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正義感の強い国
あなたは、愛犬に『正しい躾』はできてますか?
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青い空、白い雲。立ち並ぶ建物と果物や野菜、新鮮な魚介類の市場。行きかう人々は笑顔に満ち溢れていた。体の弱い老人に手を差し伸べる青年や、落とし物を衛兵さんに届ける子どもたち。
国中には『正しい人になりましょう』といった、いかにも正義感の強そうな印象の看板の広告がたくさんあった。その他にも『悪を許すな』や『最後に正義は必ず勝つ』などの言葉がたくさん散見される。
それを見たミドとキールとフィオの三人は思わず言った。
「正義感の強い国だな」
「正義感の強い国っスね」
「正義感の強い国だね~」
キールとフィオとミドの三人が同じ感想を洩らした。
ミドは、監視員の『悪さをする者などこの国にはいない』という言葉を思い出し、キールに問いかける。
「本当に“悪い人がいない”のかな?」
「さぁな、だが『自分たちは正義だ』なんて平気な顔して言えるヤツの方が、オレは信用できねぇけどな」
「そんなことないっスよ。みんな良い人なのはイイことっス! 安全第一っス!」
三人は思い思いの言葉を発する。すると遠くの方からたくさんの声が聞こえ、フィオが反応した。
「ちょっと、ちょっと二人とも! アレ見るっス!」
フィオが二人に声をかけると、キールとミドが振り返る。フィオは道のど真ん中を指さしていた。その先に、一人の少女が複数人の男たちに囲まれていた。
少女は白い髪の毛と真っ赤な瞳をしており、あまり日の光に当たらない生活をしているのか、とても白い肌をしていた。年齢は十代後半くらいで、背はフィオと同じくらい。全身を隠すように焦げ茶色のローブを羽織っていて、頭部のみ露出している。
フィオが大きく口を開けて、あわあわしながら、
「あれヤバいんじゃないっスか!? 女の子のピンチっス! 貞操が奪われる危機っス!」
「白昼堂々とか? 周り見てみろよ、見物してるやつもいるぞ」
キールが眉間にしわを寄せながらフィオに指摘する。周囲を見渡すと複数人の男に少女が絡まれている状況を笑顔で眺めている。ひなたぼっこをしている老人や、子ども連れの母親、商品を背負った商人など様々な人たちがその光景を見守っていた。
それを見たフィオはキールに賛同して、
「本当っス!? もしかして、何かの撮影っスかね?」
「映像を記録するのは、そうとう科学技術が発達してる国じゃねぇと見たことねぇぞ? この国にその技術があるとは思えねぇが……」
すると男の一人が少女に怒鳴り声をあげた。
「いい加減に自首しろよ! この吸血鬼め!」
「お前が“犯人”だって、みんな知ってんだよ!」
「未来ある子どもを犠牲にしやがって! とんでもねぇ悪党だ!」
少女は必死に弁明していた。
「違います! 私じゃない!!」
「お前以外に誰がいるってんだよ! この悪の一族が!!」
しかし男たちは聞く耳を持たず、罵詈雑言を少女に浴びせた。
「いい加減に白状しやがれ!!!」
男の中の一人が、鉄パイプを少女に振り下ろそうとした。その時――
その男に横から子犬がとびかかって噛み付いた。
「マロ!? なんでここに!?」
それは少女がいつも可愛がっていたマロと言う名の犬だった。少女が驚きと困惑の声を上げる。マロは男たちを睨んで唸り声を上げた。
「ガルルルルル……!!」
「なんだ、このクソ犬!? 吸血鬼をかばうのか!? 飼いならされやがって、この犬畜生が!」
「なぁ、この吸血鬼に飼いならされた犬に、オレたちで正義の躾をしてやろうぜ」
男の一人が躾を提案すると、他の男たちもそれを承諾する。全員でマロを蹴り、叩きつけた。マロは男に鉄パイプで殴り飛ばされ、「ギャイン!!」と鳴き声を上げて壁に叩きつけられる。
そのまま男たちはマロを徹底的に殴りつけ続けた。殴り飛ばされてもマロは男たちに飛び掛かる。それが彼らの怒りを逆なでして、さらに殴られる。マロは殴り飛ばされるたびに血しぶきを上げて壁に激突した。少女は何とか止めようと男たちにしがみつくが、振り払われて蹴り飛ばされた。
