上 下
3 / 7

しおりを挟む
 戦場へ向かう軍の中に、私は初めて加わった。

 ……普通、皇女はそんなことしないのだから、当然なのだけど。

 案外整然と、という様子はない。
 騎馬は歩兵達を置いていかないようにゆっくりと進むし、食料等を積んだ馬車がそれに続く。さらには戦が長期化した場合の需要を見込んで、鍛冶屋や革職人に商人やらがその後についてくるのだ。
 商人達は世間話をしながらついていくし、兵士達の私語も放置されている。

「黙らせなくていいんですか? 隊長」

 静かにした方がいいんじゃないか。生真面目にそう考えた騎士はいるようだ。
 私よりも年下だろう。十四歳か十五歳かな。表面の艶も輝かしい綺麗な胸当てと重そうなマントを身に着けている。彼は貴族の御曹司で、これが初陣なのかもしれない。
 尋ねられたクロード様は首を横に振った。

「緊張を晴らすやり方は人それぞれだ。特に前線に立たされる歩兵なら、死への恐怖も強いだろう」
「でも、規律が……」
「無理に押し込めて、その時に使い物にならない方が困る。雑談程度で済んでいるなら、放置することだ、レイリー」

 レイリーと呼ばれた茶の髪をした若い騎士は、不満そうにしながらもうなずいた。
 一方の私は、よけいに不安が増していた。
 クロード様の言葉で、この行軍が死地へ赴く物になるかもしれない、と再認識したから。騎士とて無事では済まないけれど、兵士の死傷率はさらに高いのは知っている。

 風がふいてきて、暗い気持ちの私(が同化したマント)を揺らす。
 やがてその風は、向かう先から雨雲を連れてきた。
 夕暮れ時になって、しとしとと降り始める雨。

 行軍は止まり、森の中で野営を始めた。
 しかし既に領土侵犯をされた後の増援軍だ。急ぐ行軍の関係上、悠長にテントを張るのは将軍格の者だけのようで、騎士であっても、木の枝を利用して屋根代わりの布を張って、その下で眠るという有様だ。

 雨で早々に足止めされた分、煮炊きをする時間ができたのか、クロード様が暖かなスープや飲み物を口にできたことはよかったのだけど。

 まだ夏には遠い。
 雨は冷たいはず。クロード様が風邪を引いてしまわないかと心配だ。
 私は無生物状態なので、寒くもないのだけど……。

 食事を終えたクロード様は、マントの上から毛布を被り木の幹にもたれた。
 そんな彼の元にレイリーがやってきた。彼は興奮に頬を赤らめてクロード様に宣言する。

「隊長はゆっくり休んでいらして下さいね! 見回りは僕がしっかりしておきますので!」
「初陣ではりきりすぎてると、死期が早まるぞ」

 血気盛んなレイリーに、クロード様が冷めた様子で応じた。それがレイリーにはお気に召さなかったようだ。

「初陣だからこそですよ! もちろん隊長みたいに英雄になれそうなほど僕は強くないかもしれません。だからこそ事前からお役に立ってみせます! なにせ英雄が来るっていうので、敵方が動揺してるらしいですから。国を守るためにも、隊長を守って見せます!」
「俺の事は気にしなくていい」
「そんなわけには参りません!」
「おい、レイリー」

 言うだけ言ったレイリーはさっさと立ち去ってしまう。
 引き留めようと声を掛けたクロードは、諦めたようにため息をついた。

「本当に、俺なんか気にする必要はないってのに」

 クロードはうつむいて、片手で目を覆う。

「俺一人だけが残ったって……」

 苦し気な声音。
 私がその言葉を聞くのは、二度目だった。


 それは半年前のこと。
 ツヴァイエとの戦いから帰還したクロード様は、劣勢の中で戦い続け、援軍が来るまで国境を守り抜いたことで、彼は時の人となったばかりだった。
 かくいう私も、彼が城に出向いた時に見かければ、他の女性達のようにその姿をこっそりと見ては喜んでいた。

 正直なところ、いつも隅っこにいるような私は、皇女としても目立たない存在だ。それは母親の身分がやや中途半端だったことや、その母親は離縁して私を置いて行ったことも関係がある。
 兄たちも立派に政務に携わっているので、継承に関しても、私の存在はなくてもいいものだ。

 しかも姉などは、私が自分よりも目立つことが気に食わないらしく……。しかも私も特別何かに秀でていたわけではないので、すっかりと、自分は表舞台には出ずにひっそりと一生を終える皇女なのだと思うようになっていた。

 そんな自分とは違い、クロード様はすごいことを自力で成し遂げ、皇帝にも賞賛された偉い人という認識だった。
 もちろん兄や姉達との交流はあっても、私とは何かの折に挨拶をしたきり。
 だから自分の人生に関わりのない人だとも思っていた。

