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第21話
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重い扉を体で押し開け、ようやくアリシアは廃城を出た。
日はすっかり暮れかけ、辺りは茜色に染まっていた。
城壁の向こうにはのどかな草原が夕焼けに照らされどこまでも続いている。
「むぅ....さすがに痛むな......」
アリシアの右手は簡単に木片で添え木を当てられ、ボロ布の三角巾で吊られている。
力を込めれば痛む。アリシアでも声が漏れるほどの激痛だ。ちゃんとした治癒術士にかからなくては後遺症が残るだろう。
アリシアは右手をかばいつつ中庭を抜け、桟橋まで来た。
歩くうち小さな魔物の気配をいくつか感じたが襲ってくることはなかった。
桟橋まで来るとアリシアは目を丸くした。
そこにはシェハードが城に入るときと同じように待っていたからだ。
「本当に待っていたんですか。まさかずっとその位置に?」
「いやいや、さすがに。車の中でお待ちしていましたよ。野原を眺めながらでしたからちょっとしたピクニック気分でした」
シェハードはにっこりと笑った。
「お疲れ様です。随分なご様子ですね。屋敷には腕の良い術士を待たせていますので」
「ありがとうございます」
「亡霊は討伐出来たのですね? 外からでは何も分からなかったもので」
どうやら、黒騎士の異界じみた領域のせいで中の音さえ外には漏れていなかったらしい。
「ええ、なんとか。とんでもない相手でした」
アリシアは苦笑した。実際、アリシアが相手にしてきた中でも三指に入る強敵だった。二度と相手をしたくない類だ。なにせ死にかけるのだから。
そんなアリシアを見てシェハード深く頭を下げた。
「ありがとうございました。このご恩は忘れません」
「いえいえ、ただ仕事をこなしたまでです。それにあなたがそこまで感謝することでも。依頼主はエールズ氏なわけですから」
シェハードのやけにかしこまった態度に違和感を抱きアリシアは言った。
対するシェハードは静かに廃城を仰ぎ見た。最早正真正銘ただの廃城になったその建築物を。
「あの黒騎士はこの城に使えていた騎士だったそうです」
「ほぅ?」
「城から遠くの戦場で命を落としたそうですがね。その戦いと同時にこの城も攻め落とされたと聞きます。それと同時に黒騎士の亡霊が城に現れるようになったそうです。城を攻め落とした軍勢さえも退けたと」
「なるほど。確かにそれぐらいは強かったですね」
アリシアの言葉にもシェハードは寂しそうに城を見つめたままだった。
「騎士は恋をしていたそうです。この城の姫君に身分違いの叶わぬ恋を」
「なるほど。姫君が死んだことにも気づけずに、何百年もこの城を守り続けていたのですか。ロマンチックな話ですね」
「そのせいでここに入った沢山の人が死んだのですからはた迷惑なロマンチックですけどね」
シェハードは苦笑した。
そして、ここまでシェハードの話を聞き、アリシアはひとつの予感に思い至っていた。
「やけに詳しいですが、もしやあなたは」
「はい。この城は元々の名をシェハード城と言います。もはやわずかな文献にしか残っていない名前ですが。わたしはこの城の王族の分家の末裔になります」
「なるほど。あなたが本当のこの城の主でしたか」
「いえいえ、もはやただ愛着を持つだけの一般人ですよ」
シェハードは困ったように笑うだけだった。
つまり、依頼主のオムニと同じほど、ひょっとしたらそれ以上にシェハードはこの城にこだわりがあったのかもしれなかった。
誰よりもこの城に関係が深いのは他ならないただの使用人に見えたシェハードだったのだ。
「あの騎士を妄念から解放してくださったこと、一族の末裔として深く感謝いたします」
「それは、どうも」
アリシアも一礼した。シェハードなりにあの亡霊の存在を気にかけていたようだった。もはや何百年前の話だ。関係ないと言ってしまえばそれまでだろうに。
しかし、そこまで城に思い入れがあるならば別の問題が発生する。
「これからこの城はエールズ氏の持ち物になるわけですがその辺はよろしいのですか?」
「いえ、なりません。旦那様にはこれでご退場いただきます」
「ほぅ?」
シェハードは一枚の紙を書簡から取り出しアリシアに見せた。
「これは、この城に入って返ってこなかったもののリストです」
「これは.......」
そこにはおびただしい数の名前が記されていた。オムニは送った人間はある程度帰ってきたかのようなことを言っていたがどうやら嘘っぱちだったようだ。このリストには百人近くの名前が載っている。この有様では念書を書かせたと言う話もどこまで本当か疑わしいだろう。
「旦那様はこのリストに載った人々を金と権力でなかったことにしています。このリストと城の中に残った血糊や遺留品、それらを警察に突き出します。旦那様は他にも様々なことに手を染めておいでですがその辺りの証拠もまとめて提示いたします」
