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第一部 ガーランド転生騒動

アンドリューの気遣い

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 「やっぱり……僕でも、怖い?」

  気付かれていた。
  そうわかったとたんに、がっかりとした気持ちとわかってもらえたという感情が心の中でないまぜになった。だって、アンドリュー達は助けてくれたのに。それでも、怖いと思うだなんて申し訳なかったから。

 「キースに無理強いされそうになって、男性が怖くなってしまったんだろう? もっと早く助けてあげられなくて、ごめん」

  私が何も言えずにうつむいて黙り込んでしまうと、アンドリューがなんでもないように隣に座った。
  またびくついてしまう。離れたいと思ってしまう。そんな気がないのをわかっていても、彼が自分なんてものともしない力を持っていることが怖いのだ。
  そんな気持ちをじっとやりすごそうとしたけれど、不意にアンドリューとの間を仕切るようにベンチについていた手を握られた。

 「ひゃっ!」

 「握るだけだよ。それだけ」

  アンドリューはなだめるように言って、私の手を握りこむ。けれど本当にそれ以上動かず、私の方を向かずにじっと前を向いている。
  彼の視線の先にあるのは、防音を兼ねた公園の壁だけ。煉瓦を積み上げた壁には、その無骨さを軽減するためにか、何かの彫刻作品が中央部にはめ込まれている。
  アンドリューはじっとそれを見つめながら、やがて口を開いた。

 「本当は笹原さんにいてもらった方がいいかもしれないと思った。けど女の子がいると君の場合、よけいに肩肘はるだろう? 根っからの騎士気質の人みたいだからね。あのままじゃ、結局男性が怖いことは払しょくできずに、僕やエドにも近づけなくなるんじゃないかと思って」

  彼が語っているのは、自分一人がこうして残り、私の隣に座って手を握っている理由だ。

 「このまま帰したら、沙桐さんは恐怖を胸の奥に押し込めてそれを消せなくなるだろう。何もなかったように接してみせながら、男みんなを怖がるようになってしまうから」

  そこでようやく、アンドリューは私を振り返る。

 「沙桐さん、君は強い人だ。だからその強さを、恐怖で嘘の物にしてほしくない。なにより、僕やエドだけでも怖がったりしないでほしいんだ。友達だろう?」

  聞かれた私は返事に詰まる。
  アンドリュー達とは友達だと思う。だけど理屈じゃないのだ。ただただ、自分が絶対的に敵わないとわかったから怖いのだ。
  怒らせたらどうしよう。実はみんな優しいふりをして、気に入らないと思ったら脅してきたらどうしよう、と。

  今さらになって、みんなが自分に手加減してくれてただけなんだと再認識した。それは多分、子供が抗議してきた時に大人が自分の力を振りかざさずにいるようなものなのではないかと思う。ならば自分と男子たちは対等じゃないのでは、と私は気付いてしまったのだ。
  だからどうしたら対等でいられるのか。その方法を見つけるか、この気持ちを忘れられない限りは怖がり続けるだろうと思うのだ。

  でもその理由をすぐに見つけ出せるとは思えない。
  だけどぐずぐずして、アンドリュー達に嫌われたくはない。
  だから私の手を離さず、じっと待ってくれているこの人を、がっかりさせたくない一心で答えを絞り出した。

 「アンドリューや、エドのことは……友達だよ。だけど、他の人は」

  他の人までアンドリュー達のように配慮してはくれない。だから怖い。
  弱音が口から滑り出す。けれどアンドリューは、そのことを静かに受け止めて、そして答えをくれた。

 「沙桐さん。学校に通ってる人達はみんな、今まで君を力で傷つけたりしなかっただろう? それは、一緒に生きている仲間だからだよ」

 「仲間……だから?」

  アンドリューは微笑んでうなずく。

 「お互いが、その社会で生きていかなければならない相手だとわかってるんだ。だから無用な摩擦を避けようとするし、たとえそんなに気に掛けていない相手でも、先生に指示されたら手助けもするだろう? 時々それを忘れた人だけが、自分を優先させたくてむやみに力をふるおうとする。だけどほとんどの人がそうしないのは、お互いを同じ社会の中での仲間だとわかっているからだよ」

  私はぽかんと口を開けて聞き入った。
  そうしてなんとなく想像したのは蟻の行列だ。彼らは前の蟻の後を追って歩く。一つの目的のために、食料を手に入れるために、居心地の良い巣をつくるために。
  自分がその蟻の一匹なのだと考えると、なるほどむやみに齧られたりしないのは、同じ目的を持って作業している仲間だからなのだと理解できるような気がした。

