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96 準備
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まずは準備を整えなくっちゃ。なにせ相手は単独で国を滅ぼせるほどの危険生物なんだから。でも幸いなことに、私にはそんな生物の天敵とも言える魔法があった。
光魔法。聞くところによるとシャドーデビルは、この本来であれば聖女にしか扱えない魔法にひどく弱いみたいだ。そしてそれは確かに一度、私自信が放った魔法で実証されていることでもあった。
「問題は私の体が魔法に耐えられなくなってきてるってことだけど……」
恐らくは目に見えぬ、感じもしないレベルでダメージが蓄積されていたんだと思う。そして前回の光魔法でついにはそれが呪痕という形で顕在化してしまったんだ。
アリアの忠告もあることだし、ほんの少しの恐怖が私の決意に水を差す。けれどーー
「あと一度くらいなら……うん。きっと大丈夫だよね」
私は冷えそうになる気持ちを必死に奮い立たせた。そうだ。痛みに耐えることができたなら、後は少しばかり火傷の跡が大きくなる程度じゃないか。そんなの全然へっちゃらなんだから。
消えることのない傷を思うと、一瞬、赤い髪の男の子の顔が浮かんだけれども、それはきっとアリリアナさんが王都への帰り道に変な話をしたからに違いない。
「前回与えたダメージを考えれば、上手く当てさえすれば一撃で倒せるはず。だからレオ君やアリリアナさんを巻き込まなくても、私一人で絶対やれる」
とはいえ、できる限りの備えはしておこう。私はオオルバ魔法店に戻るとまず、カウンターにちょっとばかし大きなバックを乗せると、幾つかの魔法具を選んではその中に詰めていった。
「えっとこの量の『浄めの水』は五万ゴールドで、こっちの聖玉は一つ三十万ゴールドでしょ。他には……」
「まったく水臭いね」
パッ、と店内の電気がついて、私の背筋がビクリと伸びた。今日だけでも再三驚かされていなければ、きっとまた悲鳴を上げてたに違いない。
私が恐る恐る振り向けば、思った通り、そこではキセルを咥えたオオルバさんがどことなく不満そうに佇んでいた。
「オ、オオルバさん。これは決して商品を盗ろうとした訳じゃなくてですね。代金はちゃんと、ほら、お金も……」
「馬鹿だね。誰もそんな心配しちゃいないよ。私が心配してるのはだね、嬢ちゃん。アンタのことなのさ」
「それは……はい。ご、ごめんなさい」
オオルバさんのことだから、私の行動を知れば止めるに違いない。そう思ったからこそ、こっそり出かけるつもりだったんだけど、どうやらそうもいかない展開になってしまったみたいだ。
オオルバさんはキセルが離れた口元から大きな紫煙を吐き出した。
「一端の冒険者が扱うような物を詰め込んで、この子はまた危険に飛び込むつもりだね。まったく、どうして嬢ちゃんはそう進んで危ない橋に近づくんだい? どうにかして、安全な所に居てくれはしないものなのかね」
「えっと……その、す、すみません。でも私行かないと。アリアにだけ任せるなんてしたくないから。私はお姉ちゃんだから。だから私、行きますね」
心配してくれるのは嬉しくて、それと同じくらい心苦しいけど、でも何を言われても行動を変えるつもりはなかった。それはたとえ、酷く悲しいことではあるけれど、魔法店を追い出されたとしても同じことだった。
「頑固な目をしてるね。やれやれ、どこかの誰かにそっくりだよ。血のなせる業ってのは酷く厄介なものさね。ほら、これを持って行くといいさ。聞かん坊なドロシー嬢ちゃん」
オオルバさんがそう言って手渡してきたのは、一本の小型ワンドと小瓶に入った妖精の粉だった。
「知っての通り妖精の粉は様々な魔法の媒介にもなるし、体にかければ幸運や加護をもたらしてくれる。嬢ちゃんがまた無茶をしようっていうのなら、もちろん私は大反対だがね、『浄めの水』ではなくそっちを使うがいいさ。そしてこのワンドはウチの娘が使っていたものなんだよ。中々強力だから、これに関してもこっちを使うがいいさ」
「娘さんの杖ですか? そんな、いくらなんでもそんな大切なもの受け取れませんよ」
詳しいところは聞いてないけれど、オオルバさんがもうずっと長い間、あるいはこれからも、娘さんと会えないでいることだけは確かだ。それなのに娘さんのワンドを使えだなんて。そんな大事なものを受け取るのは、いくらなんでも厚かましいように思えた。
