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竜がいた国『パプリカ王国編』
死ぬつもりでした、あの人たちに出会わなければ――。
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「スゥー……はぁ。大丈夫、今度は逃げない……」
――少年は、自殺をしようとしている。
時刻は早朝の日の出前。
辺りが薄っすらと明るくなる時間、しんと静まりかえる街中。聞こえてくるのは鳥のさえずりか、目覚まし時計代わりのニワトリの鳴き声ぐらいだ。
少年は国の中で最も高い場所である時計塔の上にいた。
時計塔には、一二時の位置に中から外に出られる場所がある。それは関係者以外立ち入り禁止の場所で、主に時計塔の管理者や作業者たちが作業をするために設置された出入口である。
少年はそこから外を眺めていた。ひんやりとした涼しい空気が、少年の全身を撫でるように通り過ぎていく。少年は足元の先に見える建物を見下ろす。深い霧が立ち込めており、一面真っ白な光景が広がる。
まだ誰も目覚めていない時間。もしかしたら朝が早い老人が散歩をしているかもしれないが、この霧では少年に気づくまい。ましてや老人は目や耳が悪いからなおさらだ。
少年は誰も自分に気づいていないことを確認すると、深く、深く深呼吸を繰り返す。
心臓が激しく鼓動を上げていた。ここから飛び降りれば確実に死ねるだろう。分かってはいても、中々一歩を踏み出せない。
飛び降りようとすると必ず、今まで出会った沢山の人たちの顔を思い出す。その中には優しくしてくれた人や、いじわるする人、差別をしてくる人もいた。
だが、少年にとって最も重要な人物の顔だけが浮かんでこないことに、少年は心臓が締め付けられるような気持ちになる。
「お母さん……」
――少年には、母親の記憶がなかった。
少年の母は、彼が幼少期の時に病気で亡くなったと聞かされている。母の写真を見せて欲しいと頼んでも、そんな物はないと言われた。
正確に言えば、まったく記憶がない訳ではない。おぼろげだが母親のことを思い出すことはできる、母の胎内にいた時、そして生まれた瞬間の記憶だ。しかし、その記憶も霧がかかったようにぼやけていて、ハッキリとした顔を思い出すことはできない。
その母に初めて抱きかかえられた時の、柔らかな温かさを思い出すことくらいはできた。
少年は空を見上げて、つぶやく。
「お母さん……今、会いに行くよ」
少年はゴクリと唾を呑み込んで覚悟を決めた。後ろを振り返り、そして両目を閉じて、背中から倒れるように、ゆっくりと重心を後ろに移動させた――。
「ちょおおおおおおおおっと、待ったあああああああああああああああああ!」
「――ッッッ!?」
少年は唐突に響き渡る声に驚いて目を開く。気づくと自身の身体が宙ぶらりんになっており、少年の片手が何者かにガッチリ掴まれている感触があった。
その手は少女の手だった。細くて白い、それでいてきめ細かい美しい手。それでありながらとても力強い手でもあった。少年は恐る恐る上を見上げた。すると、その目の先にはとても可愛らしい顔が映り込む。少年は一瞬見惚れてしまった。
すると少女は言った。
「ちょっと聞きたいことがあるっス!」
「はい……/// 何、でしょうか?」
「この辺りに『竜肉専門店』があるって聞いたっス! どこにあるっスか?」
「へ……? 竜、肉?」
少年は何を聞かれているのか、一瞬理解できなかった。
時は今から、数十分前に遡る――。
*
――深い霧の中、三人の旅人がとある国の入国審査を受けていた。
三人の旅人が待合室のような狭い通路で、小さなイスに並んで腰かけている。
「かっら揚げ! かっら揚げ! リュ~リュリュ~♪」
フィオは謎の鼻歌をしながら上機嫌である。上半身を左右にユラユラさせながら、下半身の足を前後にブラブラさせて入国許可が下りるのを待っている。
その左隣には目を閉じたまま、腕と足を組んで黙っている座っているキールがいた。フィオのせわしなく動く肩や足が時折キールにぶつかって地味にイラついている様子だ。
最後にフィオの右隣に深緑色の髪の少年、ミドが座っている。フィオとは正反対に落ち着いている。
