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後宮

34、→祝い←

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南北朝時代のはじめ。 

華の都の中心部に置かれていた後宮では、国内外から選抜された13人の美しい女性たちがそれぞれ皇太后様から下賜かしされた色の衣を身に纏い、醜い争いを繰り広げていた。 

そして私たちの入宮後、すぐに後宮に新しい女が何人か入ってきた。

 多くは地方の高官や豪商の娘だと聞いたが、皇帝陛下は家臣に勧められたら断ることができない意気地のない性格のようだ。

そんなこんなで、すぐに美人の位は15人に近づき、後宮も手狭になっていった。

そんなある春先。 

蛮行を繰り広げる女たちの嫉妬で後宮の秩序が乱れ始めたことに頭を悩ませた皇帝はある古典的な伽選とぎえらびを始めることにした……。 



 先日から皇帝は夜伽よとぎの相手を決める時、しんの武帝に倣い、後宮の妃のへやを羊引かせた車に乗って回ることにした。 
  
羊が止まったへやの妃がその晩、皇帝の相手をすることになる。

私の姉、じんは皇帝がへやの前を通る時に自室の前に竹の葉を挿し、塩を盛るように毎度、指示をした。

これは生物に詳しい私の入れ知恵である。

羊は竹の葉を食べ、塩を舐める為にじんへやの前で止まることからじんは度々、とぎの相手に選ばれその後も自慢の豊満な胸が功を奏し、皇帝から寵愛を受けることができた。

皇帝は同じへやに住むじんの下に毎夜、通っているらしいが、私はこのへやで皇帝陛下の顔を見た記憶はない。

入宮後、私はじんと同じはへやに住むこととなった。

ふたりはそれぞれ個室付きの身分ではあったが、生まれつき強い太陽の光を浴びることのできない体質のふたりを別々に世話するのは難しいと私はあねと同じ舎で生活することとなったのだ。

私は入宮後すぐから知り合った後宮に出入りする石仏師(宦官)に石仏の彫り方を教わって多くの時間を石仏を彫る時間に充てている。 

それ以外の時間は薬草学の書物を読むか斉嬀せいきと私の部屋納屋のある中庭で茶会をして過ごすことが日課となった。 

私は他の貴嬪とは違い、衣食住が保証されていれば、皇帝陛下のお渡りがなくても気にしてはいなかった。 

だが、先日、私付きの最後の女官のひとりをあねに召し抱えられ、整理整頓の苦手な私は汚部屋で生活することを強いられたのには少し厄介なことであった。
 

 秋。私は後宮での生活にも慣れ暇を持て余した私は、10体目の石仏を彫り進めていた。 

今までの石仏は馴染みの寺院にあった男性の仏像をモチーフにして掘っていたが、今回は自身をモチーフにした女性の石仏を創ることにした。

丁寧に輪郭を整え、あとは顔を彫るだけという段階まで掘り進めている。

顔はまず左側を掘りあとはバランスを見て右側を彫っていく予定だ。

ガタガタガタ……  



りょく、いる?」


納屋の扉が開き、晩秋の肌寒い季節の風が部屋の中を優しく吹き抜ける。


「うん。斉嬀せいき。ここにいるよ」


私は石仏を彫る為、女官の着るような漢服の|裳に前掛けをした出で立ちをしている。

髪は未婚の女性のように簡素に髪を纏め、面倒なので普段はかんざしはつけてはいない。

斉嬀せいきの優しい声に呼応するように私は石仏とのみを机の上に置くと前掛けの小石を払い、彼女の待つ納屋の入り口に手を振った。

今日は曇。 

斉嬀せいきとの決めごとで曇の日で且つふたりの用事のない日は私の住む納屋近くの中庭で茶会を開くと決めていた。 

皇帝陛下はじんが1番のお気に入りのようだったが、斉嬀せいきもまた他の貴賓よりも皇帝陛下のお渡りの回数が多いと聞いた。  

曇の日に催される茶会の回数も3回に1回程度だ。 


「また、散らかってるわね。懲りない性格だこと」


 斉嬀せいきは口を袖で隠しながら悪戯っぽく笑うと空気を入れ替えるため窓に掛けられた分厚い緑の天幕を開けた。 


「散らかってない。気分で、置き場所を変え
ているだけ……」 


私は言葉を濁し彼女から目を逸らした。 

最近、女官が納屋に近づかない為、今日も納屋の床には私物が散乱してしまっている。


「周囲に惑わされず、自分の心に従いなさいってこの前、説教に来たお坊様も言ってたじゃない。だから、この部屋は……」

「もう、子どもじゃないんだから、言い訳しない。この1番下の衣、5日前に着ていた物よね。洗濯させた衣、持って来たから毎日ちゃんと着替えるのよ。それと石仏様も良いけど、食事も決められた時間にとること。あとは……」 