アリシアがここに戻るまで、城の中には先ほどまでなかった血だまりの跡や戦ったものの装備や衣服が散乱していた。黒騎士が消え、城が元通りの廃墟になったからだろう。
つまり、シェハードは城の証拠、そして今まで集めた不祥事の証拠、それらを纏めて警察に提出し、オムニを失脚させるつもりらしい。側近だからこそ出来ることだろう。
「それで勝算はあるのですか?」
なにせオムニほどの権力者だ。
「半々と言ったところですかね」
しかし、言葉とは裏腹にシェハードは力強く言った。
確かに、いかに権力者とはいえ人死にをここまで出したという話はオムニの立場に非常に大きな影響を与えるだろう。
シェハードは本気で戦うつもりらしかった。一族のためなのか、それともこれまで見てきた全ての不正への帳尻会わせのためなのか。アリシアには分からない。確かなことはその先にアリシアが関わることはないということだった。
そして、それよりもアリシアには重要なことがあった。
「ちなみに、今回の報酬は?」
「ご心配なく。最悪の場合でも私が確かに払いますので」
「それを聞いて安心しました」
騎従士として、それが最も重要な話だった。ここまで死にかけて依頼人が金を払わずただ働きでしたでは割に合わなすぎるのだ。ただでさえ、賃金が見合っていないのだから。
「申し訳ありません。もう少し事情を話せば仕事もスムーズだったかもしれませんが。アリシア様が依頼を放棄して城を出る可能性もあったもので」
「いえいえ、事情があるなら仕方ない」
確かに黒騎士の出現場所や、最後に護っていた部屋の位置などが知れれば少しはスムーズだったかもしれないが少しだ。結局死にかけることに代わりはなかっただろう。
シェハードにも立場がある。一番の敵がオムニである以上、行動に限界があったのだ。
「それに、少しばかり信じていたのです。特級騎従士『楓剣のアリシア』を」
「あなたが思うほど大した人物ではありませんが、それはどうも」
アリシアは少し笑顔を浮かべながら言った。
それからアリシアとシェハードはオートモービルに乗り込んだ。
屋敷に戻りアリシアは治癒術式を受けなければならない。
任務達成の知らせにオムニは歓喜し、大層アリシアをもてなすだろう。しかし、アリシアはそれを受けずさっさと屋敷を後にするつもりだった。
色々面倒過ぎた。
シェハードはすぐに行動を起こすことはないであろう。
王都に戻った頃にでも、新聞を工業界隈の重鎮の一大スキャンダルが賑わすのかもしれなかった。
そして、アリシアはそれを眺めて、少しだけ満足するのかもしれなかった。
日はすっかり暮れかけ、辺りは茜色に染まっていた。
城壁の向こうにはのどかな草原が夕焼けに照らされどこまでも続いている。
「むぅ....さすがに痛むな......」
アリシアの右手は簡単に木片で添え木を当てられ、ボロ布の三角巾で吊られている。
力を込めれば痛む。アリシアでも声が漏れるほどの激痛だ。ちゃんとした治癒術士にかからなくては後遺症が残るだろう。
アリシアは右手をかばいつつ中庭を抜け、桟橋まで来た。
歩くうち小さな魔物の気配をいくつか感じたが襲ってくることはなかった。
桟橋まで来るとアリシアは目を丸くした。
そこにはシェハードが城に入るときと同じように待っていたからだ。
「本当に待っていたんですか。まさかずっとその位置に?」
「いやいや、さすがに。車の中でお待ちしていましたよ。野原を眺めながらでしたからちょっとしたピクニック気分でした」
シェハードはにっこりと笑った。
「お疲れ様です。随分なご様子ですね。屋敷には腕の良い術士を待たせていますので」
「ありがとうございます」
「亡霊は討伐出来たのですね? 外からでは何も分からなかったもので」
どうやら、黒騎士の異界じみた領域のせいで中の音さえ外には漏れていなかったらしい。
「ええ、なんとか。とんでもない相手でした」
アリシアは苦笑した。実際、アリシアが相手にしてきた中でも三指に入る強敵だった。二度と相手をしたくない類だ。なにせ死にかけるのだから。
そんなアリシアを見てシェハード深く頭を下げた。
「ありがとうございました。このご恩は忘れません」
「いえいえ、ただ仕事をこなしたまでです。それにあなたがそこまで感謝することでも。依頼主はエールズ氏なわけですから」
シェハードのやけにかしこまった態度に違和感を抱きアリシアは言った。
対するシェハードは静かに廃城を仰ぎ見た。最早正真正銘ただの廃城になったその建築物を。
「あの黒騎士はこの城に使えていた騎士だったそうです」
「ほぅ?」
「城から遠くの戦場で命を落としたそうですがね。その戦いと同時にこの城も攻め落とされたと聞きます。それと同時に黒騎士の亡霊が城に現れるようになったそうです。城を攻め落とした軍勢さえも退けたと」
「なるほど。確かにそれぐらいは強かったですね」
アリシアの言葉にもシェハードは寂しそうに城を見つめたままだった。