「お願い、やめて! マロが……マロが死んじゃう!!」
少女が泣いて懇願するが、男たちにその声は届かない。男たちは、マロと呼ばれた犬に殴る蹴るの『躾』を続けた。
次第にマロは鳴き声すらあげなくなった。男は子犬が動かなくなったのを確認すると、ボロボロの血まみれになった犬を足で道の端に蹴ってよけた。
そして男は疲れて飽きたのか、少女に唾を吐きかける。少女が目をつぶって避けようとするが、男の粘っこい唾が白い頬に粘り付いた。
「さっさと自首しやがれってんだ、吸血鬼が!」
そう吐き捨てると、ぞろぞろと太陽の光の先へ歩き去る。
「あ~スッキリした! これでまた一つ、悪に天罰を下せたな」
「衛兵の連中が頼りねぇからオレたちが悪の粛清をしなくちゃいけねぇんだよな」
「まったくだ。少しはオレたちに感謝してほしいもんだ」
それを眺めていた周りの傍観者たちは、ことが終わると何事もなかったかのように元の生活に戻った。ひなたぼっこをしている老人は隣の老人と会話を再開し、母親と子どもは再び歩き出す。商品を背負った商人は笑顔で店の商談をしている。
少女が頬についた男達の唾を手の甲で拭い、ゆっくりと立ち上がった。そして、ぐったりと倒れているマロと呼んでいた犬に近づく。その犬の呼吸は小さく、短くなっていた。少女がその犬を抱きかかえると犬は、か細い鳴き声をあげた。
「マロ、私のせいで……ごめんね……ごめんね……」
少女は犬に謝り続けた。一定の間隔で痙攣をしながら、犬の呼吸が短くなっていく。少女が「マロ」と声をかけると、聞こえているのかいないのか分からないが、全身がピクッと一度だけ動く。
それを眺めていた周囲の人たちの一人が通り過ぎながら「ふっ」と口元を緩めてつぶやいた。
「バカな犬だ。悪の味方をするから、そうなるんだよ……」
その一言を聞いた少女が睨む。しかし相手から睨み返されると、すぐに顔を背けて俯いた。そして少女はマロを抱きかかえて立ち上がり、その場を去っていった。その場には、いつもと変わらぬ日常が戻って来たように人が行き交う光景が広がる。
――一部始終を見ていたキールが舌打ちをして、つぶやく。
「チッ……胸糞悪りぃ」
「おかしいっス! あの子のどこが悪いんスか!?」
キールとフィオがそれぞれに自分の考えを述べる。ミドだけが黙っていた。
「ミドくん! 何で黙ってるっス? さっきのは、どう考えても集団いじめっス! 正義感の強い国が聞いて呆れるっス!!」
「……うん。そうだね」
ミドは静かに、しかし鋭い目つきで応えた。そしてキールに声をかける。
「キール、行こっか。ボクらには関係ないことだよ」
「……ああ」
「あ! ちょっと待ってっス!」
キールは腕を組みながら、つぶっていた目を開いて返事をし、ミドと共に歩き出す。フィオも二人について行った。
「ミドくんは薄情っス! 何で怒らないんスか!?」
ミドの冷静な反応に、フィオは冷たさを感じてキールに言った。キールはフィオをチラッと見てから言う。
「何言ってんだ、一番キレてんのはミドだぞ……」
「どこがっス?? 『ボクらには関係ない』なんて言ってるっスよ!?」
「………………だから、だよ」
「全然意味が分からねっス!」
キールがミドの後ろ姿を見て口元を緩めながら、しかし同時に恐怖を覚えながら言った。フィオがキールの反応に眉を寄せる。
キールとミドの関係は、それなりに長い付き合いだ。ミドは元々、ある目的のために一人で旅をしていた。その道中でキールと出会ったのだ。
キールは元々は、とある有名な盗賊団の副団長を務めていたほどの実力者だった。しかし、とある裏切りによって騎士団に捕まってしまい、処刑が決定した。そしてギロチンを落とされる寸前、とある名もない旅人に助けられた。それがミドとの出会いだった。
その時のことは今でも鮮明に覚えている。冷淡な黒い瞳に静かな怒りを感じさせるその少年は、深緑色の髪の毛を振り乱し、あっという間に騎士たちを殲滅してしまった。キールは圧倒的な悪行を目の前にして畏怖を覚えたほどだ。そしてミドは、たった一人でキールを助け出してしまったのだ。
キールは、もうずいぶん昔になる当時の記憶を思い返しながら言った。
「ミドは昔から分かりやすく怒ったりしねぇからな……」
「そう言えば、ミドくんが大声で怒ってるの……見たことないっスね」
