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金
51、→36✕84=48✕63←
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……ーン ゴーン
「銀、遅いわね……」
私が猫寺に生まれ変わって半年程たったある雨の日の夜。
その日は梅雨も明けきらない重い空気の夜だった。
妹猫の銀は、どういうことだか夕食の銅鑼が鳴っても帰ってこなかった。
銀は好奇心旺盛で食い意地を張っている。
前世は、猫に生まれ変わる直前まで餓鬼道にいたと聞いていた。
寝ることも好きだが、食べることが何よりも好きで誰よりも食い意地を張っている。
食事の銅鑼の音を聞けば必ず姿を見せ、誰よりも先にお気に入りの水色の器に頭を押し付けているのに……。
カタンッ
私は自分に与えられた餌の器が空になると餌箱の隣の地面にあった人間の書き残して行ったであろう落書きを見た。
36×84=48×63
こんなよく分からない事を考えるなんて人間はあながち頭の悪い生き物かもしれない、そんな事を考えながら私は空を見上げた。
今日の夕焼けに沈む地平線の彼方は嫌な暗い色をしている。
私は何か目に見えない不安に背を取られたように小さく身震いをした。
ゴーン ゴーン……
夕闇を背に寺の鐘が日が沈む刻が来たことを告げる。
「いくら何でも、おかしいわ……」
夕食の時刻がとうに終わり、他の猫たちが寝床に向かう時刻になっても銀は姿を見せなかった。
私の白い眉間に深い皺が寄せ小さく唸った。
夕食に現れなかった銀のことが心配になり、私は母猫に銀の不在を報告した。
だが、母猫は自分の毛づくろいに夢中で聞く耳を持たないというような態度で私を威嚇し、寝床から追い出したのだ。
あの日、私は仕方が無いので1匹だけで広い境内のどこかにいるはずの銀を探すことにしたのだった。
*
「ミャー」(銀、どこ?)
私は日が暮れてから寺の灯篭の灯を頼りに、社務所の中、賽銭箱の裏まで銀のお気に入りの場所を探して歩き回った。
考えうる場所、全てを鳴いて歩いて回ったが彼女はどこにも見当たらない。
「ミィ~ミィ~。」(銀!どこにいるの?)
陽が沈み終わった頃、私は本堂の裏手の崖のしゅうへんまで捜索の範囲を広げた。
普段はこんな所には来ないはずだが、念の為に匂いを頼りに歩き回る。
そして嫌な予感は的中した。
本堂の裏手の崖の手前で銀の匂いが途切れ、崖の下からか細い猫の返事が聞こえたのだ。
「……ミィー」(銀、どこ~?)
「みゃ~…み…」(お姉ちゃん…たす…)
「……?」(え?)
私は声を頼りに恐るおそる短い首を伸ばして崖の下の奈落の底を覗き込む。
すると銀の尾と思われる白い毛の塊が小枝に絡みついて黒い双眼が闇夜で金色に光っているのが見えた。
(崖から張り出た小枝に銀が引っ掛かっている!?)
