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五道転輪王

57、→怒りと理解←

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 私は暇を持て余し、まだ温かい自分の遺体ぬけがらの首にキツく掛けられた縄を解こうとそっと縄に手を差し出した。 

 スッー

だが、予想通り縄は音をたてずに手からすり抜けていった。  

今の私は中陰ちゅういん。 

現世この世とあの世の中間の存在だ。

 今世の物に触れられないなど、当然と言えば当然の事だ。  

義隆不倫相手の男は、私の首を締め終えると、私の遺体がリビングの床に転がると同時に蒼い顔をして風の様に部屋を走り去っていった。  


「あ~ぁ。行っちゃった。無責任なヤツ。冥府に来たら罪、3割増にしてやろ。でも、毎日夕飯作りに来てくれたし、ご飯美味しかったし……。ん~。じゃぁ、地獄道じごくどう500年の刑で。まぁ、私を締め殺したんだからそれくらいの罪よね。じんの刑期の半分よ!善き、善き。それにしても……短い人生だった」 
  

私がそう呟き、空を見上げた瞬間、夕暮れのオレンジ色の空を仰ぐ私の視界に大きな黒い塊が横切った。

 それは私の前にゆっくりと降りて来ると音もたてず静かに停まった。

 霊柩車れいきゅうしゃのような黒塗りの2階建ての大型バスだ。 

 バスの車体は壁を越え隣室まで張り出している。  

だが、それをとがめる人間は誰もいない。 

 ドンッ カッカッカッ   ドサッ 


「お待ちしておりました、五道転輪王様ごどうてんりんおうさま


 大柄の若い造りの男は口から下に布口面を下げ、布口面と同じ地の白い官服の袖を風にはためかせながら、運転席から降りてきた。 


 すると男は、私の側に向かって3歩、歩き恭しくひざまずいた。 

 彼は元・部下の冥官、。 

彼は嬉しそうな声音とは裏腹に眉間に濃い皺を寄せ、以前よりもやつれたようにくまこさえた人相をしている。


 「、半年ぶり。お迎え御苦労様」 

「おかえりなさいませ。心からお待ち申し上げていました。五道様ごどうさま。御手を……」


男は私がバスに近づくとこうべを垂れ、バスから延びた短い赤い階段に昇りやすいように手摺てすり代わりに優しく手を差し伸べた。 


「……」  


私はその姿に微笑み、無言で男の手に自分の手を乗せるとバスの入口に立った。

 ガタンッ

バスの入り口の床には、大きめの半月型のマットが敷いてある。 

バスの中に一歩足を踏み入れると白色のカプセルトイの機械がこれでもかと言う程、天井までうず高く積まれていた。  

そして中央の壁には毛筆で書かれた紙が貼られている。 

なかなか達筆だ。

床には朱色の曼荼羅まんだら絨毯じゅうたん。 

2階へ繋がる階段には人が入れないように曼荼羅まんだらの描かれたあかい扉が設置してある。  

このバスは数年前に自分が描いた設計図そのものであった。 


、ありがとう。すごく素敵な……魅力的なバスだわ」

「はっ。お褒めの言葉有り難く」


私は彼の返答に気まぐれの笑みを浮かべ、1番近くのカプセルトイの機械を優しく撫ぜながら話を続けた。 


「それにすごく短かったけれど、今世は有意義な毎日だった……気がする」 


「それはようございました。五道様ごどうさま。では、2階にご案内いたします。足元は大変、暗くなっておりますので、お気を付けくださいませ」 


 ガチャ

そう言うとは、2階に上がる階段に繋がる扉を開け、階段に電気をともした。 
  

「ありがとう」


私は2階に上がる為、階段の手摺てすりつかみ、彼の後に続きゆっくりと階段を登っていく。

 2階への短い階段を登り終えると1階同様、2階も正面の壁一面カプセルトイの白い機械で埋め尽くされていた。

 カプセルトイの台数は1階よりも少ないが同じ機種の機械だ。  

その白いカプセルトイを一瞥いちべつすると私はポケットからくだんの金色のコインを取り出し胸に抱きしめた。

そしてゆっくりと祈るように眼を閉じ、くだんのカプセルトイの機械を鋭い双眼で捉える。

そう、私は冥府から3つの私物を持参して人間道にんげんどうにやってきた。 

1つ目は、朱色あかいろ携帯電話ガラケー。 

あとの2つは怪しげに輝く親ガチャ専用の金貨コインだ。 

 1枚はすでにガチャガチャの機械の中に収まっているようだ。

 私は、生まれ変わってから、この時死期がいつ訪れても良いように、コインをいつも肌着の内ポケットに入れていたのだ。   

そのせいで和文かずふみと同じように自分の死期を速めてしまったかもしれない感は否めないが。 

 そんなことを考えながら私は、ガチャガチャの機械の前に立つと人差し指を立てて 「地獄の沙汰も運次第。ど、れ、に、し、よ、う、か、な、ご、ど、う、て、ん、り、ん、お、う、の、い、う、と、お、り」 数え歌を歌い始めた。 
 

「……ふふっ。この機械に…決めた!」 


そして私は指の止まったカプセルトイの機械を見つめると不敵な笑みを浮かべハンドルを優しく右にゆっくりと回した。

 ガチャガチャガチャガチャ

私の選んだカプセルトイの機械はちょうど、私の背の高さから回しやすい位置に置かれた機械だった。

 はその様子を見届けると背中を見せず暗闇に静かに消えていった。 

 ストン

私の引いたカプセルトイの機械のカプセルは……今までで1番、軽い優しい音がした。
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