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岩沢和文

18、→魚の中さ←

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 おいら久しぶりに釣れた大物をどう調理しようかとクーラーボックスの中に納めた30センチ越えの黒鯛の巨体を眺めながら考えていた。 


 「天ぷら、ムニエル、カルパッチョも捨てがたい……」  


おいらはそんな独り言をつぶやき、イスに座り右の肘掛けに肉のふんだんに付いた右腕を乗せる。と、その時

バキッ ガッシャン 


「ヤバっ!」


おいら重さを支えきれなく変形した折り畳みイスがしなり、パイプが音を立てて折れる。

ドボンッ 

おいらは尻もちをつかないように腰を持ち上げるとイスはバランスを崩し、ひゅるひゅると虚しい音を立てて海の中へと消えてった。


「あ、危なかった!おいらカナヅチだから海なんかに落ちたら大変なことになっていたぞ!!」


衝撃でコンクリートに打ち付けた膝の皿を優しく擦りながら突っ伏した身体を持ち上げるとおいらは力なく呟いた。 


「最近、体もめっきり重くなってきたし、今日は……刺身さしみに決めた!」


ガタン バタン 

 おいらは気を取り直し、すぐさまクーラーボックスから刺身用の鋭利な包丁を取り出すとクーラーボックスの上にまな板を置き調理台を作っていく。

そしてその台の前に立膝をつき 

ザクッ

 黒鯛の一番柔らかい腹の皮に包丁を立てると真剣な眼差しで黒鯛をさばいていく。 

その後ろ姿の伸びる影はいつもよりも少したくましいように見えた。 

* 

 おいらは祖父の遺伝子を濃く継ぎ顔は悪いが勉強は得意だった。

国語、数学、理科、社会、英語の5教科は5段階評価でいつもオール5。 

 副科目の美術、家庭科、音楽も努力の甲斐あって5。 

体育も昔はスリムだったので努力の甲斐あり5。 ただし、水泳がある1学期の体育の成績だけは4だった。  

普通ならハイスペック男子ともてはやされていただろうが、この容姿のせいで女子からは謙遜されていた。

 家庭科で必須の包丁の使い方は祖母に習った。

父方の祖父母はお見合い結婚だったらしい。

 祖父は戦時中、男性の数が少なく運がよかったと若く優しい祖母と結婚できたことをいつも自慢していた。

祖母は祖父よりも2周りも年下で、どちらかと言えば和風の美人だ。

 祖母は農家の10人兄弟の4番目で嫁ぐ前から弟や妹の世話をしながら料理を覚えたらしかった。 

祖父に嫁ぐと決まった日、祖母は結婚相手は金持ちだが大変な不美人、強欲な壮年そうねんの男性と聞きていたので、嫁ぐことが怖くて一晩中泣いたらしかった。 

戦後、得意な英語を活かし外国との貿易で財を成した祖父を周りはひがみ色々と醜悪な噂を広めていたらしい。 

なので、はじめは祖母は祖父に嫁ぐ事が嫌で嫌でしょうがなかった祖母であったが、貧しかった祖母の父に「家族の為にお金と結婚すると思って」と言われ背水の陣の覚悟で祖父の元に嫁いできたらしかった。



 祖父と苦楽を共にしてきた祖母は父や母、弟と違い、祖父に似たおいらの容姿を一度もさげすむことはしなかった。 


「山高きがゆえに尊からず。和文かずふみ和文かずふみのままでいい。あなたしか出来ないことがあるんだから、容姿なんて気にしなくていいから、胸を張って生きなさい。お祖父様のようにね」 

それが祖母の口癖だった。 

黒鯛をさばきながら亡くなった祖母のことを思い出し、おいらは目頭が熱くなってきたのを感じた。 

おいらは黒鯛を三枚におろしている手を止め、手を洗い涙を首にかけたタオルで拭く。 


「おいらしか出来ないことって何だろう……婆ちゃん教えてくれよ……」


そんなことを呟きながら包丁を背骨に当て黒鯛の締まった分厚い身を切り刻んでいく。 

 すると胃の中ほどで刃先が何か固いものにあたる嫌な感触がした。 

ガリッ 


「ん?何だろう……」


おいらは臓物の中に手を入れ件の固いものを取り出した。 


「金色の硬貨…… 外国の硬貨かな?」 


おいらは黒鯛の胃を切り始末しようとした矢先、見つけた金色のコインを摘まみ上げた。


 「何だぁ?額面が彫ってないからコインか……なぁ」 


塩水でコインに着いた黒鯛の血糊ちのりを取りながらおいらは重い腰を上げコインを太陽にかざすためゆっくりと立ち上がった。

コインの大きさは五百円玉くらい。色は金。表には社会の資料集で見た曼荼羅まんだらと同じような模様が彫られている。 

裏には招き猫が左手をあげて微笑んでいるイラストが彫られている。


 「カッコイイ。後でけいに自慢してやろう!」 


おいらはそう言うと右のポケットにくだんのコインを押し込み黒鯛を細かくさばいていった。

固い黒鯛の皮でさえも鮮やかにさばく手つきはプロ並みだ。 


「できた。これを塩で。ん~。新鮮な魚の刺身は塩に限る。美味い!!」


防波堤の向こうに見えるオレンジ色の地平線にに向かいおいらは大声で独り言を叫んでみた。

 木霊こだまする訳はずもなく空しく広がった声がオレンジ色の海に消えて行った。 もう、陽が沈む時間だ。 


「今夜の飯も冷や飯。この半年、温かい家食食った記憶ないな……」 


おいらは高校受験の合格発表の日以降、家族と食卓を囲んではいなかった。  

この容姿と共に食事をするのは家族でさえも不快な感情になるらしい。

食事は定時になると母親が部屋の前の廊下に置いていく。おいらは母親の顔を半年間、正面から見たことはない。 


「山高きが故に尊からず。けいはおいらの顔のことなんて気にしないって言ってくれる。人間は内面だって。自信持て。おいら!!」 

* 

 そんな猛々しい独り言を呟きながら彼は家路を急いだ。 夕焼けに伸びる和文かずふみの首から上の顔と呼ばれる部分の影は怪し気に伸びている。

高校のすぐ横の曲がり角を曲がると和文かずふみの影の首から上が完全に消えてなくなっていた。  

空を見上げて歩く彼にこの事実を告げるものは周りには誰もいない。 

和文かずふみに寄り添い歩くそれはどこか気まぐれで残酷な空気をまとっている、そんな不思議な影法師をしていた。 
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