148 / 200
〘148〙鐵、失笑
しおりを挟む何事も引き際が肝心である。潮時ではない。エンジュが夜鷹坂にきて三週間目の夜、ハルチカが枕席に侍る相手は、鐵だった。五十代前半の初老だが、厚顔無恥な男につき、相性はよろしくない。
「なんでおれなのさ。……キリコとかヒョウエがいるのに、」
「気持ちよさそうに股をひらいて云う科白かよ。……この辺りだったか?」
「うッ、あぁッ、……ッ!」
正常位でテツと躰をつなげるハルチカは、不本意ながら感じるところを刺激され、「あんあん」と声を洩らした。新顔のエンジュとも、何日か前に枕席を経験済みのテツは、夜鷹坂に身をおく男娼をすべて抱き尽くした利用客である。ハルチカ的に好かない男だが、アカラギに案内された以上、なにか意図があってのことだろうと考えた。
「……あッ、あッ、……んぁァッ!!」
互いに絶頂を遂げたあと、ハルチカは枕を抱いて横になっていた。下着の替えを持参してくるテツは、何度となく夜鷹坂を出入りするお得意さまのひとりだが、妻子がある身で娼館に散財するとは、滑稽な話だ。見知らぬ男と枕席に侍る夫を、妻子はどう思っているのか、謎である。
「おまえな、その目はやめろ。」
「……え?」
「おれの事情を勘ぐるなと云ってる。つまらない上級男娼と遊ぶくらいには裕福で、銭はあり余っているんだよ。」
「つまらないって云うな。おれだって、あんたの財布なんか心配してないし、家族のことも気にしてないよ。」
口にして、しまったと思ったハルチカは、とっさに枕で顔を隠したが、テツに笑われた。
「嘘がつけないやつだな。……なにが知りたい? 特別に質問を許可してやる。」
「……べつに、知りたいことなんて、」
いつもと異なる展開に当惑ぎみのハルチカは、着がえをすませたテツと、会話におよんだ。行燈の暗がりに腰をおろすテツは、キリコを愛人に囲う算段をふいにされている。ほしいと願ったものは、キリコの気持ちではない。上級男娼を個人的に購める金額を捻出することもできたが、テツは、キリコの後見人役をあきらめた。
「それじゃあ、質問。こういう趣味って、どんな拍子にハマるものなの?」
「なんだ、そんなことが知りたいのか? 娼館通いなんざ、ハマるもハマらないもないぜ。強いて答えるならば、道楽みたいなものさ。」
「ど、どうらく?」
「趣味ってのは、気分転換を目的として無理なく楽しむものだ。道楽ってのは、本職以外に金銭をつぎ込んで、自堕落に熱中するものだ。」
「じだらく……、」
「その顔じゃあ、まるっきり判ってねーな。」
「今、一生懸命かんがえるから!」
「はははっ、御頭が足りないってのは愉快だな。こうして客の話を聞くと、少しは社会勉強になるだろう。」
「……なる……と思う。おれ、世の中のことなんて、わかろうとしなかったから……、」
「まぎらわしい云い方だな。」
「親に捨てられた現実を、子どもの頭で理解するほうが無理だよ。」
「親の事情なんざ、考えるだけ時間の無駄さ。おまえは、好きに生きる道を手に入れたと思えばいい。」
「適当なこと云うな、」
「世の中、適当がいちばんなンだよ。誰かを恨んでも、疲れるだけだ。」
テツは、ハルチカの頭をポンポンと軽くたたくと、壺の間を退出した。大きな手のひらに一瞬ドキッとしたハルチカは、遠い記憶を旅してみたが、頭を撫でてもらった場面まで、たどり着くことはできなかった。
「……お父さん、……お母さん、」
今更、逢いたいとは思わない。ハルチカは、静かにまぶたを閉じた。
✓つづく
0
お気に入りに追加
35
あなたにおすすめの小説


サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。


身体検査
RIKUTO
BL
次世代優生保護法。この世界の日本は、最適な遺伝子を残し、日本民族の優秀さを維持するとの目的で、
選ばれた青少年たちの体を徹底的に検査する。厳正な検査だというが、異常なほどに性器と排泄器の検査をするのである。それに選ばれたとある少年の全記録。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

ある少年の体調不良について
雨水林檎
BL
皆に好かれるいつもにこやかな少年新島陽(にいじまはる)と幼馴染で親友の薬師寺優巳(やくしじまさみ)。高校に入学してしばらく陽は風邪をひいたことをきっかけにひどく体調を崩して行く……。
BLもしくはブロマンス小説。
体調不良描写があります。

塾の先生を舐めてはいけません(性的な意味で)
ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
個別指導塾で講師のアルバイトを始めたが、妙にスキンシップ多めで懐いてくる生徒がいた。
そしてやがてその生徒の行為はエスカレートし、ついに一線を超えてくる――。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる