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第一章 再開する恋

第十七話 もう逃げない

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「速ぁ……」

 目にも止まらぬ速さで駆け出したシューネに対し、ルートはそんな稚拙な感想しか出てこなかった。
 それほどにシューネが一瞬で見せた身体能力の一端は、種族的に優れた身体能力を持つ獣人であることを差し引いても素晴らしかった。ルートの知る強者の中でも十本の指には入る身体能力。

 純粋に戦闘を娯楽と捉えているルートにとって、強者に出会うことは、高級食材を発見するようなものだ。

「いいなぁ……一回戦(や)ってみたいなぁ」

「うわあ……その言い方絶対にシルの前でしないでよ?」

「とにかく僕達もシルの所に戻ろう。騎士団が来るまでの時間を稼ぐ。リナは……」

 シューネの戦いを見たのは、【餓食】とどめを刺した時だけだが、間違いなくシューネはこの場の誰にも引けを取らないくらい強いという共通認識をこの場の全員が持っている。シューネが参戦してくれるなら、この絶望的な状況も少しは変わるだろう。

 加えて、ある程度時間を稼げれば、シグルズ騎士団も加勢に駆け付けてくれるはず。
 ならば、レイ達にシルの元に戻る以外の選択肢は無い。そしてそれは、魔力を奪われ碌に動くことも出来ないリナも同様だ。

「私も……行きます。まだ、団長の……助けになれるはずです」

 リナの有する竜具【操魂の死刀】は、破竜の魂を直接攻撃し修復不可能なダメージを与えることが出来る。
 本来なら体を構成する核を攻撃しなければ、一切のダメージを与えられない破竜戦において、リナの存在は絶対に欠かせない。
 しかし、今の状態のリナを死地に連れていくことは、やはりはばかられる。

「リナ……わかった。皆でシルを助けに行こう」

「レイ……さん、あり……がとう……ございます」

 一瞬だけ迷いを見せたレイであったが、結局リナの気持ちと自分の私情を優先した。
 シルが死ぬかもしれない状況でリナが大人しく寝ていられるはずがないし、仮にシルがここで死んだとして、その場にリナが立ち会えないのはあんまりだ。

「よし。行こう」

「リナ、しっかりつかまってろよ」

 リナをルートの背に背負わせ直し、四人はシューネの後を追って駆け出した。

◆◆◆

 シューネとリナが熱い舌戦を繰り広げていた頃、シルと【餓食】もまた白熱した戦闘を行っていた。

『ハハハハハハ! どうした? どうした? 昨日の威勢はどこに行ったんだ!』

「人格はあのガキがベースか。破竜の方は気が合いそうだったんだけどな」

 ヴァイスが破竜化した姿は、ベースとなっている餓食とはやや異なっているものの、体格など主な個所はほぼ同様。先刻餓食の手に触れた竜の紋章で具現化した武器が、そのまま吸収された点から推測して、おそらく恩寵の能力もほとんど変わってはいない。

「触れられたら詰み。こっちの攻撃は羽虫程度にも効かない。こんなんどうやって勝ちゃいいんだよ。全く……何が遺言になるかわからんな」

 戦況は常にシルの不利。餓食の攻撃を間一髪で回避しても、シルの攻撃は全くダメージを与えていない。それにもかかわらず、破竜の特性によって、シルの魔力はただ突っ立っているだけでも奪われていく。

「まあ、やれるだけやってみるか」

 餓食が真横に振り回してきた尾を回避し、シルは空中に飛び上がった。餓食の思惑通りに。
 空中ならば逃げ場は無い。常識的に考えれば、間違ってはいない。

『馬鹿が! 自分から逃げ場をなくしたか!』

「やっぱりあの破竜より思考が単純だな。破竜化による高揚感か、それとも元からか?」

『貴様ッ!』

 予想外のシルの行動に、餓食の顔に思わず驚愕の表情が浮かんだ。

「ははっ、破竜でも意外と表情読めるんだな」

 シルは空中に飛び上がった直後に左足で竜の紋章を発動。即座に具現化した足場を蹴り、シルを捉えようと伸びてきた餓食の腕を搔い潜って、その懐に潜り込んだ。

「五番、八番」

 瞬きよりも短い一瞬でシルの両腕に、巨大な戦斧と槍が出現する。
 竜の紋章の応用である【番号(ナンバーズ)】。
 事前に具現化する物の詳細を番号毎に決めておくことで、本来なら具現化まで数秒掛かる物であっても一瞬で具現化することが出来る能力だ。

「うぉぉっらああああ!」

『ぐああああー』

 身体強化を全力で活かし、目にも止まらぬ連撃を餓食に叩き込む。その衝撃は周囲の木々を震わせ、さすがの餓食も怯まずにはいられない。
 まあ、怯むことと実際にダメージを受けているかは別の話なのだが。

「クソったれが‼ それっぽい呻き声挙げてんじゃねえよ! 片っ端から再生しやがって! 二番、五番!」

 再び具現化した戦斧と新しく具現化した大剣でシルはさらに攻撃を続けるが、シルが攻撃をすればするほど、餓食の再生は速くなり皮膚は固くなっていく。
 それもそのはずで、餓食の能力は触れた魔力の吸収。そして、竜の紋章の能力で魔力を具現化したシルの武器も吸収の対象になる。