「今はヘラヘラして旅芸人なんてやってるが、本気のミドは……」
キールが最後まで言おうとした時、
「――キール」
ミドがキールを静かに呼んだ。その一言にキールが少し黙って謝る。
「………………悪りぃ」
キールが話を途中で切って歩き出すと、フィオが、
「ちょっとおおおお、最後まで話すっスよおおお! このままじゃ気になって、二度寝もできないっスうううう!!」
「一度で起きろよ」
キールがフィオに指摘すると、ミドも話しに入ってきて、元の飄々とした態度に戻って笑いながら言った。
「あはは~! 寝る子は育つって、どっかのエロい仙人も言ってたし、フィオの成長には色々と、期待と股間が膨らむね~」
「セクハラっスうう! 今のは完全にセクシャルハラスメントっスぅ!! 賠償として、さっきの話を最後まで聞かせるっス!」
「そんなにボクの恥ずかしい過去が知りたいの? しょうがないな~。じゃあ今日は、一緒にお風呂に入りながら語り合おうか~」
「それは断固拒否するっス!!」
「つれないな~。お互いの絆を深めるには、裸の付き合いが一番なのに~」
キールは、ミドの表情が先ほどの冷たさから徐々に柔らかくなっていくのを感じていた。
そして、ミドとフィオの言い合いを聞いていたキールが、二人に聞こえない程度の小さい声でつぶやいた。
「やれやれ……まぁ、フィオのおかげでミドの怒りが少しでも和らいだのだけは、幸いってとこか」
キールは一人、ホッと胸を撫でおろした。すると、ミドが振り向いてキールに声をかけた。
「そういえば、彼らが言っていた『犯人』ってなんの話だろうね?」
「さぁな……でも事件の犯人って意味じゃねぇか?」
「そうだね。あの女の子は、その容疑者って訳か……」
ミドとキールが思考を巡らせる。そこにフィオも入ってきた。
「もしかして、『真犯人は別にいる! キリッ!』ってヤツっスか!?」
「どうだろうね、そこまでは分からない。でも『未来ある子ども』って言ってたから、子どもが犠牲者なのは分かるよ。それに気になることも言っていた……」
ミドがフィオの質問に微笑みながら答えた。そして一息おいて言った。
「――彼ら、“吸血鬼”って言ってたね」
するとキールが眉間にしわを寄せて、あからさまに不機嫌そうに言った。
「チッ、アイツら、吸血鬼が全部悪りぃみてぇに言ってたな……」
「吸血鬼差別は、どこの国でもあるんだね……」
「………………」
キールはミドの言葉に沈黙し、悲しそうな顔をした。
どこの世界に行っても差別は別に珍しいことではない。旅人が世界中を旅していると様々な差別に出会う。
鬼族や元天使族の堕天使、エルフやハーフエルフなど様々な種族が入り乱れているこの世界は複雑な力関係で成り立っている、当然勝者と敗者も存在する。敗北した種族は勝利した種族に好き放題されても文句など言えないのだ。
元々は人間も他種族からは差別されていた過去がある。最も力で劣る人間族は、他種族にとっては良いカモにされることが多かったのだ。今でこそ高性能な武器や魔法といった抗う術を持っている人間だが、祖先が奴隷だったという者も少なくないだろう。
もちろん旅人自身が差別されることもよくあることだ。髪の毛の色で入国を拒否されたり、国の人たちの態度があからさまに素っ気なかったり、酷い時は身ぐるみを剥いで国の外に放り出されたなんて旅人もいる。
そのため、ほとんどの旅人たちは自衛手段を持っている。いや、むしろ自衛手段を持っていない者は旅に出てはいけないのだ。必ず武器や魔法を扱えるようになるか、傭兵や用心棒などを雇うのは必須なのだ。
吸血鬼族に対する差別も珍しいことではなかった。特に吸血鬼族は人間の血液を好み、大勢の人間が殺された歴史がある。そうでなくても人族を奴隷として買っていた吸血鬼族は多かったのだ。それがその当時は普通であり、当たり前のことだった。
現在は人族と吸血鬼族で和平協定が結ばれたと言っても、過去の確執というものは中々拭い去れるものではない。人間にとって吸血鬼は、天敵という認識があるのだろう。
するとミドが言った。
「ここで話してても仕方ないね~。とにかく、この国の観光でもしよっか~」
ミドは空を見てにっこり微笑みながら言った。
「そ、そうだな。あんなこと……旅してりゃあ、よく見る光景だ」
