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第三章 亡霊、竜になる

第二十七話 やってみなくては分からない。 #1

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「あ……あ……ああっ……」

 開かれたままの口から、かすれた母音がこぼれ落ちる。

 アリアは恐怖のあまり、小刻みに震える自分の身を掻き抱いて、思わず目を背けた。

 今すぐ、ここから逃げ出したい。

 レイの身体から八本の脚を引き剥がして、空から身を投げてでも逃げ出したい。

 次から次へと湧き上がってくる、そんな馬鹿げた欲求を必死に抑え込む。

 つい、今し方のこと。

「アンタ! 月は見える? あっちは飛竜ワイバーンが少ないみたい。あっちへ向かって!」

 背後から追ってくる飛竜ワイバーンの群れを気にしながら、アリアは遠くに昇っている月を指さした。

 それは、煌々こうこうと輝く明るい満月。

 だが、彼女が指を差した途端、その満月がまばたきをしたのだ。
 
 比喩では無い。言葉の通り。

 それは、ゆっくりとまぶたを閉じて再び開き、そして、ギロリとアリア達を睨みつけた。

「ッ!?」

 驚愕に目を見開けば、漆黒の夜空に巨大な輪郭がかすかに浮かび上がる。

 山の稜線りょうせんにも似た、巨大なシルエット。

 周囲を飛び交う飛竜ワイバーン達が、羽虫にしか見えない程の巨体。

 深い闇の中に浮かぶ、金色の恐ろしいまなこ

 アリアが満月だと思い込んでいたのは、巨大な竜の眼だった。

「エ、古竜エンシェントドラゴン…………」

 間違いない。

 それは、あらゆる生物の頂点。

 万年を生き延びてきた、神にも等しい存在。

 アリアの口からその名がこぼれ落ちたのと同時に、レイの思考が彼女の脳裏に流れ込んでくる。

 ――なるほど……つまりアレを倒せば、飛竜ワイバーンどもも少しは大人しくなる。そういうことだな。

 レイの感情におびえるような気配は欠片も見当たらない。

 アリアは呆れを通り越して目を見開いたまま、苛立ち混じりに、ポカポカとレイの背を叩いた。

「バカ! バカ! 冗談言ってる場合じゃないわよ! に、逃げるわよ。全力で逃げれば、万に一つぐらい逃げ切れるかもしれないわ」

 ――逃げる? なぜだ?

「なぜって……ア、アンタ、見えてないの! アレが!」

 ――いや、たぶんキミより、はっきりと見えている。乗り換えてみて初めて分かったのだが、飛竜ワイバーンの目は、夜ですら昼間と変わらないぐらい良く見える。

「じゃ、じゃあ……」

 ――うむ、親玉が向こうから来てくれたのだ。手間が省けたというべきだろう。

「はぁああああああああっ!? ちょ、ちょっと待って、アンタ、な、何言ってんの!?」

 ――飛竜ワイバーンに乗り換えたのは正解だったな。首狩り兎ボーパルバニーのままでは、攻撃が届かないところだ。

「届くとか! 届かないとか! そんな問題じゃないわよ! アレは違う! 私たちがどうこうできるレベルの魔物じゃないの!」

 ――やってみなくては、わからない。

「わかるわよぉおおおお! このヘゴイモ!」

 だが、アリアのその意味不明な罵声は、宙空に取り残された。

 レイが一気に速度を上げたのだ。

「きゃああああああああああああああぁぁぁぁ!」

 長く尾を引くアリアの悲鳴。

 激しい風に彼女の髪がばさばさとなびいた。

 レイは大きく翼をはためかせると、弧を描くように古竜エンシェントドラゴンの方へと突っ込んでいく。

「おろしてぇ! おろしてよぉおお!」

 ――後でな。

 アリアが泣き叫びながら、救いを求めるように背後を振り返ると、追ってきていた筈の飛竜ワイバーン達の姿が見当たらない。

 慌てて周囲を見回せば、飛竜ワイバーン達が四方八方へと散っていくのが見える。

 誰がどう見ても、飛竜ワイバーン達のその挙動は、これから始まろうとしている事に、巻き込まれまいとしているようにしか見えなかった。

 近づくにつれて、次第にはっきりと古竜エンシェントドラゴンの姿が見えてくる。

 岩の様にゴツゴツとした黒い鱗。

 頭からはじれた二本の角が、鋭く後ろへと突き出している。

 図体の割には短い両手、いや前脚というべきだろうか?

 そして金色の目。

 よく見ればその中心のやけに小さな黒目の部分が、こちらを追うように動いていた。

「……めっちゃこっち見てるぅううう」

 アリアが再び恐怖の叫びを挙げると同時に、古竜は突然、それまでゆっくりと羽ばたいていた翼を大きく広げた。

 骨の形がはっきりとわかる、赤黒い膜質の翼。

 左右に大きく広げられたそれは、アリアの視界に収まらない程の巨大さ。おそらく数百メートルでは効かないだろう。
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