曙花町男娼夜鷹坂

み馬

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〘148〙鐵、失笑

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 何事も引き際が肝心である。潮時しおどきではない。エンジュが夜鷹坂にきて三週間目の夜、ハルチカが枕席に侍る相手は、テツだった。五十代前半の初老だが、厚顔無恥な男につき、相性はよろしくない。

「なんでおれなのさ。……キリコとかヒョウエがいるのに、」

「気持ちよさそうに股をひらいて云う科白せりふかよ。……このあたりだったか?」

「うッ、あぁッ、……ッ!」

 正常位でテツと躰をつなげるハルチカは、不本意ながら感じるところを刺激され、「あんあん」と声を洩らした。新顔のエンジュとも、何日か前に枕席を経験済みのテツは、夜鷹坂に身をおく男娼をすべて抱き尽くした利用客色ボケおやじである。ハルチカ的に好かない男だが、アカラギに案内された以上、なにか意図があってのことだろうと考えた。

「……あッ、あッ、……んぁァッ!!」

 互いに絶頂を遂げたあと、ハルチカは枕を抱いて横になっていた。下着の替えを持参してくるテツは、何度となく夜鷹坂を出入りするお得意さまのひとりだが、妻子がある身で娼館に散財するとは、滑稽こっけいな話だ。見知らぬ男と枕席に侍る夫を、妻子はどう思っているのか、謎である。

「おまえな、その目はやめろ。」

「……え?」

「おれの事情を勘ぐるなと云ってる。つまらない上級男娼おまえと遊ぶくらいには裕福で、ぜにはあり余っているんだよ。」

「つまらないって云うな。おれだって、あんたの財布なんか心配してないし、家族のことも気にしてないよ。」

 口にして、しまったと思ったハルチカは、とっさに枕で顔を隠したが、テツに笑われた。

「嘘がつけないやつだな。……なにが知りたい? 特別に質問を許可してやる。」

「……べつに、知りたいことなんて、」

 いつもと異なる展開に当惑ぎみのハルチカは、着がえをすませたテツと、会話におよんだ。行燈あんどんの暗がりに腰をおろすテツは、キリコを愛人に囲う算段をふい、、にされている。ほしいと願ったものは、キリコの気持ちではない。上級男娼を個人的にもとめる金額を捻出することもできたが、テツは、キリコの後見人役をあきらめた。

「それじゃあ、質問。こういう趣味って、どんな拍子にハマるものなの?」
「なんだ、そんなことが知りたいのか? 娼館通しょうかんがよいなんざ、ハマるもハマらないもないぜ。いて答えるならば、道楽みたいなものさ。」
「ど、どうらく?」
「趣味ってのは、気分転換を目的として無理なく楽しむものだ。道楽ってのは、本職以外に金銭をつぎ込んで、自堕落に熱中するものだ。」
「じだらく……、」
「その顔じゃあ、まるっきりわかってねーな。」
「今、一生懸命かんがえるから!」
「はははっ、御頭おつむが足りないってのは愉快だな。こうして客の話を聞くと、少しは社会勉強になるだろう。」
「……なる……と思う。おれ、世の中のことなんて、わかろうとしなかったから……、」
「まぎらわしい云い方だな。」
「親に捨てられた現実を、子どもの頭で理解するほうが無理だよ。」
「親の事情なんざ、考えるだけ時間の無駄さ。おまえは、好きに生きる道を手に入れたと思えばいい。」
「適当なこと云うな、」
「世の中、適当がいちばんなンだよ。誰かを恨んでも、疲れるだけだ。」

 テツは、ハルチカの頭をポンポンと軽くたたくと、壺の間を退出した。大きな手のひらに一瞬ドキッとしたハルチカは、遠い記憶を旅してみたが、頭を撫でてもらった場面まで、たどり着くことはできなかった。

「……お父さん、……お母さん、」

 今更、逢いたいとは思わない。ハルチカは、静かにまぶたを閉じた。


✓つづく
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