「何だか良く分からないっスけど……とにかく、この国を見て回るってことっスね! 了解っス!」
キールとフィオは、ミドに賛同して町の中央に向かって歩きだした。ミドが振り返って、少女が消えていった方向に目を向けてつぶやく。
「あの子、名前なんて言うのかな……」
ミドは、そう言うとキールとフィオの後をついて行った――
国中には『正しい人になりましょう』といった、いかにも正義感の強そうな印象の看板の広告がたくさんあった。その他にも『悪を許すな』や『最後に正義は必ず勝つ』などの言葉がたくさん散見される。
それを見たミドとキールとフィオの三人は思わず言った。
「正義感の強い国だな」
「正義感の強い国っスね」
「正義感の強い国だね~」
キールとフィオとミドの三人が同じ感想を洩らした。
ミドは、監視員の『悪さをする者などこの国にはいない』という言葉を思い出し、キールに問いかける。
「本当に“悪い人がいない”のかな?」
「さぁな、だが『自分たちは正義だ』なんて平気な顔して言えるヤツの方が、オレは信用できねぇけどな」
「そんなことないっスよ。みんな良い人なのはイイことっス! 安全第一っス!」
三人は思い思いの言葉を発する。すると遠くの方からたくさんの声が聞こえ、フィオが反応した。
「ちょっと、ちょっと二人とも! アレ見るっス!」
フィオが二人に声をかけると、キールとミドが振り返る。フィオは道のど真ん中を指さしていた。その先に、一人の少女が複数人の男たちに囲まれていた。
少女は白い髪の毛と真っ赤な瞳をしており、あまり日の光に当たらない生活をしているのか、とても白い肌をしていた。年齢は十代後半くらいで、背はフィオと同じくらい。全身を隠すように焦げ茶色のローブを羽織っていて、頭部のみ露出している。
フィオが大きく口を開けて、あわあわしながら、
「あれヤバいんじゃないっスか!? 女の子のピンチっス! 貞操が奪われる危機っス!」
「白昼堂々とか? 周り見てみろよ、見物してるやつもいるぞ」
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「本当っス!? もしかして、何かの撮影っスかね?」
「映像を記録するのは、そうとう科学技術が発達してる国じゃねぇと見たことねぇぞ? この国にその技術があるとは思えねぇが……」
すると男の一人が少女に怒鳴り声をあげた。
「いい加減に自首しろよ! この吸血鬼め!」
「お前が“犯人”だって、みんな知ってんだよ!」
「未来ある子どもを犠牲にしやがって! とんでもねぇ悪党だ!」
少女は必死に弁明していた。
「違います! 私じゃない!!」
「お前以外に誰がいるってんだよ! この悪の一族が!!」
しかし男たちは聞く耳を持たず、罵詈雑言を少女に浴びせた。
「いい加減に白状しやがれ!!!」
男の中の一人が、鉄パイプを少女に振り下ろそうとした。その時――
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「マロ!? なんでここに!?」
それは少女がいつも可愛がっていたマロと言う名の犬だった。少女が驚きと困惑の声を上げる。マロは男たちを睨んで唸り声を上げた。
「ガルルルルル……!!」
「なんだ、このクソ犬!? 吸血鬼をかばうのか!? 飼いならされやがって、この犬畜生が!」
「なぁ、この吸血鬼に飼いならされた犬に、オレたちで正義の躾をしてやろうぜ」
男の一人が躾を提案すると、他の男たちもそれを承諾する。全員でマロを蹴り、叩きつけた。マロは男に鉄パイプで殴り飛ばされ、「ギャイン!!」と鳴き声を上げて壁に叩きつけられる。
そのまま男たちはマロを徹底的に殴りつけ続けた。殴り飛ばされてもマロは男たちに飛び掛かる。それが彼らの怒りを逆なでして、さらに殴られる。マロは殴り飛ばされるたびに血しぶきを上げて壁に激突した。少女は何とか止めようと男たちにしがみつくが、振り払われて蹴り飛ばされた。
「お願い、やめて! マロが……マロが死んじゃう!!」
少女が泣いて懇願するが、男たちにその声は届かない。男たちは、マロと呼ばれた犬に殴る蹴るの『躾』を続けた。
次第にマロは鳴き声すらあげなくなった。男は子犬が動かなくなったのを確認すると、ボロボロの血まみれになった犬を足で道の端に蹴ってよけた。
