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オトナの権利の国

あなたは尊敬する人の爪の垢を煎じて飲んだことがありますか?

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「今日からココが貴様の更生部屋だ、入れ」
「……はい」

 ペトラは職員の男の指示に従って部屋の中に入った。

 服を剥ぎ取られて裸にされてしまったペトラは、両手で胸と股間を上手く隠すようにして、指示された部屋の中に入る。裸の理由は『服を着る権利』も奪われているからだ。

 ここは更生施設と呼ばれる場所である。大人の権利を持たない『子ども』が収容される所だ。周りは床も壁もコンクリートが剥き出しになっている無機質な部屋だった。出入り口は先ほど通った一つで、今まさに職員の男が鍵をガチャガチャと乱暴に掛けている。

 ペトラは部屋の中を見渡した。彼女以外にも部屋の中には数名だが人がいて、全員女性だった。おそらく男性と女性とで部屋は分けられているのだろう、『異性と共に過ごす権利』もないのだから当たり前である。

 ただし職員の男たちは例外で、彼らには『収容者を指導する権利』がある。だから収容女性と職員の男の接触は許されている。

 すべての女性が裸だったが、ペトラ以外の女性はどこも隠そうとはしていない。収容期間が長いと羞恥心すら薄れていくのだろうか。

 ――ペトラは薄暗い部屋の中で一人、大人しく座っていた。すると一人のキレイな女性がペトラに話しかけてきた。

「あなた、新入りね?」

 ペトラは声のする方を見ると、長い茶髪の美しい女性がこちらを優しそうに見つめていた。とてもスタイルが良く、年齢は十代後半。ペトラと同様に一糸まとわぬ姿にも関わらず、片手を腰に当てながら堂々と目の前に立っていた。
 ペトラは少し戸惑いながらも会釈をする。女はそれを見て少し微笑んでから言った。

「ここに来るのは初めてでしょ?」
「……はい」
「初めまして、よろしくね。分からないことは何でも私に聞いて」
「はい、よろしく……お願いします」

 物腰柔らかく、笑顔が素敵な女性だった。ペトラは少しだが安堵して訊く。

「あの……なんてお呼びしたら?」
「何でもいいわ、どうせ私たちには名前を持つ権利なんてないんだし」

 ペトラを含め収容者たちは『名前を持つ権利』も奪われているため、この更生施設では名前で呼ばれることはない。なので、ペトラは仮に彼女を先輩のお姉さんと呼ぶことにした。

 ガチャ、キィィィィィ。

 その時、部屋のドアが開いて施設職員の男が入ってきた。男はおもむろに目の前に歩いてきて、ぶっきらぼうに言う。

「そこの女、喉は乾いているか?」
「あら、よかった。ちょうど喉が渇いていたのよ……んふ」

 男が言うと、先輩のお姉さんが答える。すると職員の男は突然ズボンを脱ぎ始めた。ズルっと下着も全て下ろして、下半身を露わにする。

「――っ!?」

 ペトラは驚いて目を背けた。先輩のお姉さんは嬉しそうに職員の男の陰茎にしゃぶりつくと、男は恍惚な表情をしながら力んだ。お姉さんの喉がゴクゴクと音を立てはじめる。男の小水を飲んでいるのがハッキリと分かった。

「うっ……」

 ペトラはその光景に目を見開いて驚愕し、同時に気分が悪くなった。

 ――その光景は数分続き、ペトラは顔を背けていた。時々確認するように一瞥していると、職員の男が気持ちよさそうにブルブルッと震える。先輩のお姉さんは、男の陰茎から口を離す。職員の男は満足そうな表情で言った。

「ん……ふぅ……どうだ、私の聖水の味は? 心が洗われる様だろう?」
「ええ、とっても美味しいわ、私も喉を潤せて最高よ」
「ふんっ! 良い心がけだ」

 職員の男が言うと、ペトラは信じられないと言った顔で男を睨んだ。すると男はペトラに気づいて睥睨する。
 ペトラは身体を隠すように身をひそめて目を逸らした。男はペトラを下から上に舐めるように見ている。そして問いかけてきた。