 そんな私の気持ちが変わったのは、ある日、機嫌の悪そうな姉から隠れていた時のことだった。
 焦った私は近くのベランダへ出ようとした。隅に隠れた上で、ベランダの掃き出し窓にでも同化しようと思って。

 が、窓の前で足を止める。
 ベランダには先客が居た。
 風になびく金の髪。整ったその横顔は、クロード様に間違いなかった。

 いつも遠くから見ていた英雄が、すぐ近くにいる。
 私は思わずじっとその姿を見つめてしまった。
 普段は優しく微笑んでいるクロード様が、憂いを帯びた表情をしていたことも不思議だった。
 戦を勝ち残った英雄。そんな彼が、なぜこんな所でひとりぼっちでいて……悲しそうな表情で景色を眺めているのか。

 その時、クロード様が独り言を口にした。
 強い風は、その呟きを私の下へ届けてくれた。

「俺一人だけが生き残ったって……」

 息をのんだ。
 クロード様は一緒に戦った仲間を沢山失ったのだ。それでも戦い続けたからこそ『少数を率いて死守した英雄』になったのだ。
 友達もいただろう。
 そんな人達を目の前で失って、でも嘆き悲しむ様子を人に見せられなかったのだと気づいた。

 みんなが笑顔で彼を讃えるから。国が守られて喜んでいる人々の前で、英雄が悲しい顔をするわけにはいかないから。
 あとは悲しみを語り合える人のほとんどが、死んでしまったからではないだろうか。

(いつも、こんな風に一人で哀しんでたの……?)

 私は胸が苦しくなった。
 けれど、どう声をかけていいのかわからない。苦しみを共有できるわけでもない私に同情されても、クロード様は嫌がるかも知れない。
 でも離れがたかった。どうしてもこの人を、少しでも穏やかな気持ちにできたらと思ってしまったのだ。

 とはいえ、今自分ができることなど、ほとんどない……と思ったところで、自分のポケットの中に入れていた包み紙とその中身について思い出した。

(でもこんなお菓子をもらっても……迷惑かも)

 そう思ってためらった瞬間に、クロード様がベランダの柵から離れてこちらを振り返ってしまう。
 目が合った。

(ど、どうしよう)

 悪い事をしていたわけじゃない。けれど見ていたことがバレてしまうと、さすがに気まずいと思った。
 しかし振り返ったクロード様は、影の薄い私の顔を覚えていなかったようだ。
 首をかしげて「何か用か?」と聞いてくる。
 私はこれは幸いと思って、とっさにポケットの中のお菓子を理由にした。

「あの、受け取ってください! 捨ててもかまいませんので!」

 いかにも『あこがれの人にプレゼントを渡しに来た』風を装い、私は逃げ出した。
 走り去って、階段を下りて、庭へ出る頃になってため息をついた。
 無理やりお菓子を渡して逃げて行く女の姿を見たクロードは、きっと怪しがって捨ててしまうに違いない。そして私の印象はちょっと悪くなっただろう。

(ううぅ。変なことしちゃった)

 もっとなんか気の利いた言い訳が思いつかなかったものか。そう思いつつ、庭からそっとあのベランダがあった辺りを見上げた。
 私は目を見開いたのだ。
 寂しそうだった彼が、笑っているのが見えたから。しかも彼が見ているのは、掌の上に置いた私が置いていった赤いリボンを結んだ包み紙だ。

(お菓子、喜んでくれた?)

 そう思ったとたん、心の中にふわっと甘い痛みが広がった。
 嬉しさと切なさで一杯になって……それから、私は彼しか見えなくなったのだ。


 あの時みたいに笑ってほしい。
 彼の友達になれるようなきっかけもない私は、静かにそう願っていた。
 戦が遠い過去になれば、いつかクロード様の傷も癒え、そう思ってくれるようになるだろうと思っていた。

 が、再び戦争が起こってしまった。
 死んでしまったら、心を癒す時間さえなくなってしまう。だから本当のところ私は……彼を守れたらと、そう思った。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

どうして私にこだわるんですか!?

