神に触れしは鎖の少女

戸浦みなも

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ヤドリ蔦の羨望

第4話__正体

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「五」
「……え?」
「何の数字か分かるか」
 少年は体を起こし、ため息をつきながら体を起こした。私もベッドに座り直し、五という数字を頭の中に巡らせてみる。けれど、これといったものは思い浮かばない。

 少年は裸足はだしでその場に立っていた。すそに向かって、白から黒へのグラデーションになっているはかまからは、スラッとしたふくらはぎが伸びている。後ろでくくられ、肩の辺りまで届く髪には少しウェーブがかかっており、くるりとした毛先は尻尾のようで愛らしい。机から少し肩がはみ出るくらいの身長で、やはりひと目見た感じだと一、二年の小学生だ。

「会ってからの日数? にしては、三日足りないか……」
 少年は軽く目を閉じ、両手首を太刀の柄に乗せた。私がそれ以上答えられずにいると、彼は片目を開けて口を開く。見た目に反して、その仕草はやけに大人っぽい。

「……この二日で、君が犯したあやまちの数だ。寝っ転がったまま刀を抜いた。僕を呼ばなかったし、刀も持たずに日没を過ぎて帰った。守り刀をたやすく他人に渡した」
「ちょ、ちょっと待って。なんで貴方あなたが知ってるの」
「その守り刀を通して音が聞ける。それと、認めた所有者以外に持たれたら、鳥肌が立ってザワッとするから分かる。刀身が出れば、それを通して周りが見える」
「じゃ、じゃあ普段から見えてるわけじゃないんだ」
「まぁ、そうだけど……それが何か」
「べ、別に」
 とりあえずホッとしたものの、あぁでも、と頭をかかえた。今度から学校でトイレに行くときはバッグを持って入ろう。それで、その間は守り刀をハンカチか何かに包んでバッグの奥底に入れておこう。本人はあまり気にしていないようだが、私が気になる。

 んんっ、と咳払いをして話を戻す。もう一つ気になることがあった。
「あの、その四つについてはごめんなさい、気をつける……それで、五つ目は何」
「あのとき、僕の手首をつかんだこと」
 指先から、スッと血の気が引いて冷たくなった。過ち。間違い。あのとき、この子を引き留めたことが。
 少年は、私の方へと歩み寄って足元にしゃがんだ。長いまつげを静かに伏せて、まだ細く、柔らかな指をガーゼの上に滑らせる。

「放っておけばよかったのに。僕に関わったりなんかしたから、そんな目にったんだ」

 丁寧にガーゼを外しながら、その少年は傷の状態を確認していった。空気に触れた傷口が、じくりとにぶくうずいて痛む。
 少年は、き身の守り刀を手に取り、つい、と慣れた様子で自身の人差し指に滑らせた。みるみるうちに血がしみ出して、その小さな指の腹にぷっくりと赤い玉が浮かぶ。刀を床に置くと、私のかかとを右手に持ち、血のにじんだ指先を傷口につけた。
「ちょ、ちょっと!」
 病院以外で他人と血を混ぜ合うなんて、絶対にやってはいけない。後から聞いたが、他人の血を触ることには感染症のリスクがあるらしい。混ぜるなんてもってのほかだ。
「静かにしてて。家族にバレたら困るんだろう」
「それはそうだけど、でも」
「これで大丈夫」
 見れば、血を塗られた場所から傷がなくなっている。呆気に取られているうちに、少年は全ての傷を治してしまった。少なくとも、外からは傷の一つさえ見当たらない。
「これ、どういう……」
「……君も狙われる立場になったことがはっきりした。だから、もう黙っている必要も距離をとる必要もないな」
 少年は守り刀を持って立ち上がり、縦長の瞳孔に私を映した。水面に揺らめく月光のように、きらきらとした金色の欠片がその瞳を彩っている。

「今から八百年ほど前——この土地に芳帖ほうじょうという武家があり、その家に待望の跡継あとつぎが生まれた。その子は七つまで順調に育ち、沼一つ越えた先のお寺へ、毎日手習いに行っていた。それが僕だ」

 八百年前というと、平安末期、鎌倉初期くらいの時代だろうか。ある程度心の準備はしていたが、かなり突拍子もない話で面食らう。あと、話の先行きが不穏だ。
「芳帖家の跡取りとして、弓や刀にも励んでた」
「ふうん……結構早くから、武芸のお稽古もするんだね」
「……あっさり信じるんだな」
 少年は、いったん話を止めて白いカラスでも見るかのような顔をした。こうして目の前にいる以上、信じるしかないというのが本音だ。だって、そこに立ってるし。自称、八百年前生まれの美少年が。
「それで、そう、確かちょうど田植えも終わった時期だ。その日の帰りは、たまたま従者じゅうしゃをつけていなかった」
 そこまでしゃべると、その子は出しっぱなしだった刃をさやの中に納めた。カチャ、と控えめに鳴った音が、部屋の中に小さく響く。

「沼の横を歩いていたとき、僕は大蛇に呑まれて死んだ。悲しんだ父上は、神社を建ててそこに僕をまつった。以上だ」
「えっ、じゃっじゃあ、つまり貴方は……神様ってこと?」
「うん」
「そっ……か……」

  守り刀を抜けばその場に出られる神出鬼没の能力。蛇を思わせる縦長の瞳孔と、虹彩にきらめく金の光の人らしかぬ美しさ。そして、この子自身がまとっている清廉せいれんな雰囲気は、神様としてふさわしいものだろう。
「おそらく、僕に触れたことで気配が混ざったんだ。それをつかみ取って、あの蔦は君のことを襲った。多分、これからも似たようなことが起こると思う……巻き込んでしまって、すまない。問題が解決するまでは、僕が君を守ろう」
「だったらまずはあのつたのこと、なんとかするの手伝うよ」

「……は?」
 少年は、とん、と後ろから背中を押されたときのように呆気あっけに取られた顔をした。私はベッドから立ち上がり、少年の前に膝をついてしゃがみ込む。私は彼の小さな手を取り、つま先から頭までを見た。
 この子は、こんなに幼くして……大蛇に呑まれて死んだのか。
「私だって他人事じゃないもの。それに、やっぱり放ってなんかおけない。あのときも言ったけど、貴方の願いを教えてほしい。手伝えることがあったら、言ってほしいの」
 少年は、うろうろと視線をさまよわせながら、戸惑ったように身じろぎをする。この子の手は、私の手の中にほとんど収まってしまっていた。確かに私は大人じゃない。でも、だからといってこんな手だけに守らせるほど幼くはないし——それに。
 気にかかる。おいそれと聞けないけれど、この子があの歩道橋に立っていた理由……あの手すりから、かかとを浮かせた理由が。

 浮かぶ屋上。
 内履きシューズが重なって、
 私は今も、七年前にとらわれたままだ。
 だからこそ、この子にそのつもりがあるのなら、私は。

 少年は、うろうろと視線をさまよわせながら、戸惑とまどったように身じろぎをする。ややあって、遠慮がちにその唇を開いた。
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