「そこお前、名前を言え」
「え、でも……名前を持つ権利は――」
「違う! ココに来る前に名乗っていた名前だ!」

 男が苛立ちながら責めるように言うと、ペトラは怯んで小さな声で答えた。

「……ペトラ・フィールド、です」
「フィールド!?」

 男はペトラのフルネームを聞くと目を見開いている。少し考えこむようにしてつぶやく。

「ふん、なるほど。これは報告しなければな……」

 職員の男は満足そうに笑うと、ズボンのベルトを締めてペトラたちのいる部屋を出て行く。乱暴に鍵をかける音が響いた。ペトラはあまりの出来事に困惑して、男が出て行ったドアを見つめていた。

 ペトラは、自分の前で膝をついて座っている先輩のお姉さんを見る。その顔をうかがい知ることができなかったが、後ろ姿は、どこか悲しそうに見えた。
 すると先輩のお姉さんは、後ろで見ていたペトラに振り返らずに言った。

「驚いたでしょ?」
「………………」

 ペトラは沈黙する。先輩のお姉さんは続けて言った。

「……そうよね、それが普通の反応だわ」
「………………」
「気持ち悪いって思うわよね……私のこと、軽蔑した?」
「……いえ」
「そう」

 先輩のお姉さんとペトラは気まずそうに沈黙する。するとお姉さんは振り返ってペトラを見て言う。

「今度はあなたも、どう? こういうのは早いうちに慣れた方がいいから……」
「え!? ……い、嫌です」
「大丈夫、味も意外といけるのよ。何て言えばいいのかしら……出汁のきいたスープって感じかしら。それに人肌に温められてるから飲みやすいのよ」
「な、な……なんで??」

 ペトラは怯えながら、なぜ職員の男の排泄物を飲む必要があるのが問いかける。先輩のお姉さんは続けて言う。

「ココでは、これが当たり前なの。あなたは来たばかりだから知らないと思うけど、私たちには『水を飲む権利』もないのよ」
「そんな……!?」
「最初は嫌だと思うだろうけど、とても大切なことなの。聞いたことない? 『あの人の爪の垢を煎じて飲ませてやりたい』って……清く正しい職員様の聖水を飲むのは、私たち罪を犯した者が更生するためには必要なことなのよ……」

 ペトラは愕然とした。水を飲む権利すら与えてもらえないとは考えもしなかった。

 飲尿することが更生に繋がるなど聞いたことがない。
 確かに『爪の垢を煎じて飲ませたい』を言うことわざは聞いたことがあるが、実際に飲むなんてありえない。垢を飲んだところで人間がそうそう変わるはずもないのだ。

 すると、先輩のお姉さんは続けて言う。

「周りを見てごらんなさい、水道なんてないでしょ?」

 ペトラは言われるままに周りを見渡す。確かに水道の蛇口らしきものは見当たらなかった。

「私たちは喉が渇いたら、職員様の聖水を頂くしかないの」
「そんなのって……!?」
「大丈夫よ、あなたもすぐに慣れるから」

 ペトラは自分の置かれた状況に言葉を失った。権利がないと言うだけで、これほど惨めな思いをしなければいけないのか。
 ふとペトラは嫌な予感が頭をよぎった。そしてお姉さんに訊ねた。

「あの……トイレは?」
「……アレよ」

 ペトラは絶句する。指差す方向に目を向けると、部屋の隅に小さな壺があった。それはトイレと呼ばれているらしい。そこには仕切りも何もない、あれでは用を足そうとすれば必ず周りに見られてしまう。身を隠して用を足す権利すらないということなのだろう。

 すると先輩のお姉さんが言う。

「そうだわ! あなたも正義せいぎ信愛しんあい教の教えを学べば、きっと理解できるわ!」
正義せいぎ信愛しんあい教……」
「これを読んで、罪深い自らを悔い改める方法が学べるのよ」

 先輩のお姉さんはおもむろに小さな教本を持ってきてペトラに渡した。ペトラは教本をパラパラとめくって流し見をする。

 正義信愛教、通称『正愛教』。それはこの世界でもっとも有名な宗教の一つである。世界中に支部を構える巨大な宗教団体で、その信者の数は世界人口の三分の一以上が入信しているほどである。

『正義を信じ、悪を憎みなさい』というのが基本精神のようで、信者は自らを「正義の味方」と称して、この世の悪を罰することが許されている。

 どうやら聖水おしっこを飲むことで身を清めるという思想は、この教本の影響もあるのだと悟る。爪の垢を煎じて飲むとは書かれてはいないが、正義の神の使いの体液は、万物を癒す薬といった内容の記述がある。