ガタン コトンッ

彼女は私の脱ぎ散らかした衣を数枚、籠に入れると籠を納屋の外まで運んだ。 

普通の高官の娘は箸よりも重いものを持たないというが、彼女は週に数回、茶会の前に嫌な顔もせず、納屋の掃除を手伝ってくれる。  

今日の盛大に散らかされた汚部屋の片づけは半刻ほど続いた。

私は、実姉にどんな酷い仕打ちをされても血の繋がった姉のように頼りになる存在の友の斉嬀せいきが側にいてくれる時間が幸せだった……。
 
この時期(とき)の私は後宮で、この幸せな時間を糧にただ、けだるき1日を生きるだけのつまらない存在であった。 



「この石仏様、女性?顔……りょくによく似ているわね。特にこの高い、美しい鼻」 


斉嬀せいきはそう言うと机の上に置かれた10体目の未完成の石仏を取り上げ棚に並べた。 

私の掘り上げた九体の石仏はそれぞれ馴染みの寺に掛けられた絵や不動明神や観音様、菩薩様の仏像を思い出し、模倣して彫った。 

だが、10体目の阿弥陀如来あみだにょらい像は自分の顔に似せて彫り進めている。 

この10体の石仏が斉嬀せいきの優しい手により、棚に並ばされると何とも言えない穏やかな不思議な空気に納屋が包まれた。 


「さぁ、お茶にしましょう。今日は、お父様からいただいた月餅げっぺいがあるわよ。りょく月餅げっぺい、好きでしょ?茶器は……」 


彼女はそう言うと自分付きの女官に茶器の支度を手伝うように優しく促した。 

私は中庭に置かれた天幕の中の長椅子に座ると斉嬀せいきの空色の衣がゆっくりと揺れ、茶器が湯で満たされていくのをただじっと見つめていた。 

当時の私はこんな穏やかな日々が永遠に続くと思っていた。 

だが、あの事件がきっかけでこの日が彼女との最期の茶会になってしまったのだ。 



 朝、分厚いサテンの布地のカーテンの向こうに光る太陽の光で目覚め、夜は月が昇るきる前に蠟燭ろうそくあかりを吹き消す。

こんな人間として当たり前の生活は今まで昼夜逆転の生活を営んできたじんと私にとって新鮮なものだった。

生まれた時から姉のじんも私も日の下を歩けない特別な白い肌をしていた。 

だが、盛夏の日差しの強い日でも全身を布で覆い、大きな笠を被ってなら外出もできる程度の耐久能力はあるらしい。

美人びじんというくらいは祭礼の接客をするのが仕事である。 

じんの仏教への信仰はかなり薄く、毎月の祭事の準備を理由をつけてさぼってばかり、いる。 

だが、私は初めて与えられた責任のある仕事と母の冷たい視線を感じないこの後宮での短い時間を満喫していた。

* 

とある祭事の日の晩、私はじんの仲の良いの美人びじん、5人ばかりとじんへやにある中庭に座っていた。 

恒例の宵の宴である。私は、いつも通り末席。 
 

「……んっ、この肉美味しいわ。追加で。ふたり分、しっかり食べなくてはね」 


姉のじんの夫、母の弟にあたる皇帝には、まだ皇后がいない。

なので、じんは今、自分が1番初めに男児を懐妊し皇后になろうと画策するのに忙しいようだった。  

特に食事の内容には細目に指示を出している。 
 
あの腹では懐妊したかはすぐには分からないだろう、が。 

じんと私は後宮に入宮してからお父様から届く装飾品をはじめ香油、寝具、食事の品目にも差が出てきた。 

当たり前の話、皇帝陛下の寵愛が深いじんの方が豪華だ。  

私は、死なない程度に減らされている。


 じんは、自分のへやに宴のたびに当時、珍しかっ舶来の品を飾って自慢することを生きがいとしているようだった。 

皆、宴に呼ばれるのはじんが皇帝陛下のお渡りのない宵の晩だ。 

私は10歳になった日、僧から仏教の規律を守る様に諭されたあの日以降、精進料理しか口にしていない。 

私はじんと同じ顔でも肉は食べられないのでじんとは対象に肢体からだは細いままだ。 

まれに実家の庭で飼っていた鶏を思い出して昔食べた鶏の味を思い出すことがあっても屠殺とさつしてまで食べようとは、信心深い私は思っていない。 

同じ容姿でもまな板のような胸の女に皇帝陛下は関心はないらしい。 

存在さえ忘れている可能性もあるくらいだ。 


(皇帝陛下の寵愛を受けると益々、横柄な性格になっていくのね。じん……) 


私はじんが皇帝から毎日のように栄養価の高い食材や豪華な飾りを贈られることを羨ましいとは思わなかったが、毎朝、夕、沐浴が出来るのは羨ましいと思っていた。 
 

「……」

(あれは何だろう?仏様にしては異質だし、倭人わじんが信じている国の神様か何か、かなぁ?……)
 
私はじんの聞き飽きた自慢話を他所よそに宴の途中、宴の中央に運ばれて来た海の向こうにあると言うという国から入貢した土人形つちにんぎょうと青銅製の刀に目が釘付けになった。 
 
首に継接ぎのような痕の土人形は安産のお守りだと言う。

くだんの土人形は、運ばれて来るなり、大きな眼で女たちを一瞥いちべつしているように見えた。

その土人形の纏う独特の雰囲気は、心を凍らせ、鷲掴みにし、砕くそんなおぞましい空気を纏っているものであった。
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