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142 符号

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「魔法文字の妨害ですか。私は詳しくはないのですが、そんなことが可能ですの?」

 イリーナさんの凛とした声音が強張った空気を弛緩させてくれた。

「うん。魔法文字は魔力の共振を利用したものだから、強い魔力の波で共振状態を不安定にさせることができるの」
「聞くだけなら簡単そうですけど、実際のところはどうですの? 誰にでも出来る魔法だったりします?」
「範囲によるかな。至近距離のごく限られた範囲なら魔法学校の生徒でも出来るけど、国を覆うレベルとなると、最高位レベルの魔法使いが高価な触媒と十分な時間を使ってようやく達成できるかどうかって話になると思う」

 少なくともその辺にいる魔物には不可能な芸当だ。……ひょっとして犯人は人間? 隣国であるヴァイキングからの侵略行為の可能性もゼロじゃないかも。

「ちなみに妨害に使われる魔法はどんなですの?」
「えーと、『ノイズマジック』か『ジャミングフィールド』のどちらかになるかな。『ノイズマジック』は術者が魔力による妨害波を放ち続ける魔法で、これで魔法文字を妨害するには送信元の板の近くに居続ける必要があるの。もう一つの『ジャミングフィールド』は魔法陣や触媒を使った結界型の魔法で、準備に時間が掛かるけど、一度発動したら触媒を壊すか蓄えられた魔力が切れるまでは発動し続ける魔法」
「ふむ。……ちなみにこの状況で使われてる可能性が高いのは?」
「それは……」

 ラーちゃんを見る。彼女はあどけない瞳で私を見つめてるけど、この子、さっきまで泣いてたよね? ちょっと泣き止むの早くないかな。……いや、でも相手は子供だし、案外こんなものなのかな?

「ドロシーさん?」
「……『ジャミングフィールド』だと思う。少なくとも私達の近くで『ノイズマジック』が使われている気配はないから」

 さっきラーちゃんに対して一通り魔法は試した。変身魔法の類なら私達よりも技量が上なら見破れない可能性があるけど、この至近距離で魔法文字を妨害するために魔力を放射していれば、どんなに格上の魔法使いが相手でも流石に気付く。だから少なくともラーちゃんが魔法文字の送信を妨害しているわけではない。

「妨害されてるのが私達でないとしたら、受信先である王国を丸々囲むような魔法が行使されてる?」
「断言はできないけど可能性はあると思う。勿論『ジャミングフィールド』が私達の周囲にだけ展開されてる可能性もあるにはあるけど、あんまり意味のあることじゃないから」

 通信を断つのは基本的に襲撃目的だけど、国が相手ならともかく、五人程度のパーティーが森の中にいるなら、無駄な魔力を使ってわざわざ魔法文字の妨害をしたところで警戒されるだけだ。それよりも油断しているところを襲撃した方がずっと早い。

「相手の狙いがなんであれ、軽視していい状況ではありませんわね。アリリアナさん」
「オッケー。野営は中止して、今すぐエルフの里に向かう感じで。そこで事情を話して警戒を促すついでに、可能ならエルフの里から王国に対して援軍を出してもらいましょ」
「直ぐに出発の準備をしますわ。ドルド、黒帝王を馬車に繋ぎなさいな」

 魔物に奇襲を受けたときに逃げられるよう、休憩時は馬を馬車から離している。

「じゃあ、こっちも準備に取り掛かる感じで。てなわけで、シロちゃ~ん、悪いんだけど、もう一仕事お願いね。黒帝王も、わっ!? 待って待って、今キックはやめて。結構マジな空気だから」

 アリリアナが黒帝王の攻撃を躱しながらシロを連れて馬車に戻り、ロロルドさんが焚き火の後始末を始める。私も出発の準備を手伝わなくちゃ。

「ねぇねぇ、お姉ちゃん」

 ドキリと心臓が跳ねた。

「な、何?」
「あのね、私、そのね……」

 腿と腿を合わせてモジモジするラーちゃんの姿は可愛らしいものではあるけれど、どうしてだろう? この子を見ていると自分でも理解できない、ひどく不快な感覚に襲われるのは。

 私はオオルバ魔法店で鍛えられた営業スマイルを浮かべた。

「ひょっとしてトイレかな?」
「う、うん」
「じゃあお姉ちゃんがついてってあげるね」

 こんなことなら携帯トイレ、持ってくればよかったな。

 私達魔法使いは魔力で口に入れた食料や水を常人には不可能なレベルでエネルギーへと変換するから、日常生活の最中ならまだしも、危険のある野外では基本的にお手洗いの類は行わない。だから携帯トイレを持ってくるという発想がなかったけど、次からは一般人を乗せた場合も考慮しておこう。

 ラーちゃんの顔が真っ赤になった。

「あ、あのね。恥ずかしいからお姉ちゃんはここにいて欲しいの」
「え? でもそれは危ないよ。森には危険な魔物がいるんだよ」
「絶対遠くには行かないから。だから、お姉ちゃんはここにいて欲しいの。ね? お願い」
「う~ん。そんなこと言われても……」
「お願い~」

 ラーちゃんの目にジワリと涙が浮く。

「う、うん。それじゃあ絶対遠くには行かないでね。声を掛けて返事がなかったらお姉ちゃん直ぐにラーちゃんのところに行くから」
「分かった」

 そう言ってラーちゃんは茂みの中に入っていく。……よし。完全に姿が見えなくなった。私は音消しのルーンを握り締めると片膝を突いた。そして指で地面に小さな魔法陣を描く。

「言霊よ法円に宿れ。『山彦招来』」

 魔法の言葉を設定。それから急いで馬車まで走るとマントを引っ張り出した。

「レオ君、使わせてもらうね」

 そこでルーンを離す。

「あれ、ドロシー。ラーちゃんは?」
「トイレだって。それよりもあんな話聞いたからかな。私、なんだかお父様の顔が見たくなってきちゃった」

 符号。パーティー内であらかじめ決めてある異常時における意思の伝達方法。私の場合は実家を元にした会話方法を作ってある。

「ドロシーは相変わらずお父さんっ子な感じね。あっ、帰るとき、私もついてってあげようか?」
「ううん。一人で会いたいから。さっ、出発の準備しよ」

 と言いつつ私は妖精のマントを頭から被った。一瞬だけアリリアナが心配そうな顔をしたけど、魔法、あるいは魔物独自の聴力で数百メートル先にいるのに会話が筒抜けという場合もある。彼女は余計なことは何も言わずに焚き火の後始末をしているロロルドさんにハンドサインを送った。

 杞憂だといいんだけど。

 私は再びルーンが刻まれた石を握りしめると、ラーちゃんの後を追って茂みの中へと足を踏み入れた。
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