 とある宗教では牛を神聖な生き物だとしている。その牛の尿に病気を治す効果があると信じている人たちは、健康のために牛の尿を毎朝飲むらしいが、それと同じかもしれない。
 小麦粉を風邪薬と信じて飲むことで、実際に熱さ下がってしまうという『偽薬プラセボ効果』が実際に確認されている事実を考えると、「牛の尿=良薬」と信じることで具合が良くなったりなど、健康上の効果を感じている人もいるのだろうか。

「………………」

 ペトラは沈黙して教本を眺めていた。それを見て先輩のお姉さんが言う。

「知らない? 正愛教はこの国にもあるのよ」
「知っています」

 ペトラは教本を眺めたまま言う。
 この国にも正義信愛教の支部があるのは知っていたし、この国のトップにいる人物も信者の一人として有名である。権利主義を最初にこの国に提案したのも、その人物である。

 実はペトラは、すでに正義信愛教の信者の一人なのである。
 ペトラの父が正義信愛教の信者だったため、父の影響でペトラも入信させられていたのだ。ペトラが物心つく前だったこともあり、教えの内容自体を今まであまり気にしたことがなかった。
 そのため、ペトラは今まで正義の味方である父の言葉を信じて生きてきた。

 ペトラは今でも自分の行いが信じられずにいる。自分はなぜ信じていた父を突き飛ばしてしまったのだろう。

 父は正義の味方なのだから、父の行為は正しかったはずなのだ。父の欲情を受け止めることは無償の愛による奉仕の精神であり、親孝行をするチャンスだったのかもしれない。

 それなのに、自分は父を拒絶してしまった。心の底から気持ち悪いと思ってしまった。親不孝な自分は権利を奪われてもしょうがないのかもしれない。

 ペトラが深く考えていると、部屋のドアがガチャリと開く。すると先ほどの職員の男がペトラに向かって叫んだ。

「そこの娘、施設長がお呼びだ。出ろ」

 それを横で聞いていた先輩のお姉さんが嬉しそうにペトラに言う。

「素晴らしいわ! 施設長様に誘われるなんて、とても名誉なことなのよ!」
「……分かりました」

 職員の男は、ペトラに手錠と首輪をかけて部屋の外に出るように背中を突き飛ばす。ペトラは黙って男の指示に従った。

 部屋の外に出ると、薄暗い長い廊下だった。ペトラは職員の男に、首輪のリードを引っ張られながら後ろをついて行く。
 階段を上がり、一番奥の部屋に到着すると男が言った。

「ふふふ……どうやら、お前は特別らしいからな。先ほどの部屋ではなく、ココがお前の部屋だ、入れ!」
「……はい」

 ペトラが部屋のドアノブを回して押し開く。恐る恐る入ると、中は六畳くらいの広さの個室だった。窓は天井に一つだけあり、小さく陽の光が差していた。

 ペトラが部屋の中央まで歩いて行った、その時だった。

「――待っていたよ、ペトラ」

 ペトラは驚いて、声が聞こえた背後に振り返った。

 すると、開かれていた部屋のドアがゆっくりと戻って閉じていくのが見えた。そしてドアの影から、つまりドアの裏から一人の男の姿を現した。

「……っ!?」

 おそらく、ずっとドアの裏に隠れてペトラの姿を覗いていたのだろう。ペトラが部屋の中央より奥まで入ってくるまで待っていたのだ。

 キィィィィ……ガチャン。

 ドアが完全に閉じると、目の前の男はゆっくりとドアに鍵をかける。ペトラが男を凝視しながら、震える声でつぶやいた。

「お、父……さん……!?」
「心配していたんだよ……やっと二人きりになれたね」

 ペトラの目に映っていたのは、施設職員の制服に身を包み、頭部に痛々しい包帯を巻いた男。
 ぎこちなく首を傾げて嗤う、父の姿だった――。

                   *

 ――一方その頃、とあるホテルでは大騒ぎになっていた。

「火事だああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」

 ホテル中に鳴り響く警報音の中、三人の旅人が廊下を走りながら叫んでいた。
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