風見ゆうみ
恋愛
「手柄をたてて君に似合う男になって帰ってくる」そう言って旅立って行った婚約者は三年後、伯爵の爵位をいただくのですが、それと同時に旅先で出会った令嬢との結婚が決まったそうです。 それを知った伯爵令嬢である私、リノア・ブルーミングは悲しい気持ちなんて全くわいてきませんでした。だって、そんな事になるだろうなってわかってましたから! 婚約破棄されて捨てられたという噂が広まり、もう結婚は無理かな、と諦めていたら、なんと辺境伯から結婚の申し出が! その方は冷酷、無口で有名な方。おっとりした私なんて、すぐに捨てられてしまう、そう思ったので、うまーくお断りして田舎でゆっくり過ごそうと思ったら、なぜか結婚のお断りを断られてしまう。 え!? そんな事ってあるんですか? しかもなぜか、元婚約者とその彼女が田舎に引っ越した私を追いかけてきて!? おっとりマイペースなヒロインとヒロインに恋をしている辺境伯とのラブコメです。ざまぁは後半です。 ※独自の世界観ですので、設定はゆるめ、ご都合主義です。

長編版 王太子に婚約破棄されましたが幼馴染からの愛に気付いたので問題ありません

天田れおぽん
恋愛
 頑張れば愛されると、いつから錯覚していた?  18歳のアリシア・ダナン侯爵令嬢は、長年婚約関係にあった王太子ペドロに婚約破棄を宣言される。  今までの努力は一体何のためだったの?  燃え尽きたようなアリシアの元に幼馴染の青年レアンが現れ、彼女の知らなかった事実と共にふたりの愛が動き出す。  私は私のまま、アナタに愛されたい ――――――。 ✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼   他サイトでも掲載中 ✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼  HOTランキング入りできました。  ありがとうございます。m(_ _)m ★⌒*+*⌒★ ☆宣伝☆ ★⌒*+*⌒★  初書籍 「婚約破棄された不遇令嬢ですが、イケオジ辺境伯と幸せになります!」  が、レジーナブックスさまより発売中です。 よろしくお願いいたします。m(_ _)m

【完結】私の代わりに。〜お人形を作ってあげる事にしました。婚約者もこの子が良いでしょう?〜

BBやっこ
恋愛
黙っていろという婚約者 おとなしい娘、言うことを聞く、言われたまま動く人形が欲しい両親。 友人と思っていた令嬢達は、「貴女の後ろにいる方々の力が欲しいだけ」と私の存在を見ることはなかった。 私の勘違いだったのね。もうおとなしくしていられない。側にも居たくないから。 なら、お人形でも良いでしょう?私の魔力を注いで創ったお人形は、貴方達の望むよに動くわ。

王太子エンドを迎えたはずのヒロインが今更私の婚約者を攻略しようとしているけどさせません

黒木メイ
恋愛
日本人だった頃の記憶があるクロエ。 でも、この世界が乙女ゲームに似た世界だとは知らなかった。 知ったのはヒロインらしき人物が落とした『攻略ノート』のおかげ。 学園も卒業して、ヒロインは王太子エンドを無事に迎えたはずなんだけど……何故か今になってヒロインが私の婚約者に近づいてきた。 いったい、何を考えているの?! 仕方ない。現実を見せてあげましょう。 と、いうわけでクロエは婚約者であるダニエルに告げた。 「しばらくの間、実家に帰らせていただきます」 突然告げられたクロエ至上主義なダニエルは顔面蒼白。 普段使わない頭を使ってクロエに戻ってきてもらう為に奮闘する。 ※わりと見切り発車です。すみません。 ※小説家になろう様にも掲載。(7/21異世界転生恋愛日間1位)

モブの私がなぜかヒロインを押し退けて王太子殿下に選ばれました

みゅー
恋愛
その国では婚約者候補を集め、その中から王太子殿下が自分の婚約者を選ぶ。 ケイトは自分がそんな乙女ゲームの世界に、転生してしまったことを知った。 だが、ケイトはそのゲームには登場しておらず、気にせずそのままその世界で自分の身の丈にあった普通の生活をするつもりでいた。だが、ある日宮廷から使者が訪れ、婚約者候補となってしまい…… そんなお話です。

【完結】27王女様の護衛は、私の彼だった。

華蓮
恋愛
ラビートは、アリエンスのことが好きで、結婚したら少しでも贅沢できるように出世いいしたかった。 王女の護衛になる事になり、出世できたことを喜んだ。 王女は、ラビートのことを気に入り、休みの日も呼び出すようになり、ラビートは、休みも王女の護衛になり、アリエンスといる時間が少なくなっていった。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

五歳の時から、側にいた

田尾風香
恋愛
五歳。グレースは初めて国王の長男のグリフィンと出会った。 それからというもの、お互いにいがみ合いながらもグレースはグリフィンの側にいた。十六歳に婚約し、十九歳で結婚した。 グリフィンは、初めてグレースと会ってからずっとその姿を追い続けた。十九歳で結婚し、三十二歳で亡くして初めて、グリフィンはグレースへの想いに気付く。 前編グレース視点、後編グリフィン視点です。全二話。後編は来週木曜31日に投稿します。

処理中です...