現在この三人の旅人が入国しようとしている国は『パプリカ王国』。旅人の間では「竜が処刑された国」として有名である。
ミドがキールに話しかけた。
「ねぇ、キール。パプリカ王国ってどういう国なの?」
「ん? ああ。オレも詳しくは知らねぇけど、竜で有名なのは確かだ。旅人連中が噂に尾ひれを付けてるから、どこまで本当かは眉唾もんだけどな」
「ふ~ん……」
ミドが質問すると、キールが事前に調べたパプリカ王国が、どういう歴史を持つ国なのかを教えてくれた。
緑豊かな国で、王国の周りを雄大な自然が取り囲んでいて、国民は平和で静かな生活を送っている。
山の幸が豊富な国で、山菜料理が美味しいらしい。肉料理もあるのだが、他の国と違い、珍しいのが『竜肉』が主に使われるということだ。山の中にいる野生動物の一種で、鹿や猪と同様に狩猟される。
竜肉は淡白な味で、鶏肉のような食感。例えるならワニ肉に近い味をしているそうだ。
食用に飼育されたものは特に臭みはなく、高蛋白低カロリー食の健康食品として国民に愛されている食品だ。少々クセが強いようだが、馴れれば竜肉はやみつきになるそうだ。
「へぇ~。山の幸が豊富で、名物の『竜の肉』か~」
「それだけじゃねぇ……この国には、他にも有名な噂がある……」
「と言うと?」
「この国には、邪竜の血を引く呪われた王子がいるらしい……」
この世界の竜は食用の種類もいるが、中には人間同様、あるいはそれ以上の知能を持った竜族がいる。彼らは言語を理解し、自分たちの国さえも持っている。同じ哺乳類でも知能が高いのと低いのがいるのと同じことだ。
その中で、何の突然変異かは未だ解明されていないが、人間に擬態できる竜族がいるようなのだ。その竜族は人間と交配して子を成すこともできるそうだ。
「人間に擬態できるの? 人魚みたいな感じ?」
「いや、見た目はほとんど人間らしい。見分けがつかないくらいにな」
「本当なの?」
「ただの旅人の噂だ、眉唾もんだって言ったろ」
ミドが疑いの目を向けると、キールも話半分で聞けと言った態度を示す。ミドは少し考えるように俯いて言う。
「本当だとして……突然変異で人間と交配できる竜族……邪竜の血を引く王子。それってつまり――」
「ああ、国王と討伐された邪竜の間に生まれたのが、第三王子ってことだろうな」
「なるほど……」
「事件が発生したのが、ちょうど10年前だ――」
キールが簡潔にパプリカ王国の歴史を説明し始めた。
10年前、この王国を人間に擬態した邪な竜が乗っ取ろうとした事件があり、多くの人たちが恐怖に襲われた。王国は必死に交戦したが、竜の強大な力に大勢の兵士が殺されて、成す術もなかった。
しかし、それを現女王であるカタリナという女性が暴れ狂う竜の首を一刀両断して討伐したことで、王国に平和が戻ったそうだ。
その後カタリナという女性は英雄として称えられ、女王にまで上り詰めた。
このお話は国民の全てが忘れないようにと絵本にもなっており、パプリカ王国民で知らぬ者はいない。子どもたちはこのお話が大好きで、親たちは毎晩読んで欲しいとせがまれて困っているそうだ。
王国に危害を加えた竜の子ということは、親が犯罪者のようなものだ。「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」生まれてきた子に罪はないとはいうが、それをすべての国民が体現するのは至難の業だろう。
それに、キールは同じ混血として、その王子に思うところがある様子だった。
「それは大変だね……」
「かもな……」
ミドとキールはそれ以上会話を続けることはなかった。
そして、しばらく時間が経過した。
「お待たせしました。入国の審査が完了しましたので、こちらへどうぞ」
入国審査官の男が三人の旅人に声をかける。すると、待ってましたと言わんばかりにフィオが飛び上がって大喜びしていた。続いてキールがゆっくりを腰を上げる。
ミドだけが待ち時間に飽きて寝ており、どうやら夢を見ている様子だ。よく見るとミドの頭頂部からチューリップのような花が咲いている。ミドは寝ている時、頭から花が咲く癖があるのだ。