私は再び状況を確認す為に谷底に頭を入れた。
そして妹のピンチを悟ると急いで頭を上げ、前足で地面を蹴り、和尚を呼びに社務所に向かう。
(あの、崖はいけない。あんな高い所から落ちたら猫でも助からない……。あぁ、どうか、間に合って……)
私は一目散に社務所に向かい走り続けた。
その刻は月が傾き始めた頃になっていた。
「ミャ~」(和尚様、助けて)
バリッ ドサ、バタン、ドン
私は銀の無事を御仏に願いながら全速力で走った。
そして速度を落とさないまま、前足で障子を蹴破って社務所に併設されている和尚の部屋に入り、和尚の前で止まった。
「…………っあ」
猫用の餌である鶏の頭の水煮を仕込んでいたの和尚は、突然の私の襲来に驚き小さな悲鳴を上げた。
「金、か……。お転婆はいけないよ。障子が破れてしまったではないかぁ。それに、そんなに髭を逆立てて。いつも一緒の銀はどうしたんだね……」
「ふっ~!!」(ついてきて!!)」
私の刺すような強い眼光に和尚は銀の身に異常事態が起きたのだと察し、草履を履いて前を走る私の後を追いかけて来た。
(和尚が察しが良い人てよかった。でも、もう、時間がない……)
私は必死で闇夜を走り抜けた。
自分が自分を追い越すそんな不思議な感覚に苛れるくらい私は必死で走り続けた。
ただ1匹の妹猫を救う為に……。
私は遅れて走る老齢の和尚に苛立抱えながら本堂の裏手にある崖の上に立った。
崖に張り出た木の枝には妹がいるはずだ。
「ミャ……」(やっぱり、怖い……)
私の背丈の何十倍もある高さの崖の奈落の底を見据え息を呑んだ。
肢体が小刻みに震える。
汗で自慢の髭と尾も下がる。
けれど、愛する妹の銀を救う為ならと私は短い前足を精一杯伸ばし地面にへばり付いた。
「……」 (ダメだ。前足では届きそうもない。じゃあ、少しでも長い尻尾で……)
私は崖のギリギリに立ち尻尾を下に垂らした。
「危ないよ!金、今、綱を持ってくるから、待っていなさい……」
和尚はそう言うと社務所に走った。
「……ミィ」
(あと少し、和尚を待っていれば、綱を持ってきて助けに来てくれるかもしれない。でも、もし間に合わなかったら……)
「……ミィャ」(あっ!お姉……)
ガラガラガラ……
私の体重を支えた、へり出した崖の岩が剥がれ落ち音を立てて崖の下に崩れ落ちていく。
崖から落ちた小石は奈落の底まで落ちると小さく音をたてて消えた。
想像していたよりも奈落の底は遠いようだ。
「ミャ(……)」 (銀を早く助けなきゃ。あと少し……)
私は崖の端にしがみつき、前足に力を加えた。
だが、その瞬間
ガラガラガラ バキッ ザザー
「……(……)」
「き~ん~!」
私の前足を乗せていた薄い岩盤が剥がれ落ち、私は岩ごと奈落の底に吸い込まれていった。
頭上からは銀と和尚の叫び声が聞こえたが、その声を最後に私は冥府へと戻っていった。
*
猫・金(きん) 享年6ヶ月。
妹を助けようと奮闘し滑落死。
「銀、遅いわね……」
私が猫寺に生まれ変わって半年程たったある雨の日の夜。
その日は梅雨も明けきらない重い空気の夜だった。
妹猫の銀は、どういうことだか夕食の銅鑼が鳴っても帰ってこなかった。
銀は好奇心旺盛で食い意地を張っている。
前世は、猫に生まれ変わる直前まで餓鬼道にいたと聞いていた。
寝ることも好きだが、食べることが何よりも好きで誰よりも食い意地を張っている。
食事の銅鑼の音を聞けば必ず姿を見せ、誰よりも先にお気に入りの水色の器に頭を押し付けているのに……。
カタンッ
私は自分に与えられた餌の器が空になると餌箱の隣の地面にあった人間の書き残して行ったであろう落書きを見た。
36×84=48×63
こんなよく分からない事を考えるなんて人間はあながち頭の悪い生き物かもしれない、そんな事を考えながら私は空を見上げた。
今日の夕焼けに沈む地平線の彼方は嫌な暗い色をしている。
私は何か目に見えない不安に背を取られたように小さく身震いをした。
ゴーン ゴーン……
夕闇を背に寺の鐘が日が沈む刻が来たことを告げる。
「いくら何でも、おかしいわ……」
夕食の時刻がとうに終わり、他の猫たちが寝床に向かう時刻になっても銀は姿を見せなかった。
私の白い眉間に深い皺が寄せ小さく唸った。
夕食に現れなかった銀のことが心配になり、私は母猫に銀の不在を報告した。
だが、母猫は自分の毛づくろいに夢中で聞く耳を持たないというような態度で私を威嚇し、寝床から追い出したのだ。
あの日、私は仕方が無いので1匹だけで広い境内のどこかにいるはずの銀を探すことにしたのだった。
*
「ミャー」(銀、どこ?)
私は日が暮れてから寺の灯篭の灯を頼りに、社務所の中、賽銭箱の裏まで銀のお気に入りの場所を探して歩き回った。
考えうる場所、全てを鳴いて歩いて回ったが彼女はどこにも見当たらない。
「ミィ~ミィ~。」(銀!どこにいるの?)
