた。しかも、首から左肩にかけて大きな火傷の痕もあるし、体中に古い傷跡も新しい傷跡も多数残っていた。同じ親から生まれた兄や姉とは、受ける愛情も待遇もまったく違っているのは明らかだった。

「もしも虐待されていたせいであんな風にナイフを振り回したんなら、このΩはかえってラッキーだったかもね」
「ラッキー?」
「だってそのおかげでボスみたいな優しいαに拾ってもらえたんだから!」
「…………」
「ボス?」
「拾ったなんていうものじゃない。透は犬や猫じゃないんだ」
「えー、似たようなもんじゃん? 身寄りのないΩなんて、αに保護されないとまともに生きていけないんだからさ」
「竜司、それは違う。Ωは俺達と同じ人間であって……」
「あー、はいはい、説教とかは後にして」
「なに」
「ほら、うるさくするとその子起きちゃうし、ね?」
「竜司」
「ちなみに鍵はかけてね。βの使用人には刺激強すぎるから! じゃ、おやすみなさーい」

 そそくさと竜司が退散すると、一瞬で室内は静まり返った。

 慶はため息をついて立ち上がると、ドアの鍵をガチャリとかけた。

 中身をLEDに付け替えてあるアンティークのシャンデリアの明かりを消し、壁付燭台を模した間接照明だけにすると、室内はいっそうクラシックな雰囲気になる。

「透」

 知ったばかりの名前を呼んでみた。
 ベッドの真ん中で手足を投げ出して、透はよく眠っているようだった。

 仄かな明かりの中、ベッドに近付いて透の肩に手を乗せる。

「透、寒くないか」
「んー……」

 返事か寝言か分からない声が小さく答える。

 ベッドに上がり、少し傷んだ透の髪に軽くキスをした。目の前にある火傷の痕を指先でそっとなぞると、透はくすぐったそうに小さい声を出す。
 かわいくて、愛しくて、慶は透の細身の体を抱き寄せ、一緒に毛布をかぶった。

 竜司にはああ言ったが、現実問題としてΩがひとりで生きていくのは難しい世の中だ。もしも透が家族に虐げられているのなら出来るだけのことはしてやりたいと思った。

「透、よかったら俺のところに来るか……?」

 透は慶の腕の中でもぞもぞと動き、抱きついてきて胸にすりすりと頬を擦り付けてきた。

「……んー、まだ……眠いよ……」
「ああ、すまない。これからのことはまた後で考えるとしよう」
「んー……? うん……」
「疲れただろう。もう起こさないからゆっくり寝るといい」
「うん……起きたら……またいっぱいしよ…………しゅんやさん……」

 甘えるような声に、ドクンと慶の心臓が鳴った。

(今度こそはっきり聞こえた。シュンヤ、男の名前だ……。透の恋人だろうか? 番になっていないということは、相手はβなのか? だとしても、なぜ透は首輪をしていないんだ? 発情期にαと居合わせればこうなることは明白なはずなのに)

 今からでも寝室を分けようかと一瞬考えたが、慶の体は動かなかった。

(だめだ、離したくない……)

 抑制剤を飲んで、発情期をやり過ごすことは可能だろう。だが、Ωの発情期の対処としてはαと交わるのが一番自然で理想的だ。それに抑制剤には副作用の心配だってある。

(そうだ、透の発情期が終わるまではこのままでいい。透の体はαを求めているんだから、αの俺が満足するまで抱いてやればいいんだ。シュンヤという男の連絡先も分からないし、そもそもΩの発情期にβとのセックスなんかで満足できるはずが……)

 はぁ……と慶は息を吐いた。

 自分の考えがどれだけずるくて醜いか分かっていた。発情期に付け込んで、恋人のいるΩを自分のものにしようとしている。心のどこかで、βの男よりもαの自分の方が有利だと思っている。

(結局、俺も思い上がったαでしかないのか……)

 透は何も知らず、慶の腕の中で安心しきって眠っている。
 慶はそっと透の髪や背中を撫でた。
 気持ちが良いらしく、透の口元が少し微笑む。
 愛しくて、かわいくて、どうしようもなく切ない気分だった。

 これが『運命の番』というものなんだろうか。
 ほかのαには影響を与えないのに、慶にだけ強く作用した透のフェロモン。
 激しく交わったとはいえ、まだまともに話もしていない相手を愛しいと思うこの感情。

 透を守りたい。
 透のそばにいたい。
 そして透に愛されたい……。

 今まで『運命の番』などまったく信じていなかったのに、透を目の前にするとそれを信じたくなってくる。

(せめて発情期が終わるまでは……それまではお前のそばにいさせてくれ……)

 祈るような気持ちで、慶は透の額に口付けた。





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