キールがミドを起こそうとして、頭の花を掴んで引き上げる。すると、花はブチっと音を立てて引っこ抜かれた。
「あ痛だッ?!」
「いつまで寝てんだ。起きろミド、入国審査が終わったぞ」
「痛ぅ~。キール、何度も言ってるけど頭の花を引っこ抜いて起こすのは勘弁だよ~」
「この方が手っ取り早いだろ」
ミドは涙目でキールに訴えかける。曰く、頭の花を引っこ抜かれるのは、髪の毛を引っこ抜かれるのと似た痛みがあるらしい。
ミドは自身の頭を撫でながら、のんびりと腰をあげた。フィオは早く国の中に入りたいようで、足踏みをしている。
「ミドくん! 寝てる場合じゃないっスよ! 新しい国っス! きっと素敵な出会いが待ってるっスよ!!」
「そうだね~、イイ出会いがあるといいね~」
三人はフィオを先頭にミド、キールと続いて歩いて行く。狭い通路を置くまで歩いて行くと、国の内側の門が見えてきた。
タタタタタ。フィオは小走りで奥に向かう。
コン、コン、コン。ミドはのんびりゆっくり歩いて向かう。
…………。キールの足音を立てずに向かう。足音を立てないのは彼の癖である。
三人が内門に到着すると、入国審査官の男が待っていてくれた。彼は、三人の旅人にお待ちしておりましたと言うと、門の横にある赤いボタンを押してくれる。すると門がズズズと下から上に持ち上がっていった。
こうして三人の旅人は、横に並んで一歩前に進み、一緒に入国を果たした。
入国後すぐに、フィオが両手を広げて真上を見上げて言う。
「これが新しい国の香りっスかぁ。スゥ~、ハァ~……。新しい国の香りがするっス!」
「分けわかんねぇこと言ってねぇで、先に宿に向かうぞ」
「アイアイサーっス!」
フィオはキールに呼ばれて、ミドとキールの元に走っていく。キールは歩きながら、ミドとフィオに言った。
「いいか、確認のために言うが、新しい国では絶対に警戒を怠るな。一人で勝手な行動はするなよ。特にフィオ!」
「は~い」
「分かってるっスよ!」
キールの確認に、ミドとフィオが呑気に返事をする。
一応、ミドが一味の団長なのだが、参謀も務めるキールが仕切り役になりがちである。ミドは少し寛容なところがあるため、キールがしっかりルールを作らないと、一味の統率が取れなくなるのだ。
キールは新しい国では、常に周りを警戒してミドとフィオ等の仲間の安全確保を最優先にする傾向がある。そのせいか、キールは勝手な自由行動を許さず、フィオは少し不満を感じている様子だ。
「キールはもう少し旅を楽しんだ方がいいっス! そんなに警戒してたらせっかくの旅も楽しめないっスよ!」
「新しい場所では警戒を怠るな。オレは昔、親方にそう教わったんだ」
「親方が間違うことだってあるっス。猿山の大将も木から落ちるって言うっスよ」
「誰が猿山の大将だ。ゴリさんを猿扱いするんじゃねぇよ」
「ゴリさん? なるほど、猿じゃなくてゴリラだったっスか……」
「猿でもなきゃ、ゴリラでもねぇよおおおおおおおおお!」
ちなみにだが『ゴリさん』という人物はキールの盗賊時代の頭の愛称である。キールはゴリさんの右腕として重宝されていた。歩く時に足音を消してしまったり、変装や声帯模写が得意なのはその時に身に着けた技術である。
他の仲間は親方と呼んでいたのだが、右腕のキールと、左腕の参謀役の男は「ゴリさん」と呼ぶことを許されていた。親方の左腕と呼ばれた男は、キールの元相棒だった。右腕のキールと、左腕の参謀。二人は盗賊団の中で最強のツートップとして君臨していた。
するとフィオが言う。
「つまりキールの考え方は親方の影響ってことっスね。じゃあこれからキールのことは『親方』って呼ぶっス」
「オレは親方じゃねぇよ!」
フィオとキールの会話を聞きながら、ミドがヘラヘラ笑っていた。するとミドが言う。
「そう言えば宿のチェックインって何時だっけ?」
「入国審査官の話だと、朝の七時までにはチェックインしてほしいそうだ」
「今何時だっけ?」
ミドは時計を持っておらず、キールが懐中時計を出そうとする。するとそれを制止するようにフィオが言った。
「心配しなくても、間に合うっスよ! どうせ時計見るなら、そんな懐中時計じゃなくて、ほら! あそこにでっかい時計塔が見えるっス!」