  けれど私の心の中には、まだ疑いが残ってしまう。

 「でも、誰が仲間だと思っていない相手だなんてわかるの? もしまたそうしないと信じてたのに、手を振りあげられるようなことがあったら……」

 「その時は、助ける」

  アンドリューは言いきった。

 「どこにいても、必ず助けてみせる。約束するよ」

  ――息を飲んだ。
  言葉と視線に、胸を射抜かれたような感覚に陥りそうだ。そんな言葉を、まっすぐに自分に差し出してくれることにも驚く。
  だから反発してしまったのかもしれない。気付けば反論してしまっていた。

 「でも、必ずなんて無理でしょ」

 「疑い深いな、沙桐さんは」

  そう言ってアンドリューは笑った。

 「だけどそれが沙桐さんだからね。いいよ、疑っても。それでも僕は、隠れていても必ず見つけるから」

 「どうやって?」

 「異世界人だよ僕は。こっちの世界では考えられないような不思議を起こせると思わないかい?」

 「そりゃ、テレビとかで見たけどあんなバカでかい魔物とか、本当に剣だけで倒してるのかなとか、不思議に思ったことはあるけど」

  なまじゲームなんかをしているせいで、驚異の身体能力だけでそんなことが可能なのか。実は魔法を使ってるんじゃないかと疑ったりもしていたのだ。

 「なら信じられるはずだよ。僕がこの世界の人間じゃないからこそだって。……それに君がいないと、エドがまた結婚相手がどうのとうるさくなるからね。必死で探すよ」

 「え、エド避けのため!? 私の感動返してよ!」

  目を丸くする私に、アンドリューはくすくすと笑い出す。

 「感動してくれたんだ?」

 「だってっ、普通こっちの世界の人間は、アンドリューみたいに臆面もなく助けるとか言わないし……」

 「でも、言ったことはうそじゃないから。……信じてくれる?」

  アンドリューのアメジストみたいな瞳が、不安げに揺れて見えた。私はその瞳に吸い込まれるような気持ちになる。
  そうして脳裏にささやく声が聞こえた気がした。
  ――信じてもいい。
  彼はたぶん、自分を傷つけることを恐れている人だから。

 「……うん」

  私は彼の視線に促されるように頭を上下に動かした。
  助けてくれると、信じる。自分は何があっても、探し出して助けようとしてくれる人がいるんだ。

  そう思ったとたん、急に泣きたい気持ちになる。見つめていた宝石のような瞳を持つ人の姿が、涙の膜に歪んでいく。
  うつむいた瞬間、はたはたっと落ちた滴が、制服のスカートを濃い灰色ににじませる。

  顔をぬぐおうとした。
  そうしたらアンドリューが、自分の肩に私の頭を押し付けるようにしてもたれさせた。
  驚いて身をよじりかけたけれど、それを抑えるアンドリューの手が暖かくて、わずかな抵抗感が薄れていく。

 「濡れちゃうよ……」

 「別にいいよ」

  あっさりと許可されて、私は余計に恥ずかしくなる。
  どうしてそうカッコいいことをさらりと言えちゃうのだろう。さすが王子様だと思うし、拒否されないことがうれしくて。
  でも気恥ずかしさから、ごまかすように別なことを話そうとしてしまう。

 「うう。キースに頭突きしちゃった。恨んでたらどうしよう」

 「それも問題ないよ。あっちの世界で討伐をしたこともあると聞いているよ。なら、それでどうにかなるほど軟じゃない。むしろ女の子の頭突きぐらいで逆恨みとか、蚊に刺された程度のものでしかないよ」

 「私痒い間は蚊のことすごく憎らしく思っちゃうけど……。でももうしない……」

 「うん、もうしなくていいよ」

  そう言って、思い出して震え始めた手を握っていたアンドリューは、更に強く握りしめてくれた。

 「必要だったら、僕が代わりにするから」

  まさかアンドリューが頭突きをするのか。そう茶化そうとしたけれど、口が震えて何も言えない。
  そうしてじっとアンドリューの肩に目を押し付けて泣くしかなかった私だったが、ああ、そうかと納得してもいた。

  アンドリューは私のことを泣かせたかったんだと。だから気を張って弱い所を見せないだろうと、笹原さんを先に帰したのだ。
  実際に泣きだしてしまうと、水分と一緒に心の中の澱まで流れ出すように感じていた。
  それにもう、アンドリューのことは怖くない。むしろずっとこうしていられたら、とても安心できるのにと思うほどだ。

  その願い通り、アンドリューは私が泣き止んでしまうまで、ずっと手を離さずにいてくれたのだった。
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