想紅(おもいくれない)

笹椰かな

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はじまり

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 六月のある金曜日の夜。
 ダイニングでお母さんお手製の夕飯を食べている途中で、電話が鳴った。お母さんが子機で電話に出る。
「はい、黒沼くろぬまです。あら、お義父とう様こんばんは。はあ、椿つばきですか。少々お待ちください。……椿、お祖父様からお電話よ」 
 お祖父様が私に電話? 珍しい事もあるものだ。私は口をもぐもぐさせて口の中の食べ物を飲み込んだ後、お母さんと電話を代わった。
「はい。お電話代わりました、椿です」
「久し振りだな、椿。突然で悪いが、日曜日になったら訪ねてこい。大事な話がある」
 急に何? なんかすごく怪しい。
「お話ってなんですか? 電話じゃ駄目なんですか?」
「まあ、とにかくこい。お前の好きなくるみゆべしも用意してやる」
 むむ、食べ物で釣ろうとしている。
 お祖父様の言うとおり、私はくるみゆべしが大好きだ。大好きなのに、お母さんは「高いから」と言ってあんまり買ってくれない。私のお母さんは節約が大好きなのだ。
 私は簡単に誘惑に負けた。
「わかりました。日曜日にそちらに行きますから、くるみゆべしをたくさん、たくさん用意しておいてくださいませ」
 受話器からは、お祖父様のおかしそうな笑い声が響いてくる。ひとしきり笑った後、お祖父様は「わかった、約束しよう」と言ってくださった。

 そして、日曜日。
 部活には入っていないし、友達と遊ぶ予定もなく元々暇だった私は、特に不満もなく本家へと向かった。
 愛用している赤いママチャリで道路を進む。
 自転車で十五分ほど漕いだ場所に、私の家の本家がある。幸い今日は天気がいい。新緑まみれの細い道を、風を切って進むのが楽しい。
「んー、いい天気」
 今更だけど本家というのは、私のお父さんの実家だ。
 お父さんにはお兄さん――私からしたら伯父様――がいて、現在本家にはお祖父様、伯父様、伯母様、そして従兄の四人が住んでいる。
 そういえば、その従兄――たけし従兄にいさんは今日はいるのだろうか。猛従兄さんは、いつも私を甘やかしてくれる優しい人。たしか今年で二十三歳のはず。だから私とは九歳も歳が離れている。
 猛従兄さんからしたら、私はまだまだ子供なのだろう。だから私の頭をいつも撫でてくるんだ。でも、私はそれに不満はないし、むしろ嬉しかった。
 私には兄弟がいない。そんな私にとって、猛従兄さんは本当のお兄さんみたいな人。……みたいな人じゃなくて、本当のお兄さんだったらよかったのに。
 猛従兄さんは背が高くて、ちょっと目つきが鋭いから怖い印象を持たれがち。体格がよくてがっしりしているから、余計に怖そうに見える。
 大学を出てからは、なんとかコーポレーションっていう会社に勤めているらしい。仕事の事を自分から訊いた事がないから、正直よく知らない。
 表情が豊かな方ではないから感情が伝わり難くて誤解される事もあるみたいだけど、私は小さい頃から従兄さんに優しくしてもらってきた。
 お菓子をくれたり、肩車してくれたり、おんぶもしてもらった。転んで泣いてる私を手当てしてくれて、慰めてくれた事もあった。池に落ちてずぶ濡れになった時も、引き上げて着替えを手伝ってくれた。……今思い出すと、恥ずかしい。