フィオが指を差して時計塔を見上げる。すると両目を見開いて驚愕し始めた。そして時計塔を指さしたまま言う。
「お、親方あああァ! 空から男の子がああああああああああああ!」
「だから、オレは親方じゃ――」
キールが懐中時計をしまって言いながら、フィオの指差す方向を見上げる。すると、時計塔の一二時の位置に小さな人影が見えた。ミドがキールに言う。
「あれって、まさか……?!」
「ああ、そのまさかだろうな……」
キールがミドに同意する。するとフィオは何振り構わず時計塔に一直線に走りだした。
「助けに行くっス!!」
「おい! 待てフィオ!」
フィオを追いかけてキールとミドが走っていった。
――こうして、フィオは少年を助けて現在にいたる。最初にミドが少年に挨拶をした。
「いや~いきなりごめんね~、フィオがどうしても朝食は竜肉のから揚げが食べたいってわがままいうもんでさ~」
「は、はぁ……」
少年は旅人と名乗る三人に助けられて、気づけば正座をして三人と向き合っていた。
すると、三人の旅人の一人が言った。
「そうだ、自己紹介がまだだったね! ボクはミド。ミド・ローグリー! どこにでもいる普通の旅人だよ~。君はなんていうの?」
「ボクの名前は――」
少年の名は『マルコ・パプリカ』。現在地であるパプリカ王国の王子である。
黒髪の直毛で、顔の左半分だけ前髪を長くして隠している。どうやら意図的に隠している様子だ。片目だけ見えている右目は茶色の瞳で、そばかすが特徴的である。
年齢は一〇歳。服装は派手というほどでもなく落ち着いている。王子というだけあってか、服の生地はとても高級そうである。
全体的に自信がなさそうな雰囲気を醸し出している少年だった。
「初めましてマルコ」
「こちらこそ、初めましてミドさん」
ミドがマルコと話していると、フィオが会話の中に入ってくる。
「それよりマルちゃん! 知ってるっスか? 竜肉専門店!」
「え/// ……あ、はい/// それなら、この時計塔を下に降りて大通りを抜けてから……マルちゃん?」
フィオの顔がマルコの顔に急接近し、マルコはフィオの馴れ馴れしい急接近な態度に頬を赤らめて戸惑いつつも、道を教えた。
「ありがとう~、助かったっスよおおお! あーし等、道に迷って困ってたっスぅ! マルちゃんはあーし等の救世主っス!」
「はわ……/// ど、どういたしまして///」
フィオは急にマルコを抱き締めて感謝を伝えると、マルコは顔面を真っ赤にしながら言った。
フィオはマルコを開放すると、話の話題を変えるように言う。
「それにしても、今日はいい天気っスね!」
「え、まぁ……そうですね///」
「こんな朝早くに起きてるなんて健康志向っスね! 早起きは三ゼニーの徳って言うっス!」
「へぇ、そんな言葉があるんですか……旅人さんは物知りですね」
フィオはマルコの意識を明るい方へ逸らそうと必死に話題を提供する。すると、キールがしびれを切らしてマルコに言葉を突きつける。
「――それでお前、何であんなことしてたんだ?」
「あ、キール! それは聞いちゃダメっス!」
フィオが慌てて話を逸らそうとするが、キールはそれを無視して真っすぐマルコを睨む。マルコは唇を震わせながら言う。
「あんな、こと?」
「お前、死のうとしてただろ?」
「………………」
マルコはキールと呼ばれた金髪でくせ毛の旅人から問いかけられて沈黙する。
「まぁ、オレたちは正義の味方でも何でもねぇから、お前が自殺しようと関係ねぇことだが……うちのフィオが勝手に助けちまったからな。話しぐらいなら聞いてやる」
キールが鋭い眼差しでマルコに言う。すると、マルコはゆっくりと言葉を発した。
「あなたたちには、関係ありません……」
「………………」
マルコは目を逸らして口を閉ざしてしまう。キールもそれ以上は追及しなかった。
「助けてくれてありがとうございました。それでは失礼します……」
「あ……」
マルコが逃げるように早歩きをしてその場を後にする。フィオはかける言葉が見つからず、ただ心配そうな表情でマルコの後ろ姿を見つめるしかできなかった。
マルコが踵を返した時、前髪がその勢いで揺れて、一瞬だが左頬が顔を覗かせる。
――そこには、竜の鱗のような痛々しい火傷の跡が見えた。
