ようせいのプリンセス

笹椰かな

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 デイジーのかれんな花々が、かたいつぼみをほどき始めしました。
 ピンク、白、黄色の小さなつぼみがひとつ、ふたつ、みっつ……つぎつぎに花ひらいていきます。それはすなわち、春のおとずれを意味していました。

 ここはとてもとても広い花畑。たくさんの種類の虫が住んでいます。住んでいるのは虫だけではありません。一人だけですが、ようせいも住んでいます。
 お日さまの光を反しゃしてキラキラとかがやく長い金ぱつと、ぱっちりとしたブドウ色のひとみを持つ、かわいらしい女の子のようせいです。背中に生えているはねは日光に当たるとにじ色にかがやいて、とてもきれいです。
 いつもふたつむすびにしてあるかみの毛には、ひとみの色とおんなじブドウ色の大きなリボンが左右の両方ともむすび付けてあって、とても目立っています。

 朝ごはんを食べおわったようせいの女の子は、かれえだで作った家から出てくると、地上にはい上がってきた虫たちやサナギから出てきた虫たちに向かってあいさつをしました。

「みんな、おはよう」

 起きたばかりの虫たちはねむい顔をして目をしょぼしょぼさせながら、
「おはよう、プリンセス」
 と返しました。

 プリンセス――ようせいの女の子は、虫たちからそう呼ばれています。
 その理由はかのじょ自身にもわかりません。この世に生を受けてから十三年になりますが、だれにたずねても
「だってプリンセスはプリンセスだもの」
 としか答えてくれないからです。

 プリンセスはおさないころ、どうして自分が『プリンセス』と呼ばれているのかがハッキリしないことに気分が悪くなることも少なくなかったのですが、今はもうなれてしまっていました。

(みんなからプリンセスと呼ばれても、もう何も感じないわ)

 プリンセスはそう思っていました。


 春になってから一ヵ月がたった頃、花畑に一頭のチョウチョが迷いこんで来ました。真っ青な羽を持つ、めずらしいチョウチョです。
 花畑の住人たちが物めずしさから青いチョウチョを取りかこみました。そのせいで、チョウチョはおびえてちぢこまってしまいました。

「みんな、ダメじゃない。そんなふうにかこんだら、こわくて動けなくなってしまうでしょう?」

 プリンセスがさとすように言いながらあらわれると、青いチョウチョはとつ然、
「わあっ!」
 と大きな声をあげました。
 その声におどろいて、周りの虫たちも
「わー!」
「きゃー!」
 と、つぎつぎに声をあげてしまいました。プリンセスもです。

「きゃあっ! 一体どうしたのよ!?」

 プリンセスがたずねると、青いチョウチョは
「ごめんなさい。こんなところでようせいのプリンセスにお会いできるなんて思ってもみなかったものですから、おどろいてしてしまいまして……」
 と深くこうべをたれました。

「ようせいのプリンセス……?」
「はい。あなたはようせいたちをまとめている女王さまのひとりむすめ。すなわち、ようせいのプリンセスなのです」

 青いチョウチョが言っていることがよく分からず、プリンセスは首をかしげました。

「何を言っているの? ようせいという生き物はこの世界にわたしひとりだけよ?」
「いいえ、いいえ。ようせいは他にもいます。私が住んでいたこきょうには、それはそれはたくさんのようせいがいるのです」

 青いチョウチョはプリンセスの言葉を否定するように、必死に羽をせわしなく動かしています。

「たくさんていうのはどのくらい? なん人?」
「そうですね。ざっと数えて百人はいたでしょうか」
「ええっ!?」

 プリンセスはびっくりして大きな声をあげました。
 だって、プリンセスは今まで自分と同じようなすがた形をしたそんざいに一度も会ったことがなかったのですから。

「わたし以外のようせいがそんなにいるの?」
「はい。そしてあなたは、そのちょう点に立つ女王さまのむすめなのです」
「わたしにはお母さんがいたの?」
「そうですよ。当たり前ではありませんか」

 そう言われても、プリンセスはお母さんのすがたを少しもおぼえていないのですから、不思議がるのも無理はありません。
 周りにいる虫たちだって、タマゴから生まれたときにはもうお母さんがこの世にいないなんてことはめずらしくないのですから。だからプリンセスは、自分のお母さんももうこの世のどこにもいないのだと思いこんでいたのです。