 昔の事を思い出しているうちに、本家に着いていた。
 木製の立派な門塀もんぺいの前でママチャリから降りて、それを転がしながら中へと入る。
「お邪魔しまーす」
 誰も見当たらないけど、声に出した。すると、伯父様がお庭のキンモクセイの影からひょっこりと姿を現した。
「やあ、椿ちゃん。久し振りだね、こんにちは」
「ひゃあっ!」
 びっくり箱みたいに突然顔を出してきた伯父様に、私は驚いて声を上げてしまった。大きな声を出した私に伯父様が驚いて、今度は伯父様が声を上げる。
「わあっ!」
「す、すみません。外には誰もいないと思っていたから」
 私が謝ると、伯父様は「あははは」と楽しそうに笑った。笑い方が、お祖父様によく似ている。
「ごめん。ちょっと庭の草むしりをしててね、驚かせるつもりはなかったんだけど。お父さんなら客間で待ってるよ」
「ありがとうございます。えと、今更ですけどお久し振りです。春のお彼岸以来ですね。お変わりありませんか?」
 私の言葉に伯父様は「うーん」と唸った。私、何かおかしい事を言っただろうか?
「いや、僕は変わりないんだけどね。お父さんがねえ……」
「お祖父様が?」
 今日呼ばれた事と関係あるのだろうか。そう思って詳しく話を聞こうとしたところで、玄関の引き戸がカラカラと音を立てた。
「もう! あなたったらいつまで椿ちゃんを拘束してるの」
 不満そうな声と共に伯母様が現れる。私は慌てて頭を下げた。
「伯母様、お久し振りです」
「久し振りね、椿ちゃん。外から声が聞こえてきてたから中に入ってくるのを待ってたんだけど、なかなか来ないから」
「すみません」
「椿ちゃんのせいじゃないわよ。ね、あなた?」
 伯母様の問い掛けに、伯父様は苦笑した。伯父様は伯母様の尻に敷かれているのだ。
 私はママチャリを広いお庭の空いている空間に適当に停めさせてもらった。
 その後、古いけど立派な日本家屋の玄関から中に入れてもらって、お祖父様のいる客間へと伯母様に案内される。案内されながら、今日は猛従兄さんが家にいるのかを訊ねた。
「いるわよ。客間でお祖父様と一緒に椿ちゃんを待ってるわ」
「え?」
 てっきり客間にいるのはお祖父様だけだと思っていたのに。しかも、私を待ってる?
 伯母様の言葉が引っかかった私は質問をしようとした。けれど、質問を始める前に客間に着いてしまった。
 伯母様が膝を着いて「失礼します。椿ちゃんがお見えになりました」と告げた後、中からお祖父様の声がした。伯母様が優雅な所作で障子しょうじを開けた後、私も慌てて正座をした。私はどうにも、お優雅な世界が苦手だ。
「いい、いい。立ったまま入ってきなさい」
 堅苦しいのが苦手な私の事をよく理解してくださっているお祖父様のお許しが出た。私はホッとしながら、立ち上がって客間へと入った。
 そこには伯母様が言っていた通り、猛従兄さんがいた。私は、私のために敷いてくださったのであろう座布団の上に正座をして、テーブルの向こう側にいるお祖父様に頭を下げて挨拶をした。 
「お祖父様、お久し振りです。……猛従兄さんもお久し振り」
 隣に座っている猛従兄さんにも挨拶する。すると従兄さんは、私の頭を優しく撫でた。お祖父様の前なのに、恥ずかしい。
「久し振りだな、椿」
「あの、恥ずかしいから、人前では撫でないで」
 私が頬を熱くしながら言うと、お祖父様が楽しそうに笑い始めた。
「あははは。お前たちは仲がいいな。実に具合がいい事だ」
「具合がいい?」
 猛従兄さんが聞き返す。
「そうだ、具合がいい。今日は大事な話があると言ったろう」
「はい」
「え? 私だけじゃなくて猛従兄さんにも関係がある話なの?」
 私が会話を遮ると、お祖父様から「関係がなかったらこの場におらんだろう」とツッコミが入った。恥ずかしい。
「そうですね。ごめんなさい」
「で、本題だ。お前たち二人にな、将来結婚してもらいたいんだ」
「はあ?」
 声を上げたのは、私だけじゃなかった。隣の猛従兄さんと二人で、美しいハーモニーを奏でていた。
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