「なるほど。あれが噂の王子様、かな……」
ミドはその時、マルコの隠された左半分の顔に気づいて小さく小さく、つぶやいた――。
――少年は、自殺をしようとしている。
時刻は早朝の日の出前。
辺りが薄っすらと明るくなる時間、しんと静まりかえる街中。聞こえてくるのは鳥のさえずりか、目覚まし時計代わりのニワトリの鳴き声ぐらいだ。
少年は国の中で最も高い場所である時計塔の上にいた。
時計塔には、一二時の位置に中から外に出られる場所がある。それは関係者以外立ち入り禁止の場所で、主に時計塔の管理者や作業者たちが作業をするために設置された出入口である。
少年はそこから外を眺めていた。ひんやりとした涼しい空気が、少年の全身を撫でるように通り過ぎていく。少年は足元の先に見える建物を見下ろす。深い霧が立ち込めており、一面真っ白な光景が広がる。
まだ誰も目覚めていない時間。もしかしたら朝が早い老人が散歩をしているかもしれないが、この霧では少年に気づくまい。ましてや老人は目や耳が悪いからなおさらだ。
少年は誰も自分に気づいていないことを確認すると、深く、深く深呼吸を繰り返す。
心臓が激しく鼓動を上げていた。ここから飛び降りれば確実に死ねるだろう。分かってはいても、中々一歩を踏み出せない。
飛び降りようとすると必ず、今まで出会った沢山の人たちの顔を思い出す。その中には優しくしてくれた人や、いじわるする人、差別をしてくる人もいた。
だが、少年にとって最も重要な人物の顔だけが浮かんでこないことに、少年は心臓が締め付けられるような気持ちになる。
「お母さん……」
――少年には、母親の記憶がなかった。
少年の母は、彼が幼少期の時に病気で亡くなったと聞かされている。母の写真を見せて欲しいと頼んでも、そんな物はないと言われた。
正確に言えば、まったく記憶がない訳ではない。おぼろげだが母親のことを思い出すことはできる、母の胎内にいた時、そして生まれた瞬間の記憶だ。しかし、その記憶も霧がかかったようにぼやけていて、ハッキリとした顔を思い出すことはできない。
その母に初めて抱きかかえられた時の、柔らかな温かさを思い出すことくらいはできた。
少年は空を見上げて、つぶやく。
「お母さん……今、会いに行くよ」
少年はゴクリと唾を呑み込んで覚悟を決めた。後ろを振り返り、そして両目を閉じて、背中から倒れるように、ゆっくりと重心を後ろに移動させた――。
「ちょおおおおおおおおっと、待ったあああああああああああああああああ!」
「――ッッッ!?」
少年は唐突に響き渡る声に驚いて目を開く。気づくと自身の身体が宙ぶらりんになっており、少年の片手が何者かにガッチリ掴まれている感触があった。
その手は少女の手だった。細くて白い、それでいてきめ細かい美しい手。それでありながらとても力強い手でもあった。少年は恐る恐る上を見上げた。すると、その目の先にはとても可愛らしい顔が映り込む。少年は一瞬見惚れてしまった。
すると少女は言った。
「ちょっと聞きたいことがあるっス!」
「はい……/// 何、でしょうか?」
「この辺りに『竜肉専門店』があるって聞いたっス! どこにあるっスか?」
「へ……? 竜、肉?」
少年は何を聞かれているのか、一瞬理解できなかった。
時は今から、数十分前に遡る――。
*
――深い霧の中、三人の旅人がとある国の入国審査を受けていた。
三人の旅人が待合室のような狭い通路で、小さなイスに並んで腰かけている。
「かっら揚げ! かっら揚げ! リュ~リュリュ~♪」
フィオは謎の鼻歌をしながら上機嫌である。上半身を左右にユラユラさせながら、下半身の足を前後にブラブラさせて入国許可が下りるのを待っている。
その左隣には目を閉じたまま、腕と足を組んで黙っている座っているキールがいた。フィオのせわしなく動く肩や足が時折キールにぶつかって地味にイラついている様子だ。
最後にフィオの右隣に深緑色の髪の少年、ミドが座っている。フィオとは正反対に落ち着いている。
現在この三人の旅人が入国しようとしている国は『パプリカ王国』。旅人の間では「竜が処刑された国」として有名である。
ミドがキールに話しかけた。
「ねぇ、キール。パプリカ王国ってどういう国なの?」