「そうなの? それにしても、どうして他のようせいとちがってわたしだけがこの花畑にいるのかしら?」

 プリンセスは不思議そうに首をかしげました。

「昔、女王さまがおっしゃっていました。『わたしにはむすめがいましたが、むすめを産んでから数日後に大きなあらしが来たせいでお城がこわれてしまい、まどから入ってきた強い風に飛ばされてあの子はどこかへ行ってしまったのです。一生けん命探しましたが見つけられませんでした。くやんでもくやみきれません』と」

 青いチョウチョがそれはそれは悲しそうに説明すると、それを聞いたプリンセスの目からぽたぽたとなみだがこぼれ落ちました。

(わたしのお母さんは、わたしがいなくなってしまったことをずっと後かいしていたのね。なんてかわいそうなの)

 プリンセスはこんなふうに悲しい気持ちになったのも、泣いてしまったのも今日が初めてでした。ふしぎな気分でした。
 なみだを指先でぬぐいながら、強い思いがわきあがってくるのがわかりました。

「わたし、お母さんに会ってみたい。いいえ、会いたいわ!」

 いても立ってもいられなくなったプリンセスは、上手に羽を使って辺りをすばやく飛び回りました。ブドウ色のリボンが大きくゆれ動いています。

「それはすばらしい考えです。ですが……」

 青いチョウチョは言葉を切ってしまいました。

「なあに? どうしたの?」
「女王さまや他のようせいたちがいる場所は、ここからはとてもとても遠いのです。プリンセスがあそこにとう着するころには、きっとクタクタになってしまいますよ」
「それでも会いたいわ。わたし、お母さんに会いたい。きっと時々休みながら行けば、大じょう夫よ。わたし、がんばるわ!」

 青いチョウチョの心配もなんのその、プリンセスはとても強気に決意をあらわにしました。

「だからお願い、青いチョウチョさん。わたしをお母さんがいる場所へ案内して」

 プリンセスは地面に足をつけると、ていねいに頭を下げてお願いしました。

「わかりました。そこまで決意が固いのでしたら、女王さまがおられる場所――フェアリーキャッスルまでご案内しましょう」

 青いチョウチョは深くうなずきました。

 かくして、プリンセスは青いチョウチョに案内役を任せ、お母さんに会うための旅に出たのでした。


 しかしその旅は、プリンセスが想像していたよりずっとずっとつらいものでした。
 強すぎる風に飛ばされそうになった日も、見たこともない大きな鳥におそわれそうになった日も、急にふってきたはげしい雨のせいで体がぬれてしまい、寒くて寒くてふるえてしまった日もありました。

 川べりで休んでいたら、大きなヘビに食べられそうになったこともありました。太陽のギラギラとした光のせいで、あまりにも暑くてヘトヘトになった日もありました。

 つらい思いをしたのはプリンセスだけではありません。案内役の青いチョウチョもおんなじくらい、つらい思いをしながら旅を続けていました。

(わたしのせいで、青いチョウチョさんをこんなにもつらい目にあわせてしまっているんだわ)

 そう思うと申しわけがなくなって、プリンセスは何度も
「もう、旅をするのをやめましょう」
 と伝えました。
 けれどその度に青いチョウチョは、
「女王さまにお会いしたくなくなったのですか?」
 とたずねてきました。

「そんなことないわ。お母さんに会いたい気持ちは少しも変わってなんていないわよ」

 プリンセスが決まってそう答えると、青いチョウチョは、
「ならば、がんばりましょう。ぜったい女王さまに会いに行きましょう。どうか、わたしのことはお気になさらず。わたしはだいじょうぶですから」
 と力強く返すのでした。

 そんなふうに言われる度に、プリンセスはなみだをこぼしてしまいそうになりました。
 自分のわがままに付き合ってくれて、はげましてくれさえする青いチョウチョのやさしさに感動してしまうからです。

(なんてやさしいのかしら。彼はとってもステキなチョウチョだわ)

 プリンセスは旅を通して、青いチョウチョにひかれていました。
 でも、プリンセスはその気持ちがこい心だとは知りませんでした。なぜなら、プリンセスが花畑にいた時にれんあいというものを教えてくれる存在がいなかったからです。
 プリンセスは自分のいだいている気持ちがなんなのかまったくわからないまま、旅をつづけていきました。


 プリンセスと青いチョウチョが旅を始めてから、六ヶ月の月日がたちました。季節はもう、春から秋に変わってしまっていました。

「もうすぐ着きますよ」

 青いチョウチョが言いました。

 そうして一人と一頭は、数え切れないくらい赤いバラがさいている場所に着きました。
 バラのツタがうずのようになっている真ん中に、まっすぐに続いている小さな空どうがあります。おくは真っ暗で、入り口からは出口が見えません。