そして男は疲れて飽きたのか、少女に唾を吐きかける。少女が目をつぶって避けようとするが、男の粘っこい唾が白い頬に粘り付いた。
「さっさと自首しやがれってんだ、吸血鬼が!」
そう吐き捨てると、ぞろぞろと太陽の光の先へ歩き去る。
「あ~スッキリした! これでまた一つ、悪に天罰を下せたな」
「衛兵の連中が頼りねぇからオレたちが悪の粛清をしなくちゃいけねぇんだよな」
「まったくだ。少しはオレたちに感謝してほしいもんだ」
それを眺めていた周りの傍観者たちは、ことが終わると何事もなかったかのように元の生活に戻った。ひなたぼっこをしている老人は隣の老人と会話を再開し、母親と子どもは再び歩き出す。商品を背負った商人は笑顔で店の商談をしている。
少女が頬についた男達の唾を手の甲で拭い、ゆっくりと立ち上がった。そして、ぐったりと倒れているマロと呼んでいた犬に近づく。その犬の呼吸は小さく、短くなっていた。少女がその犬を抱きかかえると犬は、か細い鳴き声をあげた。
「マロ、私のせいで……ごめんね……ごめんね……」
少女は犬に謝り続けた。一定の間隔で痙攣をしながら、犬の呼吸が短くなっていく。少女が「マロ」と声をかけると、聞こえているのかいないのか分からないが、全身がピクッと一度だけ動く。
それを眺めていた周囲の人たちの一人が通り過ぎながら「ふっ」と口元を緩めてつぶやいた。
「バカな犬だ。悪の味方をするから、そうなるんだよ……」
その一言を聞いた少女が睨む。しかし相手から睨み返されると、すぐに顔を背けて俯いた。そして少女はマロを抱きかかえて立ち上がり、その場を去っていった。その場には、いつもと変わらぬ日常が戻って来たように人が行き交う光景が広がる。
――一部始終を見ていたキールが舌打ちをして、つぶやく。
「チッ……胸糞悪りぃ」
「おかしいっス! あの子のどこが悪いんスか!?」
キールとフィオがそれぞれに自分の考えを述べる。ミドだけが黙っていた。
「ミドくん! 何で黙ってるっス? さっきのは、どう考えても集団いじめっス! 正義感の強い国が聞いて呆れるっス!!」
「……うん。そうだね」
ミドは静かに、しかし鋭い目つきで応えた。そしてキールに声をかける。
「キール、行こっか。ボクらには関係ないことだよ」
「……ああ」
「あ! ちょっと待ってっス!」
キールは腕を組みながら、つぶっていた目を開いて返事をし、ミドと共に歩き出す。フィオも二人について行った。
「ミドくんは薄情っス! 何で怒らないんスか!?」
ミドの冷静な反応に、フィオは冷たさを感じてキールに言った。キールはフィオをチラッと見てから言う。
「何言ってんだ、一番キレてんのはミドだぞ……」
「どこがっス?? 『ボクらには関係ない』なんて言ってるっスよ!?」
「………………だから、だよ」
「全然意味が分からねっス!」
キールがミドの後ろ姿を見て口元を緩めながら、しかし同時に恐怖を覚えながら言った。フィオがキールの反応に眉を寄せる。
キールとミドの関係は、それなりに長い付き合いだ。ミドは元々、ある目的のために一人で旅をしていた。その道中でキールと出会ったのだ。
キールは元々は、とある有名な盗賊団の副団長を務めていたほどの実力者だった。しかし、とある裏切りによって騎士団に捕まってしまい、処刑が決定した。そしてギロチンを落とされる寸前、とある名もない旅人に助けられた。それがミドとの出会いだった。
その時のことは今でも鮮明に覚えている。冷淡な黒い瞳に静かな怒りを感じさせるその少年は、深緑色の髪の毛を振り乱し、あっという間に騎士たちを殲滅してしまった。キールは圧倒的な悪行を目の前にして畏怖を覚えたほどだ。そしてミドは、たった一人でキールを助け出してしまったのだ。
キールは、もうずいぶん昔になる当時の記憶を思い返しながら言った。
「ミドは昔から分かりやすく怒ったりしねぇからな……」
「そう言えば、ミドくんが大声で怒ってるの……見たことないっスね」
「今はヘラヘラして旅芸人なんてやってるが、本気のミドは……」
キールが最後まで言おうとした時、
「――キール」
ミドがキールを静かに呼んだ。その一言にキールが少し黙って謝る。
「………………悪りぃ」
