雷槌のロビンと人形遣い

かもめ

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第2話 くたびれた日々

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 空がやけに晴れていた。
 秋が深まりつつある上吾妻市は寂れた地方都市らしく閑散としてる。平日日中、道行くのは運送業者や営業などの労働にいそしむ人々の車ばかりだ。
 豪雪地帯である上吾妻は冬の前の最後の平穏を謳歌しているように見えた。
 街から外れた郊外には田畑が広がり、稲穂はふさふさと実っている。
 街中のコンビニもハロウィンにちなんだものだのさつまいもスイーツだのが並ぶ。
 夜になれば虫が鳴き、ようやく涼しくなってきた風が草木を揺らす。
 そういった、穏やかな時期だった。
 しかし、気候がどうなろうが、虫がどうなろうが、食べ物がどうなろうが人間の生活には全然関係なかったりする。
 秋の落ちついた日射しが照らす上吾妻の海辺の公園に一人の男が佇んでいた。
 ベンチに座ってどこを見るでもなく視線を漂わせていた。
 辺りにはカヤが風に揺れ、波は優しく音を立てていたが男の目は死んでいた。
 男の名前は伊口葉仁、彼は今休職中だった。
 有り体に言って、仕事で体を壊し、都会から実家のあるこの上吾妻に戻ってきていた。
 なのでこのようにうつろな目で、力ない体でベンチでうなだれているのだ。
 完全に休養が必要な立場であり、現実を直視する気力はあまりなかった。
 しかし、これでもかなりマシになった方だった。休職してから早二ヶ月。
 体調は大分戻ってきていた。少なくともこうして気分転換に自転車で公園まで来れるくらいには。
 倒れた当初は自分の体調が限界を超えたことを認識することさえ出来なかったのだ。
 ただ、仕事が止まったということと、早く戻らないとならないという思いだけが当初はあった。思えばそれがもうおかしかったのだが、伊口はとにかく追い詰められていた。なので正確に自分の今置かれている状況も把握出来なくなっていたのだ。
 体調を壊す前というのは往々にしてそういうものなのかもしれない。
 思うに会社が悪く、伊口は悪くなかったのだが、そう思うことさえなかったのだ。
 とにかく、伊口は思い出したくもなかった。今はそういう感じだった。
 医者に言われて仕事を休むことになり、ただ日々を過ごしていた。
 体調は普通に生活する分には問題ないほどになっていた。
 しかし、仕事についてはなにも考えたくなかった。今会社がどうなっているかも良く知らなかった。ただ、休んでいた。そして、この先どうなるかも分からなかった。
 ただ、呆然と日々が過ぎていた。
「はぁ.....」
 溜め息と共に伊口は眉間を押さえた。頭の芯が重い気がした。こういう時はめまいが起きる。思えば倒れた時もめまいがしていたのだ。伊口めまいは嫌いだった。
 しかし、しばらく眉間を押さえていると少しずつその感覚は薄れていった。
 やはり、休職したてのころより体調は良くなっている気がした。
「ちょっと動くか....」
 弱々しい声で伊口は言い、立ち上がると自転車にまたがった。
 車を動かすのはあまり気乗りしなかった。自転車での移動が伊口は今合っている気がしていた。軽い運動にもなる。医者はそろそろ軽い運動をするように勧めていた。
 ハンドルを切り、海岸の通りを走る。
 上吾妻の平日の日中はこれといった車通りはなかった。時たま伊口の横を通り過ぎるが静かなものだ。当然道を歩く人など居なかった。
 さっき伊口が居た公園でさえ、人気なんかなく居たのは伊口一人だった。
 寂れた地方都市なんかこんなものなのかもしれない。
 これといった目的地は伊口にはなかった。
 ただ、なんとなく両親の居る家に居づらいので日中はこうしてぶらぶらしているのだ。
 別に邪魔者扱いなどされてはいないし、むしろ大いに心配されていたがそれでも居づらかった。
 だからこうして昼から日が暮れるまでは自転車を走らせているのだ。
 田舎なので職質されるということもなかった。
 公園からフェリー乗り場を通り過ぎ東に向かったがそっちにあるのは工業地帯だった。
 西に行けば商店などが並ぶ比較的賑やかなエリアだが、伊口はそっちに行くのは嫌だった。なるべく人目には触れたくなかった。だから、この殺風景な工業地帯の方がむしろ落ちつくのだった。
 工場が立ち並び、合間に放置され雑草が伸び放題の空き地が挟まっている。そしてたまに民家。そんな風な無機質な景色が続いていた。
「はぁ.....」
 溜め息混じりに伊口は自転車を止める。少し疲れたからだ。海岸から1kmもない距離だったが、体は少し重かった。
 自転車に付けたドリンクホルダーからミネラルウォーターを取り、キャップを開けて口に含んだ。
 さわさわと穏やかに風が吹き抜け草木が揺れていた。
 どこかの工場から機械音が響いていた。
 通りに居るのは伊口一人で静かだった。伊口の心は少し落ちついていた。
「ふぅ.....」
 息を吐き、もう一口水を飲んだ。伊口は揺れる葉音に耳を澄ませて、景色を眺めていた。
 その時だった。
「ん?」
 風に揺れる木々の音や、工場からの音以外に妙な音が響いていた。
 それはオルゴールの音だった。こんな辺境に不釣り合いな綺麗な人工の音だった。
「ダニーボーイってやつか」
 聞こえた曲名をなんとなく思い出す伊口。オルゴールの音はかなり近くから響いていた。
 近くにあるのは工場と廃屋で、どうやら廃屋からオルゴールは鳴っていた。
 気まぐれでしかなかったが、伊口はその廃屋へと近づいていった。
 廃屋からオルゴールが鳴っているなんていうのは怪しくて妙だったからだ。
 なにが起きているのか、伊口は単純に気になったのだった。
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