「良いから使っておくれ。嬢ちゃんにこそ、使って欲しいんだよ。本当のところを言うとだね、私は口惜しいのさ。嬢ちゃんが立ち向かおうとしている相手を私が仕留めてやりたいところなんだよ。でもそれではルールに反してしまう。私達は決められたルールを破ることはできない仕組みなのさ。破る時はきっと、それが最後となるんだろうさ」
オオルバさんが何を言っているのか、ちょっと分からないところはあったけれど、いつになく真剣なその表情を前に、私の手は自然とワンドを選んでいた。
「それで良いんだよ、さぁ、杖に魔力を流してごらん。ワンドに付加されている魔法を使ってみるんだよ」
言われた通りにワンドへと魔力を流す。するとーー
「わっ!? え? これは……鞭?」
私の魔力を吸ったワンドから放たれた雷が、紫の鞭へと早変わりした。
「魔力の物質化。それがワンドに付加された魔法だよ。鞭になったのは娘が好んで使っていたからだろうね。それでしつこい求婚者、結果として旦那となった男をよくあしらっていたものさね」
鞭であしらうってどんな状況なんだろ? 聞いてみたいけど、聞いて良いことなのかちょっと悩んじゃう。
「えっと……相手の人は情熱的な人だったんですね」
「そうだね。だからこそ私は反対したよ。熱さなんて喉元過ぎれば忘れちまうもんなんだよ。ましてや時間の流れが違う者同士、惹かれ合う瞬間なんて瞬きほどもありゃしないんだよ。それなのに……全く馬鹿な子だよ」
自分の倍以上も生きた人の、恐らくは後悔と思われる、深い深い感情を前に、私は何も言えなくなった。オオルバさんはそんな私の肩に手を置いた。それは予想以上に強い力だった。
「嬢ちゃん、無理をするなと言っても無駄だろうから、これだけは約束しておくれ。本当に危なくなったら私の名前を呼ぶんだよ。そしたらどこにいても必ず駆けつけてあげるからね。良いかい、約束だよ」
「オオルバさん、はい。ありがとうございます」
どこにいても駆けつけるというのは流石に無理だろうけど、でもその気遣いがすごく嬉しかった。嬉しくてついオオルバさんに抱きついちゃった。オオルバさんは私の頭を、そうするのがまるで自然なこととばかりに撫でてくれた。
ーーお母さん。
記憶には全然ないけれど、もしも居たならばこんな人かもしれないと思ったのは、恥ずかしいから内緒にしておこう。
「それじゃあ、行って来ます」
「くれぐれも命だけは大切にするんだよ。いいかい嬢ちゃん、それが全てだよ」
「はい」
少しだけ後ろ髪を引かれるような思いはあったけれど、私はスイーツ店を出た時の気持ちを思い出して、オオルバ魔法店を後にした。
光魔法。聞くところによるとシャドーデビルは、この本来であれば聖女にしか扱えない魔法にひどく弱いみたいだ。そしてそれは確かに一度、私自信が放った魔法で実証されていることでもあった。
「問題は私の体が魔法に耐えられなくなってきてるってことだけど……」
恐らくは目に見えぬ、感じもしないレベルでダメージが蓄積されていたんだと思う。そして前回の光魔法でついにはそれが呪痕という形で顕在化してしまったんだ。
アリアの忠告もあることだし、ほんの少しの恐怖が私の決意に水を差す。けれどーー
「あと一度くらいなら……うん。きっと大丈夫だよね」
私は冷えそうになる気持ちを必死に奮い立たせた。そうだ。痛みに耐えることができたなら、後は少しばかり火傷の跡が大きくなる程度じゃないか。そんなの全然へっちゃらなんだから。
消えることのない傷を思うと、一瞬、赤い髪の男の子の顔が浮かんだけれども、それはきっとアリリアナさんが王都への帰り道に変な話をしたからに違いない。
「前回与えたダメージを考えれば、上手く当てさえすれば一撃で倒せるはず。だからレオ君やアリリアナさんを巻き込まなくても、私一人で絶対やれる」
とはいえ、できる限りの備えはしておこう。私はオオルバ魔法店に戻るとまず、カウンターにちょっとばかし大きなバックを乗せると、幾つかの魔法具を選んではその中に詰めていった。
「えっとこの量の『浄めの水』は五万ゴールドで、こっちの聖玉は一つ三十万ゴールドでしょ。他には……」
「まったく水臭いね」
パッ、と店内の電気がついて、私の背筋がビクリと伸びた。今日だけでも再三驚かされていなければ、きっとまた悲鳴を上げてたに違いない。
私が恐る恐る振り向けば、思った通り、そこではキセルを咥えたオオルバさんがどことなく不満そうに佇んでいた。
「オ、オオルバさん。これは決して商品を盗ろうとした訳じゃなくてですね。代金はちゃんと、ほら、お金も……」
「馬鹿だね。誰もそんな心配しちゃいないよ。私が心配してるのはだね、嬢ちゃん。アンタのことなのさ」
「それは……はい。ご、ごめんなさい」