陽が沈み終わった頃、私は本堂の裏手の崖のしゅうへんまで捜索の範囲を広げた。
普段はこんな所には来ないはずだが、念の為に匂いを頼りに歩き回る。
そして嫌な予感は的中した。
本堂の裏手の崖の手前で銀の匂いが途切れ、崖の下からか細い猫の返事が聞こえたのだ。
「……ミィー」(銀、どこ~?)
「みゃ~…み…」(お姉ちゃん…たす…)
「……?」(え?)
私は声を頼りに恐るおそる短い首を伸ばして崖の下の奈落の底を覗き込む。
すると銀の尾と思われる白い毛の塊が小枝に絡みついて黒い双眼が闇夜で金色に光っているのが見えた。
(崖から張り出た小枝に銀が引っ掛かっている!?)
私は再び状況を確認す為に谷底に頭を入れた。
そして妹のピンチを悟ると急いで頭を上げ、前足で地面を蹴り、和尚を呼びに社務所に向かう。
(あの、崖はいけない。あんな高い所から落ちたら猫でも助からない……。あぁ、どうか、間に合って……)
私は一目散に社務所に向かい走り続けた。
その刻は月が傾き始めた頃になっていた。
「ミャ~」(和尚様、助けて)
バリッ ドサ、バタン、ドン
私は銀の無事を御仏に願いながら全速力で走った。
そして速度を落とさないまま、前足で障子を蹴破って社務所に併設されている和尚の部屋に入り、和尚の前で止まった。
「…………っあ」
猫用の餌である鶏の頭の水煮を仕込んでいたの和尚は、突然の私の襲来に驚き小さな悲鳴を上げた。
「金、か……。お転婆はいけないよ。障子が破れてしまったではないかぁ。それに、そんなに髭を逆立てて。いつも一緒の銀はどうしたんだね……」
「ふっ~!!」(ついてきて!!)」
私の刺すような強い眼光に和尚は銀の身に異常事態が起きたのだと察し、草履を履いて前を走る私の後を追いかけて来た。
(和尚が察しが良い人てよかった。でも、もう、時間がない……)
私は必死で闇夜を走り抜けた。
自分が自分を追い越すそんな不思議な感覚に苛れるくらい私は必死で走り続けた。
ただ1匹の妹猫を救う為に……。
私は遅れて走る老齢の和尚に苛立抱えながら本堂の裏手にある崖の上に立った。
崖に張り出た木の枝には妹がいるはずだ。
「ミャ……」(やっぱり、怖い……)
私の背丈の何十倍もある高さの崖の奈落の底を見据え息を呑んだ。
肢体が小刻みに震える。
汗で自慢の髭と尾も下がる。
けれど、愛する妹の銀を救う為ならと私は短い前足を精一杯伸ばし地面にへばり付いた。
「……」 (ダメだ。前足では届きそうもない。じゃあ、少しでも長い尻尾で……)
私は崖のギリギリに立ち尻尾を下に垂らした。
「危ないよ!金、今、綱を持ってくるから、待っていなさい……」
和尚はそう言うと社務所に走った。
「……ミィ」
(あと少し、和尚を待っていれば、綱を持ってきて助けに来てくれるかもしれない。でも、もし間に合わなかったら……)
「……ミィャ」(あっ!お姉……)
ガラガラガラ……
私の体重を支えた、へり出した崖の岩が剥がれ落ち音を立てて崖の下に崩れ落ちていく。
崖から落ちた小石は奈落の底まで落ちると小さく音をたてて消えた。
想像していたよりも奈落の底は遠いようだ。
「ミャ(……)」 (銀を早く助けなきゃ。あと少し……)
私は崖の端にしがみつき、前足に力を加えた。
だが、その瞬間
ガラガラガラ バキッ ザザー
「……(……)」
「き~ん~!」
私の前足を乗せていた薄い岩盤が剥がれ落ち、私は岩ごと奈落の底に吸い込まれていった。
頭上からは銀と和尚の叫び声が聞こえたが、その声を最後に私は冥府へと戻っていった。
*
猫・金(きん) 享年6ヶ月。
妹を助けようと奮闘し滑落死。
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