キールが話を途中で切って歩き出すと、フィオが、
「ちょっとおおおお、最後まで話すっスよおおお! このままじゃ気になって、二度寝もできないっスうううう!!」
「一度で起きろよ」
キールがフィオに指摘すると、ミドも話しに入ってきて、元の飄々とした態度に戻って笑いながら言った。
「あはは~! 寝る子は育つって、どっかのエロい仙人も言ってたし、フィオの成長には色々と、期待と股間が膨らむね~」
「セクハラっスうう! 今のは完全にセクシャルハラスメントっスぅ!! 賠償として、さっきの話を最後まで聞かせるっス!」
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そして、ミドとフィオの言い合いを聞いていたキールが、二人に聞こえない程度の小さい声でつぶやいた。
「やれやれ……まぁ、フィオのおかげでミドの怒りが少しでも和らいだのだけは、幸いってとこか」
キールは一人、ホッと胸を撫でおろした。すると、ミドが振り向いてキールに声をかけた。
「そういえば、彼らが言っていた『犯人』ってなんの話だろうね?」
「さぁな……でも事件の犯人って意味じゃねぇか?」
「そうだね。あの女の子は、その容疑者って訳か……」
ミドとキールが思考を巡らせる。そこにフィオも入ってきた。
「もしかして、『真犯人は別にいる! キリッ!』ってヤツっスか!?」
「どうだろうね、そこまでは分からない。でも『未来ある子ども』って言ってたから、子どもが犠牲者なのは分かるよ。それに気になることも言っていた……」
ミドがフィオの質問に微笑みながら答えた。そして一息おいて言った。
「――彼ら、“吸血鬼”って言ってたね」
するとキールが眉間にしわを寄せて、あからさまに不機嫌そうに言った。
「チッ、アイツら、吸血鬼が全部悪りぃみてぇに言ってたな……」
「吸血鬼差別は、どこの国でもあるんだね……」
「………………」
キールはミドの言葉に沈黙し、悲しそうな顔をした。
どこの世界に行っても差別は別に珍しいことではない。旅人が世界中を旅していると様々な差別に出会う。
鬼族や元天使族の堕天使、エルフやハーフエルフなど様々な種族が入り乱れているこの世界は複雑な力関係で成り立っている、当然勝者と敗者も存在する。敗北した種族は勝利した種族に好き放題されても文句など言えないのだ。
元々は人間も他種族からは差別されていた過去がある。最も力で劣る人間族は、他種族にとっては良いカモにされることが多かったのだ。今でこそ高性能な武器や魔法といった抗う術を持っている人間だが、祖先が奴隷だったという者も少なくないだろう。
もちろん旅人自身が差別されることもよくあることだ。髪の毛の色で入国を拒否されたり、国の人たちの態度があからさまに素っ気なかったり、酷い時は身ぐるみを剥いで国の外に放り出されたなんて旅人もいる。
そのため、ほとんどの旅人たちは自衛手段を持っている。いや、むしろ自衛手段を持っていない者は旅に出てはいけないのだ。必ず武器や魔法を扱えるようになるか、傭兵や用心棒などを雇うのは必須なのだ。
吸血鬼族に対する差別も珍しいことではなかった。特に吸血鬼族は人間の血液を好み、大勢の人間が殺された歴史がある。そうでなくても人族を奴隷として買っていた吸血鬼族は多かったのだ。それがその当時は普通であり、当たり前のことだった。
現在は人族と吸血鬼族で和平協定が結ばれたと言っても、過去の確執というものは中々拭い去れるものではない。人間にとって吸血鬼は、天敵という認識があるのだろう。
するとミドが言った。
「ここで話してても仕方ないね~。とにかく、この国の観光でもしよっか~」
ミドは空を見てにっこり微笑みながら言った。
「そ、そうだな。あんなこと……旅してりゃあ、よく見る光景だ」
「何だか良く分からないっスけど……とにかく、この国を見て回るってことっスね! 了解っス!」
キールとフィオは、ミドに賛同して町の中央に向かって歩きだした。ミドが振り返って、少女が消えていった方向に目を向けてつぶやく。
「あの子、名前なんて言うのかな……」
ミドは、そう言うとキールとフィオの後をついて行った――
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