「まさか。この真っ暗なあなの先を目指すの?」

 プリンセスは不安そうにまゆを下げました。

「そうです。この先に、女王さまがおられるフェアリーキャッスルがあるのです」
「この中に入るのがこわいわ。だって真っ暗で、まるで真夜中のやみのようなんだもの」

 プリンセスがすなおに不安を口にすると、青いチョウチョは細い二本の前あしをそっと、プリンセスの右手にそえました。

「わたしがそばにいます。不安な時はわたしの名前を呼んでください」

 そのやさしい言葉にプリンセスはホッとしました。不安が雪のようにとけていくのがわかりました。

「ありがとう。あなたのおかげでがんばれそうだわ」

 プリンセスがにっこり笑うと、青いチョウチョもニコリと笑って羽をパタパタと動かしました。
 プリンセスはそれを見ながら、むねがドキドキしていました。

(わたし、どうしたんだろう?)

 そう思って首をかしげました。さっきドキドキしてしまったのは、こいをしているせいだとはわからないままです。

 その後、一人と一頭は、ツタのうずの真ん中――すなわちバラで出来たどうくつの中を進んでいくことにしました。せまいどうくつなので、チョウチョが先に進み、その後ろをプリンセスがついて行くことになりました。
 おたがい、ツタからつき出ているトゲに羽が引っかからないように気を付けながら、暗やみの中を前に向かって飛び続けました。

 それから一時間はたったでしょうか。プリンセスは目にうつる景色はずっと黒色のままです。前を飛んでいるはずの青いチョウチョのすがたも暗くて見えません。
 プリンセスは急にこわくなって、大きな声で青いチョウチョの名前を呼びました。

「青いチョウチョさん! いるなら返事をして!」
「はい。あなたの前にいますよ」
「ああ、よかった。何も見えないから不安になってしまったの」
「ふふふ、安心しましたか?」
「ええ、ありがとう」
「また不安になったら呼んでくださいね」

 真っ暗なやみの中だからか耳がびんかんになっていて、プリンセスには青いチョウチョの声がいつもよりハッキリと聞こえました。そのかっこいい声に、プリンセスはドキドキしました。
 ドキドキしながら夢中になって飛んでいるうちに、前方から白い光が見えてきました。

「あっ! もしかして、あれは出口!?」
「そうです! そろそろ着きますよ!」

 青いチョウチョはこうふんしているらしく、声がはずんでいます。それにつられるように、プリンセスも胸がはずみました。

 それから数分後。
 ひとりと一頭は、バラのどうくつの中から無事にぬけ出すことが出来ました。
 外に出たしゅん間、日光がぱあっと目に飛びこんできて、プリンセスは思わずぎゅうっと目をつむりました。

 ゆっくり目を開けてみると、周りにさいているうつくしい花や赤色や黄色の葉をつけた木がたくさん生えてるのが見えました。少しはなれた場所には建物が見えます。
 その建物はとてもりっぱで大きいので、バラのどうくつのそばからでもハッキリと見えました。

「わあ。あの建物は?」
「あれが女王さまのおられるフェアリーキャッスルです」
「あそこにわたしのお母さんがいるのね!」

 プリンセスは声をはずませました。
 けれど次のしゅん間、もうここで、青いチョウチョとはお別れなのだと気付いて悲しくなりました。
 目的地はもう見えています。だから、案内役がいる必要がなくなったということに気付いてしまったのです。

 ですが、青いチョウチョはフェアリーキャッスルの中までプリンセスを案内すると言ってくれました。

(もう案内役をしなくてもいいはずなのに、最後までついてきてくれるのね)

 プリンセスはとてもうれしくなりました。
 うれしさで思わずウサギのようにピョンピョンはねると、大きなブドウ色のリボンも同じようにはねました。まるでリボンまでよろこんでいるかのようです。


 とうとうフェアリーキャッスルにとう着すると、青いチョウチョは門番をしている男性のようせいに、プリンセスが女王さまに会いたがっているのだと伝えてくれました。

 プリンセスはその間、青いチョウチョが言っていた通りで自分以外にもようせいがいたことに感動していました。
 門番をしているようせいの他にも、この地で生活しているようせいがそこかしこにいます。にもつを運んだり、お店で買い物をしたり、さんぽをしていたりと、していることはそれぞれにちがいます。