「ん? ああ。オレも詳しくは知らねぇけど、竜で有名なのは確かだ。旅人連中が噂に尾ひれを付けてるから、どこまで本当かは眉唾もんだけどな」
「ふ~ん……」
ミドが質問すると、キールが事前に調べたパプリカ王国が、どういう歴史を持つ国なのかを教えてくれた。
緑豊かな国で、王国の周りを雄大な自然が取り囲んでいて、国民は平和で静かな生活を送っている。
山の幸が豊富な国で、山菜料理が美味しいらしい。肉料理もあるのだが、他の国と違い、珍しいのが『竜肉』が主に使われるということだ。山の中にいる野生動物の一種で、鹿や猪と同様に狩猟される。
竜肉は淡白な味で、鶏肉のような食感。例えるならワニ肉に近い味をしているそうだ。
食用に飼育されたものは特に臭みはなく、高蛋白低カロリー食の健康食品として国民に愛されている食品だ。少々クセが強いようだが、馴れれば竜肉はやみつきになるそうだ。
「へぇ~。山の幸が豊富で、名物の『竜の肉』か~」
「それだけじゃねぇ……この国には、他にも有名な噂がある……」
「と言うと?」
「この国には、邪竜の血を引く呪われた王子がいるらしい……」
この世界の竜は食用の種類もいるが、中には人間同様、あるいはそれ以上の知能を持った竜族がいる。彼らは言語を理解し、自分たちの国さえも持っている。同じ哺乳類でも知能が高いのと低いのがいるのと同じことだ。
その中で、何の突然変異かは未だ解明されていないが、人間に擬態できる竜族がいるようなのだ。その竜族は人間と交配して子を成すこともできるそうだ。
「人間に擬態できるの? 人魚みたいな感じ?」
「いや、見た目はほとんど人間らしい。見分けがつかないくらいにな」
「本当なの?」
「ただの旅人の噂だ、眉唾もんだって言ったろ」
ミドが疑いの目を向けると、キールも話半分で聞けと言った態度を示す。ミドは少し考えるように俯いて言う。
「本当だとして……突然変異で人間と交配できる竜族……邪竜の血を引く王子。それってつまり――」
「ああ、国王と討伐された邪竜の間に生まれたのが、第三王子ってことだろうな」
「なるほど……」
「事件が発生したのが、ちょうど10年前だ――」
キールが簡潔にパプリカ王国の歴史を説明し始めた。
10年前、この王国を人間に擬態した邪な竜が乗っ取ろうとした事件があり、多くの人たちが恐怖に襲われた。王国は必死に交戦したが、竜の強大な力に大勢の兵士が殺されて、成す術もなかった。
しかし、それを現女王であるカタリナという女性が暴れ狂う竜の首を一刀両断して討伐したことで、王国に平和が戻ったそうだ。
その後カタリナという女性は英雄として称えられ、女王にまで上り詰めた。
このお話は国民の全てが忘れないようにと絵本にもなっており、パプリカ王国民で知らぬ者はいない。子どもたちはこのお話が大好きで、親たちは毎晩読んで欲しいとせがまれて困っているそうだ。
王国に危害を加えた竜の子ということは、親が犯罪者のようなものだ。「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」生まれてきた子に罪はないとはいうが、それをすべての国民が体現するのは至難の業だろう。
それに、キールは同じ混血として、その王子に思うところがある様子だった。
「それは大変だね……」
「かもな……」
ミドとキールはそれ以上会話を続けることはなかった。
そして、しばらく時間が経過した。
「お待たせしました。入国の審査が完了しましたので、こちらへどうぞ」
入国審査官の男が三人の旅人に声をかける。すると、待ってましたと言わんばかりにフィオが飛び上がって大喜びしていた。続いてキールがゆっくりを腰を上げる。
ミドだけが待ち時間に飽きて寝ており、どうやら夢を見ている様子だ。よく見るとミドの頭頂部からチューリップのような花が咲いている。ミドは寝ている時、頭から花が咲く癖があるのだ。
キールがミドを起こそうとして、頭の花を掴んで引き上げる。すると、花はブチっと音を立てて引っこ抜かれた。
「あ痛だッ?!」
「いつまで寝てんだ。起きろミド、入国審査が終わったぞ」
「痛ぅ~。キール、何度も言ってるけど頭の花を引っこ抜いて起こすのは勘弁だよ~」
