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2.【過去】限られたソラを見上げて1

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「よろしいですか、あなたは器となる『人形』です。我々人間の道具であることを自覚し、決して逆らってはなりません」

 ウルティム教国の城内にある、『次代の聖女』を育成し監視するための塔。
 わたしが普段待機するベッドと机と椅子だけがある部屋で、司教様が鞭を片手に、圧がかかった声を出す。

「感情は不必要なものであり、それを抱くことは許されないことです。悪であり、教会への裏切りと知りなさい。理解できたなら『はい』と発言することを許します」
「はい」

 毎日行われる人間からの教え。
 感情を出せば両手を鞭打たれ、痛みで泣けば地下牢で教義をひたすら暗唱し、自分は人間の下位にいる存在なのだと徹底的に脳に叩き込まされる。
 本を読むことは禁じられている。
 学ぶことも禁じられている。
 異を唱えることは最もいけないこと。
 人に服従し、次代の聖女として大成することが唯一の存在理由。

 正直、次代の聖女とは何か理解などしていなかったけれど。
 皆がそれを求めるので、そうなるよう従っていた。
 ただ理解しているのは、日々大きくなる『声』を聞いてはならないこと。それは以前、わたしの前で血を流した別の人形が聞いていた声だと、知っていたから。勝手に暴れようとする魔力を抑えつけ、心を殺す。それがわたしの日常だった。



 何かがわたしの中で変わったのは、降り続いていた水がパタリと止み、青いソラに変わった時だった。
 その日は定期検査で、『器として未だ不十分』と渋い顔で告げられた。『進行が遅い』とも。

「次が一人しか残らなかったのは、やはり失敗だったな。まさかコレ以外の全員が発作を起こすとは――」
「仕方ないさ、過去にもそういった事例がある。最悪の場合は規定に沿って信徒から生贄を選ぶしかない。次が育つまで相当数必要になるが……」

 人間が話している様子を、検査台に寝そべりながらぼんやりと見つめる。
 すると一人の人間がわたしに気づき、手足を拘束していた枷を外した。

「ああ、検査は終わった。これより就寝の刻限まで自室で何もせず待機しているように」
「はい」

 別棟と塔は隣接しており、手入れのされていない草木の間を抜ければすぐだ。
 普段通りに草花を踏み分け、塔への入り口へ向かう。

 だが途中――。

「ぅごっ!?」

 踏んだ。
 何か柔らかいものを踏んだ。

 足元に視線を移せば、そこには人間が股の間を抑えくの字になって震えていた。
 定期検査をする人間じゃない。見たこと無い人間だ。
 害を与えてしまったのだろうか。謝罪をするべきだろうか。しかし許可なく口を開くことは許されていない。だからわたしは、小刻みに横たわったままの人間の側で、膝をついて深々と頭を下げた。

「え、なにそれ。なんの儀式されてるの、俺?」
「……」

 許可がないので頭を上げないわたしに、人間は上半身を起こして顔を覗き込んでくる。

「いてて。おーい、もしもーし」
「……」

 つんつんと丸めた背中を突かれるが、反応のないわたしに男は「あっ」と声を上げた。

「もしかしてどっか怪我した!? 悪い、ここ人気ないからさ。油断して寝ちまって――」
「怪我はありません」
「うおっ、びっくりした」

 問われたことで発言の許可を得たと認識し、むくりと起き上がったわたしに男は後ずさる。
 変な人間だ。人形であるわたしに『悪い』などと言うなんて。

「大変申し訳ございませんでした」
「気にすんなって、男なら急所攻撃は常に覚悟してることだ」

 屈託のない笑顔を向けられ、目を丸くする。
 そればかりか、座ったままのわたしを持ち上げると、服についた草や土を手で払い出した。人間にそんなことをされるなんて思いもせず、驚きで固まってしまう。

「あんた軽いな~。飯ちゃんと食ってんのか?」
「……は、い」
「もっと食ったほうがいいぞ」

 「うしっ!」とひとしきり服の汚れを取り除いた後、人間はもう片方の手でわたしの頭をわしゃわしゃと撫でた。
 大きくて、温かい手だった。

「また来るわ。いっぱい食って大きくなれよ、チビ!」

 そう言って去っていく人間の背中を、わたしは乱れた髪を直すこともせず、呆けたまま見送った。

***

 1週間後の、定期検査の帰り道。
 あの人間をまた見つけた。今度は塔から少し離れた木の根本であぐらをかいて、わたしを視界に入れるなり「よう、チビ!」と笑顔で片手を上げてきた。
 待っていた? わたしを? なぜ――分からない。