 およそ五分がたった後。門番のようせいが、青いチョウチョとプリンセスをお城の中に案内してくれました。
 お城の中に入ったとたん、お城のおくからさわがしい声が聞こえてきました。

「プリンセス! プリンセスはどこ!?」

 そうして飛び出すように現れたのは、上品なドレスを着た女性のようせいでした。
 美人ですが、年齢はプリンセスよりもずっとずっと年上に見えます。きょろきょろと辺りを見回していて、落ち着きがありません。

「プリンセス、この方が女王さまですよ」

 青いチョウチョが言いました。

「えっ!?」

 プリンセスはびっくりしました。そして、そのまま動けなくなってしまいました。
 初めて会うお母さんに、なんて話しかけたらいいのかわからなかったからです。
 見かねた青いチョウチョが、
「ごぶさたしています、女王さま。この方が、あなたが会いたがっていたプリンセスです」
 と女王さまに声をかけて、プリンセスをしょうかいしてくれました。

 女王さまはプリンセスと目が合ったしゅん間、流れ星のようにサーッと飛んできて、プリンセスをだきしめました。きつく、きつくだきしめました。

「ああ、ああ。わたくしのかわいいプリンセス。よかった、よかった。また会えた」

 女王さまは他のようせいの目も気にせず、わんわん泣きました。まるで赤ちゃんのようです。
 プリンセスは女王さまのことを覚えていませんから、これが初対面のはずですが、不思議と両目からなみだがこぼれました。たくさん、たくさんこぼれました。


 ふたりが感動の再会を終えて落ち着いた後、プリンセスは青いチョウチョにお礼を言おうとして辺りを見回しました。
 ですが、彼のすがたはどこにも見当たりません。

「青いチョウチョさん! 青いチョウチョさんはどこ!?」

 お城の中も外も必死にさがしましたが、結局見つかりませんでした。
 プリンセスはかたを落としました。ひどく落ちこんでいるプリンセスのかたに手をやりながら、女王さまが教えてくれました。

「あの青いチョウチョは昔、このお城ではたらいていたのです」
「えっ!? そうだったのですか?」

 女王さまはうなずきました。

「よくはたらく、まじめなチョウチョでした。ですがある日、青いチョウチョは仕事中に、このお城にあった一番高い花びんをうっかりわってしまったのです。ここではたらいていたようせいや虫達がかれのことをせめました」
「そんな! 青いチョウチョさんは、わざと花びんをわったわけではなかったのでしょう? ひどいわ!」

 プリンセスはかわいい顔を夕日のように真っ赤にしながらおこりました。
 女王さまはおこったプリンセスを見てほほえんだ後、かのじょを落ち着かせてから話をつづけました。

「わたくしは青いチョウチョをせめたもの達をたしなめ、青いチョウチョがしてしまったことをゆるしました。ですが次の日、『旅に出ます』と書かれた手紙を残して、かれはすがたを消してしまったのです」
「どうして? お母さんはゆるしてくれたのに」
「ええ。でも、とてもせきにん感の強いチョウチョでしたから、自分がしてしまったことにたえきれなかったのでしょう。周りからもたくさんせめられて、苦しかったにちがいありません」

 プリンセスは女王さまの言葉を聞いてハッとしました。

(青いチョウチョさんが旅をつづけていた理由はもしかしたら、もしかしたら――お母さんが会いたがっていたわたしをさがし出して、ここまで連れて来るためだったの? それが花びんをわってしまったつぐないになると考えて?)

 そう思うと切なくなって、プリンセスはその場でしくしくと泣いてしまいました。なみだはなかなか止まりませんでした。
 心なしかトレードマークのブドウ色のリボンもたれ下がっていて、プリンセスといっしょになって悲しんでいるように見えます。

「泣かないでちょうだい。わたくしのかわいいプリンセス」

 女王さまはプリンセスの頭をやさしくなでてくれました。くりかえし、なでてくれました。
 女王さまになぐさめられて落ち着いた後、かのじょは大きな決意をしました。
 いつか自分も旅に出て、青いチョウチョをさがし出すのだと。ふたたび、かれに会うのだと。

(また会えたら伝えるの。お母さんに会わせてくれてありがとうって。そしてこれからは、わたしのそばにずっといてほしいって)

 プリンセスは強い思いをむねにいだきながら、泣きすぎてはれてしまったまぶたのおくで、青いチョウチョの美しいはねの色を思い出すのでした。
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