「この方が手っ取り早いだろ」
ミドは涙目でキールに訴えかける。曰く、頭の花を引っこ抜かれるのは、髪の毛を引っこ抜かれるのと似た痛みがあるらしい。
ミドは自身の頭を撫でながら、のんびりと腰をあげた。フィオは早く国の中に入りたいようで、足踏みをしている。
「ミドくん! 寝てる場合じゃないっスよ! 新しい国っス! きっと素敵な出会いが待ってるっスよ!!」
「そうだね~、イイ出会いがあるといいね~」
三人はフィオを先頭にミド、キールと続いて歩いて行く。狭い通路を置くまで歩いて行くと、国の内側の門が見えてきた。
タタタタタ。フィオは小走りで奥に向かう。
コン、コン、コン。ミドはのんびりゆっくり歩いて向かう。
…………。キールの足音を立てずに向かう。足音を立てないのは彼の癖である。
三人が内門に到着すると、入国審査官の男が待っていてくれた。彼は、三人の旅人にお待ちしておりましたと言うと、門の横にある赤いボタンを押してくれる。すると門がズズズと下から上に持ち上がっていった。
こうして三人の旅人は、横に並んで一歩前に進み、一緒に入国を果たした。
入国後すぐに、フィオが両手を広げて真上を見上げて言う。
「これが新しい国の香りっスかぁ。スゥ~、ハァ~……。新しい国の香りがするっス!」
「分けわかんねぇこと言ってねぇで、先に宿に向かうぞ」
「アイアイサーっス!」
フィオはキールに呼ばれて、ミドとキールの元に走っていく。キールは歩きながら、ミドとフィオに言った。
「いいか、確認のために言うが、新しい国では絶対に警戒を怠るな。一人で勝手な行動はするなよ。特にフィオ!」
「は~い」
「分かってるっスよ!」
キールの確認に、ミドとフィオが呑気に返事をする。
一応、ミドが一味の団長なのだが、参謀も務めるキールが仕切り役になりがちである。ミドは少し寛容なところがあるため、キールがしっかりルールを作らないと、一味の統率が取れなくなるのだ。
キールは新しい国では、常に周りを警戒してミドとフィオ等の仲間の安全確保を最優先にする傾向がある。そのせいか、キールは勝手な自由行動を許さず、フィオは少し不満を感じている様子だ。
「キールはもう少し旅を楽しんだ方がいいっス! そんなに警戒してたらせっかくの旅も楽しめないっスよ!」
「新しい場所では警戒を怠るな。オレは昔、親方にそう教わったんだ」
「親方が間違うことだってあるっス。猿山の大将も木から落ちるって言うっスよ」
「誰が猿山の大将だ。ゴリさんを猿扱いするんじゃねぇよ」
「ゴリさん? なるほど、猿じゃなくてゴリラだったっスか……」
「猿でもなきゃ、ゴリラでもねぇよおおおおおおおおお!」
ちなみにだが『ゴリさん』という人物はキールの盗賊時代の頭の愛称である。キールはゴリさんの右腕として重宝されていた。歩く時に足音を消してしまったり、変装や声帯模写が得意なのはその時に身に着けた技術である。
他の仲間は親方と呼んでいたのだが、右腕のキールと、左腕の参謀役の男は「ゴリさん」と呼ぶことを許されていた。親方の左腕と呼ばれた男は、キールの元相棒だった。右腕のキールと、左腕の参謀。二人は盗賊団の中で最強のツートップとして君臨していた。
するとフィオが言う。
「つまりキールの考え方は親方の影響ってことっスね。じゃあこれからキールのことは『親方』って呼ぶっス」
「オレは親方じゃねぇよ!」
フィオとキールの会話を聞きながら、ミドがヘラヘラ笑っていた。するとミドが言う。
「そう言えば宿のチェックインって何時だっけ?」
「入国審査官の話だと、朝の七時までにはチェックインしてほしいそうだ」
「今何時だっけ?」
ミドは時計を持っておらず、キールが懐中時計を出そうとする。するとそれを制止するようにフィオが言った。
「心配しなくても、間に合うっスよ! どうせ時計見るなら、そんな懐中時計じゃなくて、ほら! あそこにでっかい時計塔が見えるっス!」
フィオが指を差して時計塔を見上げる。すると両目を見開いて驚愕し始めた。そして時計塔を指さしたまま言う。
「お、親方あああァ! 空から男の子がああああああああああああ!」
「だから、オレは親方じゃ――」