 疑問が生まれたことに、慌てて首を振る。
 それは人形には関係のないこと。きっと何か命令があるのだ。わたしはその人のもとへ近づき、指示を待った。

「ほれ見ろこれ。頼み込んで作ってもらったんだ」
「……」

 手に持っていたバスケットを差し出される。
 丸くて平べったい固そうなものと、パンにサラダが詰められたもの。はじめて見るそれらに、意図が見いだせず困惑して見上げた。

「一緒に食おうぜ」

 返事に戸惑う。
 食べ物は定刻に与えられるもの以外、口にしたことはない。そう人間が決めたからだ。でも同じ人間が、その規則を破ろうとしている。
 こういう場合どうしたらいいのだろう。

 だが答えるより先に、人間はわたしの腕を掴んで塔の裏手へとまわりこみ、大きな布を地面に敷いた。

「ここなら誰が来てもバレないだろ」

 ほら、と座った隣をぽんぽんと叩いている。
 どういう意味か理解できず、立ち尽くすわたしの腕をまた引っ張ってきた。でも先程よりは力は強くない。何かを催促していることは、どうにか察せられた。

「あ……の、」

 心臓がバクバクと鳴る。
 許されていないのに口を開いてしまった。本来であれば鞭で打たれる行為だ。けれど私の前にいる人間は、笑んだまま「ん?」と先を促してくる。

「指示を、ください。異例のことでどうすればよいか判断できません」
「――」

 わたしの問いかけに、返ってくる言葉はない。見ればぽかんと口を開いたまま凝視している。
 人形が自らの意思で言を発したことに驚いているのだろう。
 腕を握っていた手が解かれ、顔の前まで伸ばされる。殴られるのだと分かり、反射的に身を固くした。痛みにはどうしても慣れない。

 ぎゅっと目を瞑っていたわたしに訪れたのは、頭上に降ってきた温もりだった。

「悪い、困らせたな」

 無理に押し出したような笑みで、わたしの頭を豪快に撫でる。
 呆気に取られていると、身体がふわっと浮いた。持ち上げられたのだと気づくのに、数秒かかった。そのまま大きな布の上にわたしを下ろすと、「いいか」と口を開く。

「まず座る」
「はい」

 言われた通りに、腰を下ろす。

「そんで……はい、コレ持って」

 バスケットから薄くて丸い固形物を一枚手渡された。

「んで食べる」

 ぱくん、と口に入れる。
 食べ物だとたった今知ったが、躊躇なく頬張った。
 噛むとサクサク砕けて、甘さが口に広がる。嚥下すると、晴れやかな笑みを向けられた。

「どうだ、うまいだろ!」
「――は、い」

 食物の刺激に鈍感になっていた舌が甘さの余韻を残している。これが美味い、ということ。
 そして、同時に人間の――彼の笑顔に魅入った。
 この人は、わたしの周りにいる人間とは違う。姿形は人間だけど、温かい。例外なことばかりする、不思議な人。

「またこうやってうまいモン持ってくるから。たくさん食って、たくさん大きくなれ。困ったことがあればさっきみたいに言ってくれ。聞きたいことがあれば我慢せずに聞いてくれ。お前はひとりの人間だ、やりたいことをやっていいんだ」

 目をぱちくりさせるわたしに、今度はサラダを挟んだパンを寄越す。促されるまま食べてから、ためらいがちに頷いた。
 言われた言葉を飲み込むのに、数秒かかった。脳内で復唱したけれど、ちゃんと理解することはできなかった。
 はじめてだった。
 そんなことを言われたのは、本当にはじめてで。
 頭は混乱して、胸はじんわり温かくて、彼の意図・目的はどこにあるのだろうと考えたけれど答えはでなくて。
 だから、本当は駄目なことだと分かっていながら頷いてしまった。

 そうしたら彼は綻ぶように笑うから、これが正解だったと安堵した。

「なあ、チビ。俺と一緒に――……ああいや、やっぱなんでもない」

 歯切れが悪そうに言葉を切ると、彼は大きな身体をごろんと倒した。

「は~……相変わらずせっまいソラだなあ」

 何かを誤魔化すように、わざとらしく大きな声で言う。
 視線を辿って、わたしもソラを見上げた。

 灰色の厚い雲が端から端まで覆い、この国の真上だけがぽっかりと空いて青色をしている、いつもと変わらないソラ。
 時間によって色を変えるけれど、変わるのは雲のない部分だけ。
 孔が空いているみたいだと、見上げる度に思っていた。