「騎士は恋をしていたそうです。この城の姫君に身分違いの叶わぬ恋を」
「なるほど。姫君が死んだことにも気づけずに、何百年もこの城を守り続けていたのですか。ロマンチックな話ですね」
「そのせいでここに入った沢山の人が死んだのですからはた迷惑なロマンチックですけどね」
シェハードは苦笑した。
そして、ここまでシェハードの話を聞き、アリシアはひとつの予感に思い至っていた。
「やけに詳しいですが、もしやあなたは」
「はい。この城は元々の名をシェハード城と言います。もはやわずかな文献にしか残っていない名前ですが。わたしはこの城の王族の分家の末裔になります」
「なるほど。あなたが本当のこの城の主でしたか」
「いえいえ、もはやただ愛着を持つだけの一般人ですよ」
シェハードは困ったように笑うだけだった。
つまり、依頼主のオムニと同じほど、ひょっとしたらそれ以上にシェハードはこの城にこだわりがあったのかもしれなかった。
誰よりもこの城に関係が深いのは他ならないただの使用人に見えたシェハードだったのだ。
「あの騎士を妄念から解放してくださったこと、一族の末裔として深く感謝いたします」
「それは、どうも」
アリシアも一礼した。シェハードなりにあの亡霊の存在を気にかけていたようだった。もはや何百年前の話だ。関係ないと言ってしまえばそれまでだろうに。
しかし、そこまで城に思い入れがあるならば別の問題が発生する。
「これからこの城はエールズ氏の持ち物になるわけですがその辺はよろしいのですか?」
「いえ、なりません。旦那様にはこれでご退場いただきます」
「ほぅ?」
シェハードは一枚の紙を書簡から取り出しアリシアに見せた。
「これは、この城に入って返ってこなかったもののリストです」
「これは.......」
そこにはおびただしい数の名前が記されていた。オムニは送った人間はある程度帰ってきたかのようなことを言っていたがどうやら嘘っぱちだったようだ。このリストには百人近くの名前が載っている。この有様では念書を書かせたと言う話もどこまで本当か疑わしいだろう。
「旦那様はこのリストに載った人々を金と権力でなかったことにしています。このリストと城の中に残った血糊や遺留品、それらを警察に突き出します。旦那様は他にも様々なことに手を染めておいでですがその辺りの証拠もまとめて提示いたします」
アリシアがここに戻るまで、城の中には先ほどまでなかった血だまりの跡や戦ったものの装備や衣服が散乱していた。黒騎士が消え、城が元通りの廃墟になったからだろう。
つまり、シェハードは城の証拠、そして今まで集めた不祥事の証拠、それらを纏めて警察に提出し、オムニを失脚させるつもりらしい。側近だからこそ出来ることだろう。
「それで勝算はあるのですか?」
なにせオムニほどの権力者だ。
「半々と言ったところですかね」
しかし、言葉とは裏腹にシェハードは力強く言った。
確かに、いかに権力者とはいえ人死にをここまで出したという話はオムニの立場に非常に大きな影響を与えるだろう。
シェハードは本気で戦うつもりらしかった。一族のためなのか、それともこれまで見てきた全ての不正への帳尻会わせのためなのか。アリシアには分からない。確かなことはその先にアリシアが関わることはないということだった。
そして、それよりもアリシアには重要なことがあった。
「ちなみに、今回の報酬は?」
「ご心配なく。最悪の場合でも私が確かに払いますので」
「それを聞いて安心しました」
騎従士として、それが最も重要な話だった。ここまで死にかけて依頼人が金を払わずただ働きでしたでは割に合わなすぎるのだ。ただでさえ、賃金が見合っていないのだから。
「申し訳ありません。もう少し事情を話せば仕事もスムーズだったかもしれませんが。アリシア様が依頼を放棄して城を出る可能性もあったもので」
「いえいえ、事情があるなら仕方ない」
確かに黒騎士の出現場所や、最後に護っていた部屋の位置などが知れれば少しはスムーズだったかもしれないが少しだ。結局死にかけることに代わりはなかっただろう。
シェハードにも立場がある。一番の敵がオムニである以上、行動に限界があったのだ。
「それに、少しばかり信じていたのです。特級騎従士『楓剣のアリシア』を」
「あなたが思うほど大した人物ではありませんが、それはどうも」
アリシアは少し笑顔を浮かべながら言った。
それからアリシアとシェハードはオートモービルに乗り込んだ。
屋敷に戻りアリシアは治癒術式を受けなければならない。
任務達成の知らせにオムニは歓喜し、大層アリシアをもてなすだろう。しかし、アリシアはそれを受けずさっさと屋敷を後にするつもりだった。
色々面倒過ぎた。
シェハードはすぐに行動を起こすことはないであろう。
王都に戻った頃にでも、新聞を工業界隈の重鎮の一大スキャンダルが賑わすのかもしれなかった。
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