キールが懐中時計をしまって言いながら、フィオの指差す方向を見上げる。すると、時計塔の一二時の位置に小さな人影が見えた。ミドがキールに言う。
「あれって、まさか……?!」
「ああ、そのまさかだろうな……」
キールがミドに同意する。するとフィオは何振り構わず時計塔に一直線に走りだした。
「助けに行くっス!!」
「おい! 待てフィオ!」
フィオを追いかけてキールとミドが走っていった。
――こうして、フィオは少年を助けて現在にいたる。最初にミドが少年に挨拶をした。
「いや~いきなりごめんね~、フィオがどうしても朝食は竜肉のから揚げが食べたいってわがままいうもんでさ~」
「は、はぁ……」
少年は旅人と名乗る三人に助けられて、気づけば正座をして三人と向き合っていた。
すると、三人の旅人の一人が言った。
「そうだ、自己紹介がまだだったね! ボクはミド。ミド・ローグリー! どこにでもいる普通の旅人だよ~。君はなんていうの?」
「ボクの名前は――」
少年の名は『マルコ・パプリカ』。現在地であるパプリカ王国の王子である。
黒髪の直毛で、顔の左半分だけ前髪を長くして隠している。どうやら意図的に隠している様子だ。片目だけ見えている右目は茶色の瞳で、そばかすが特徴的である。
年齢は一〇歳。服装は派手というほどでもなく落ち着いている。王子というだけあってか、服の生地はとても高級そうである。
全体的に自信がなさそうな雰囲気を醸し出している少年だった。
「初めましてマルコ」
「こちらこそ、初めましてミドさん」
ミドがマルコと話していると、フィオが会話の中に入ってくる。
「それよりマルちゃん! 知ってるっスか? 竜肉専門店!」
「え/// ……あ、はい/// それなら、この時計塔を下に降りて大通りを抜けてから……マルちゃん?」
フィオの顔がマルコの顔に急接近し、マルコはフィオの馴れ馴れしい急接近な態度に頬を赤らめて戸惑いつつも、道を教えた。
「ありがとう~、助かったっスよおおお! あーし等、道に迷って困ってたっスぅ! マルちゃんはあーし等の救世主っス!」
「はわ……/// ど、どういたしまして///」
フィオは急にマルコを抱き締めて感謝を伝えると、マルコは顔面を真っ赤にしながら言った。
フィオはマルコを開放すると、話の話題を変えるように言う。
「それにしても、今日はいい天気っスね!」
「え、まぁ……そうですね///」
「こんな朝早くに起きてるなんて健康志向っスね! 早起きは三ゼニーの徳って言うっス!」
「へぇ、そんな言葉があるんですか……旅人さんは物知りですね」
フィオはマルコの意識を明るい方へ逸らそうと必死に話題を提供する。すると、キールがしびれを切らしてマルコに言葉を突きつける。
「――それでお前、何であんなことしてたんだ?」
「あ、キール! それは聞いちゃダメっス!」
フィオが慌てて話を逸らそうとするが、キールはそれを無視して真っすぐマルコを睨む。マルコは唇を震わせながら言う。
「あんな、こと?」
「お前、死のうとしてただろ?」
「………………」
マルコはキールと呼ばれた金髪でくせ毛の旅人から問いかけられて沈黙する。
「まぁ、オレたちは正義の味方でも何でもねぇから、お前が自殺しようと関係ねぇことだが……うちのフィオが勝手に助けちまったからな。話しぐらいなら聞いてやる」
キールが鋭い眼差しでマルコに言う。すると、マルコはゆっくりと言葉を発した。
「あなたたちには、関係ありません……」
「………………」
マルコは目を逸らして口を閉ざしてしまう。キールもそれ以上は追及しなかった。
「助けてくれてありがとうございました。それでは失礼します……」
「あ……」
マルコが逃げるように早歩きをしてその場を後にする。フィオはかける言葉が見つからず、ただ心配そうな表情でマルコの後ろ姿を見つめるしかできなかった。
マルコが踵を返した時、前髪がその勢いで揺れて、一瞬だが左頬が顔を覗かせる。
――そこには、竜の鱗のような痛々しい火傷の跡が見えた。
「なるほど。あれが噂の王子様、かな……」
ミドはその時、マルコの隠された左半分の顔に気づいて小さく小さく、つぶやいた――。
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