オオルバさんのことだから、私の行動を知れば止めるに違いない。そう思ったからこそ、こっそり出かけるつもりだったんだけど、どうやらそうもいかない展開になってしまったみたいだ。
オオルバさんはキセルが離れた口元から大きな紫煙を吐き出した。
「一端の冒険者が扱うような物を詰め込んで、この子はまた危険に飛び込むつもりだね。まったく、どうして嬢ちゃんはそう進んで危ない橋に近づくんだい? どうにかして、安全な所に居てくれはしないものなのかね」
「えっと……その、す、すみません。でも私行かないと。アリアにだけ任せるなんてしたくないから。私はお姉ちゃんだから。だから私、行きますね」
心配してくれるのは嬉しくて、それと同じくらい心苦しいけど、でも何を言われても行動を変えるつもりはなかった。それはたとえ、酷く悲しいことではあるけれど、魔法店を追い出されたとしても同じことだった。
「頑固な目をしてるね。やれやれ、どこかの誰かにそっくりだよ。血のなせる業ってのは酷く厄介なものさね。ほら、これを持って行くといいさ。聞かん坊なドロシー嬢ちゃん」
オオルバさんがそう言って手渡してきたのは、一本の小型ワンドと小瓶に入った妖精の粉だった。
「知っての通り妖精の粉は様々な魔法の媒介にもなるし、体にかければ幸運や加護をもたらしてくれる。嬢ちゃんがまた無茶をしようっていうのなら、もちろん私は大反対だがね、『浄めの水』ではなくそっちを使うがいいさ。そしてこのワンドはウチの娘が使っていたものなんだよ。中々強力だから、これに関してもこっちを使うがいいさ」
「娘さんの杖ですか? そんな、いくらなんでもそんな大切なもの受け取れませんよ」
詳しいところは聞いてないけれど、オオルバさんがもうずっと長い間、あるいはこれからも、娘さんと会えないでいることだけは確かだ。それなのに娘さんのワンドを使えだなんて。そんな大事なものを受け取るのは、いくらなんでも厚かましいように思えた。
「良いから使っておくれ。嬢ちゃんにこそ、使って欲しいんだよ。本当のところを言うとだね、私は口惜しいのさ。嬢ちゃんが立ち向かおうとしている相手を私が仕留めてやりたいところなんだよ。でもそれではルールに反してしまう。私達は決められたルールを破ることはできない仕組みなのさ。破る時はきっと、それが最後となるんだろうさ」
オオルバさんが何を言っているのか、ちょっと分からないところはあったけれど、いつになく真剣なその表情を前に、私の手は自然とワンドを選んでいた。
「それで良いんだよ、さぁ、杖に魔力を流してごらん。ワンドに付加されている魔法を使ってみるんだよ」
言われた通りにワンドへと魔力を流す。するとーー
「わっ!? え? これは……鞭?」
私の魔力を吸ったワンドから放たれた雷が、紫の鞭へと早変わりした。
「魔力の物質化。それがワンドに付加された魔法だよ。鞭になったのは娘が好んで使っていたからだろうね。それでしつこい求婚者、結果として旦那となった男をよくあしらっていたものさね」
鞭であしらうってどんな状況なんだろ? 聞いてみたいけど、聞いて良いことなのかちょっと悩んじゃう。
「えっと……相手の人は情熱的な人だったんですね」
「そうだね。だからこそ私は反対したよ。熱さなんて喉元過ぎれば忘れちまうもんなんだよ。ましてや時間の流れが違う者同士、惹かれ合う瞬間なんて瞬きほどもありゃしないんだよ。それなのに……全く馬鹿な子だよ」
自分の倍以上も生きた人の、恐らくは後悔と思われる、深い深い感情を前に、私は何も言えなくなった。オオルバさんはそんな私の肩に手を置いた。それは予想以上に強い力だった。
「嬢ちゃん、無理をするなと言っても無駄だろうから、これだけは約束しておくれ。本当に危なくなったら私の名前を呼ぶんだよ。そしたらどこにいても必ず駆けつけてあげるからね。良いかい、約束だよ」
「オオルバさん、はい。ありがとうございます」
どこにいても駆けつけるというのは流石に無理だろうけど、でもその気遣いがすごく嬉しかった。嬉しくてついオオルバさんに抱きついちゃった。オオルバさんは私の頭を、そうするのがまるで自然なこととばかりに撫でてくれた。
ーーお母さん。
記憶には全然ないけれど、もしも居たならばこんな人かもしれないと思ったのは、恥ずかしいから内緒にしておこう。
「それじゃあ、行って来ます」
「くれぐれも命だけは大切にするんだよ。いいかい嬢ちゃん、それが全てだよ」
「はい」
少しだけ後ろ髪を引かれるような思いはあったけれど、私はスイーツ店を出た時の気持ちを思い出して、オオルバ魔法店を後にした。
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