 つまりシルの武器が餓食に触れるほど、武器は魔力を徐々に吸収されることで脆くなり、餓食の魔力は上昇していく。武器が脆くなることについては、新たに持ち替えれば問題はないが、魔力の吸収はどうにもならない。
 圧倒的な物量とそれらを組み合わせた無数の手数で敵を圧倒する竜の紋章と、餓食の能力の相性は絶望的だ。

『ハハハ、わからないかなぁ! 無駄なんだよ。お前の攻撃はさあ』

(俺がミスればそこで終わりの泥仕合になってすらいない消化試合。いつもなら考えるまでもなく逃げの一手だが、今はそういうわけにもいかないな)

 無駄だとわかっていながら、シルは武器を振るう手を止めはしない。
 今自分が逃げ出せば、間違いなく餓食は王都を襲う。シューネが育ち、今では騎士として守っている王都を。到底容認できることではない。
 ここを死地と定めた理由はそれだけだ。

 偽善なのはわかっている。シル自身は王都にもこの国にも何の思い入れもありはしない。シューネにも見事に振られた。命を懸けるまでの道理はない。
 だが、こればっかりは理屈ではない。感情の問題だ。
 シューネが無事に生きていてくれたことを確かめられただけでも、この八年に及ぶ旅には十分な意味があった。もう思い残すことは何もない。

『はぁ、思ったより大したことないんだな。いや、僕が強すぎるのか。もういいや』

 ノーダメージとはいえ、勢いを失わないシルの連撃に痺れを切らし、遂に餓食も拳を振り下ろした。

「くっ……‼ そろそろ受けるのも手一杯か……」

 かろうじて餓食の拳を受け止めたシルだが、あまりもの拳の重さに体のあちらこちらが悲鳴を上げている。そして、悲鳴を上げていたのはシルだけではない。

「しまった。マズったな……」

 餓食の拳を受けた大剣と戦斧、その両方の刀身にヒビが入り、次の策を考える暇もなく粉々に砕け散った。

(あ、死んだか? 俺)

『僕の中の破竜が言ってる。今のお前は、すかないってさ』

 早々と走馬灯が駆け巡ったシルを飲み込んで、餓食の拳が地面に突き刺さった。
 餓食が拳を上げるとそこには、シルと周囲の魔力を吸収し強化された餓食の拳をまともに受け、血みどろで仰向けに倒れているシルの姿があった。

(やーっちまったなぁ。まあいいか。もう思い残すこともないしな。あ、でも)

 まだ息のあるシルにとどめを刺すべく、再び振り上げられた拳を眺めながら、シルは人生最後の物思いにふけった。

(まだ王都の名物全部食べてなかったっけ。それに昨日食べた料理も上手いのばっかりだったし、また食いてえなあ)

 死の間際故か、普段の数倍の速さでシルの脳は思考を行っていた。その中で思い出されるのは、この八年間仲間達と過ごした日々と夢想した未来。

(なんだかんだ楽しい八年だったことには違いないけど、出来るならリナの結婚式とか見てみたかったかな)

 シューネと離れ離れになっても、自分がこの八年間笑うことが出来たのは、間違いなく仲間達のおかげだった。

『死ね』

 自分に向かって振り下ろされる拳を眺めながら、最後に思い浮かべたのは、やはり彼女の事だった。
 八年越しに再会した彼女は生来の美しさに磨きがかかり、生まれつきの銀色の髪色の持つ神秘性が、その美しさを更に引き立てていた。

 出来ることならまた恋仲に戻れないものかと妄想したものだが、その願いはただの妄想のまま終わった。
 それでも悔いは無い。彼女の守りたいもののために死ねるのなら、それも本望だ。
 けれど、もし許されるのなら、

(もう一度だけ笑い合って話したかった。美味いものを一緒に食べたかった。あの日みたいに、手を繋いで一緒に歩きたかった)

 飲み込んだはずだった、ずっと秘めていたシルの願いは、死の瞬間になってようやく堰を切った様に一気に溢れ出した。

「ああ、やっぱり……死にたくねぇなあ……」

 ぽろりと零れたシルの本音は誰に届くはずもなく、餓食の拳がいよいよシルに届こうかという時。

「シル君‼」

 誰かが自分の名を呼ぶ声がした。途端シルの体を謎の浮遊感が襲い、間一髪のところで餓食の拳を回避した。

「どう……して……?」

 誰かに助けられたことは理解出来る。その誰かに抱きかかえられていることも。
 問題はその誰かだ。それだけが理解出来ない。
 だって、たった今自分を救ってくれたのは、八年想い焦がれた彼女に違いないのだから。

「よかった……間に合って。ごめん、シル君。私が弱いからまたシル君を傷付けた」

 八年前は自分の弱さでシルを傷つける選択肢しか取れなかった。そして、八年で戦闘能力は大きく成長しても、中身は未熟なままだった。だから、シルの気持ちから目を逸らし、己の自己満足に浸った。
 でも、今度は逃げない。しっかりとシルの目を見て、シューネは宣言する。

「私も一緒に戦う。今度こそシル君を守ってみせるから」

 長い長い別離を経て、今ここに二人の心は再び通じ合った。
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