「知ってるか、チビ。昔……それはもう遠い昔は、あの青い部分がどこまでも広がってたんだってさ」
「どこまでも?」
「そう。大地との境目の、更に向こう側までずっと続いてたらしい」

 視界いっぱいに広がるソラを想像して、胸が熱くなる。
 ソラが広がり大地を照らす世界は、きっと眩いぐらいに明るいのだろう。
 それは、とても素敵なことのように思えた。

「――いつか、どこまでも広がる青いソラを見てみたいな」

 彼は独り言みたいに呟く。
 遠く彼方を見つめる目は、叶わない夢だと暗に告げているようで。その横顔が切なくて、わたしは許しなく彼に問いかけた。

「どうして、ソラは狭くなってしまったの?」
「なんだ。知らないのか、じゃあ教えてやる」

 彼は物語を聞かせるように語りだす。

「大地が生まれたとき。ソラが出来たとき。人間は、神さまと一緒に住んでた。だけどいつまでも頼る人間を神さまは突き放して、世界を分けちまった。何もできない人間たちは困りに困り果てて、毎日神さまに祈った。戻ってきてくださいって」

 そんな人間たちを憐れに思った神の一柱が、使者を遣わしたという。
 使者は神いなくとも人が生きていけるよう、火を起こすことを教え、食物を育てることを教え、外敵から身を守るための魔法を与えた。

「だけどある時、世界を壊す魔神が降りてきた。多くの国が壊され、人が殺され、大地は人が住めないほど汚染された。長い時間をかけて魔神を封印した人間は、もう目覚めないようにと祀ることにした。それがここから見えるアレだ」

 指差した先には、地面に身体の半分が埋まった人ならざる巨体がいた。
 黒い硬質的な肌には鱗があり、胸の部分にはぽっかり穴が空いている。大きな一本角と、背中には朽ちかけた羽が生えている、この世ならざるモノ。
 光のない瞳は教国を睨むようで、物言わぬ訴えをしているように見えた。

「魔神は封じられても人を許さなかった。呪いを振りまき人を襲う獣を生み出した。ソラを雲で覆い隠し、光を奪った。人間は住む場所をどんどん失って、やがて世界にひとつだけになった。聖女が誕生したのはこの頃だ。人類を代表して魔神に許しを請い、封印し続ける強大な魔力を持った人間――希望の象徴、それが聖女」

 次代の聖女と呼ばれながら、聖女の役割をはじめて聞いたわたしはただ聞き入る。
 それが、いずれわたしが担う役割なのだと。

 でも。ああ、だけど。
 ふとした違和感が、どんどん、どんどん大きくなる。
 祈りを捧げて封印するのが役目なら――『器』とはなんだろう。
 いつもわたしの内側から呼びかける声は、魔神の呪詛なのだろうか。
 わたしと一緒にいた他の人形。たくさんいた同類。でも、聖女の枠はひとりだけ。

 それに。
 わたしは生まれてから一度も魔神へ許しを請うたことはないし、そもそも謝るための心を聖女は持ち得ない。心がないのが聖女だと、そのように教育された。

 じゃあ、人間はどうやって許されようとしたのだろう。
 心なき人形に希望を託したというのだろうか。

 ――カラー……ン カラー……ン

 大聖堂の鐘が鳴る。
 途端、彼はがばりと起き上がると額に汗を浮かべて叫んだ。

「っやべ! 戻んねえと!」

 大急ぎで後片付けをし、バスケットをひっつかんで駆け出す。
 だが不意に足を止めたかと思うと、わたしに向けて大きな声を上げた。

「またな、チビ!」

 それは、彼にとってはなんでもない言葉だったのかもしれないけれど。
 わたしにはキラキラ光る宝石みたいな言葉に聞こえた。目を細めて、去っていく彼の背中へ届かないと分かっていながら呟く。

「……うん、待ってる」

 空虚な胸が、温かく感じる。

 ああ、声が聞こえない。
 どうしてだろう。
 ずっと鳴り止まなかった声が、やっと止まった。

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