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〘143〙面従腹背
しおりを挟むエンオウは、さかりがついた猫を飼った経験も、男と狎れあった過去もない。したがって、次々とあらわれるエンジュの身軽さと緊張感のなさに呆れて、溜め息を吐いた。夜鷹坂では、男娼への個人的な贈りものは禁止事項につき、エンジュの所持品として譲渡した。
吊り灯が真上にある踊り場で、厨房へと引き返すエンオウの背中を見つめるエンジュは、あの大男と、物理的に遊んでみたいという願望が湧いてきた。やがて、壺の間へ男娼が呼ばれ始めると、裏庭の井戸端へ移動して夜風に吹かれるエンジュを、アカラギが迎えにきた。
「よく、ここがわかったな。」
「控えの間で待て。冷めた躰で客の相手をするつもりか、」
「怒るなよ。……見ろよ、猫の首輪だ。似合うか? 裏庭で拾ったんだ。第一発見者だし、もらってもいいよな。」
エンジュは平然と嘘をつき、首もとの瑪瑙石をちらつかせる。アカラギは一瞬眉をひそめたが、要人を待たせているため、騙されておく。
「ラギ、」
先に階段をのぼるアカラギに、エンジュが独り言のようにつぶやいた。
「ハルチカが大事そうに使ってる赤い珊瑚玉のかんざし、あれさ、あんたが買ってやったんだってな。」
エンジュは首もとの黒瑪瑙を指でなぞり、ふたりの関係を勘ぐった。恋人同士には見えないが、ハルチカの思いは誰の目にもあきらかで、同室となったエンジュは、焦れったく感じた。
「ラギ、」
「無駄話は終わりだ。そつなくこなせよ。」
壺の間に案内されたエンジュは、アダシノと対面した。要らぬ勘がはたらくエンジュは笑みを浮かべ、着流しを脱いで裸身になった。
「ご指名いただき、誠にありがとうございます。今宵の極楽行きは、このエンジュがお供いたします。」
アダシノに向かってお辞儀をすると、布団に横たわるよう指で示された。スーツの上着を脱いでネクタイを解くアダシノは、男娼の首もとに光る黒瑪瑙に目を留めた。古来より、数珠や念珠に使用されることが多い宝石で、厄除けや悪縁を断ち切るともいわれるため、身をまもる石として人気が高い。ただし、黒色の瑪瑙は、炭化させたりと人工処理しているものが基本につき、価値はあまり期待できない。もっとも、恋人同士であれば、愛を深める効果がある。
「不埒な新入りだな。……この傷口は、なんだね?」
躰を横たえるエンジュは、アダシノに何年も前の脇腹の縫合痕を指摘され、「それなら」と、気安く応じた。路上で身売りをしていたとき、吝嗇な不男に刺されたと告げる。辺りには鮮血が飛び散り、エンジュが倒れると、薔薇のような染みができた。どこかの病院へ運ばれて治療を受けたが、手術代は躰で払うしかなかった。消毒液が鼻をつく診察台のうえで、医者の刀身をしゃぶってやった。エンジュには、なんの誇りもない。守るべき家族もいない。息子が同性愛だと知ったとき、あっさり他人の関係となった。家を追いだされたエンジュは、ようやくじぶんらしく生きられた。
アダシノの丹念な精査はつづく。焦れったい動きはエンジュの主義に反するが、相手は高額な指名料を納める要人につき、好きなようにさぐらせた。皮膚の表面を這う指の勁さより、黒瑪瑙のひんやりとした感触が心地よい。アダシノに膝をひらかれるエンジュは、エンオウならば、男娼をどんなふうに抱くのかと想像してみた。
調理場で皿洗いをする大男は、不可思議な体験をした。頑なに折りたたまれた躰が、風船のように膨らむ錯覚にとらわれる。抑圧されたエンオウの理性は、もののはずみで吹き飛びそうだった。
✓つづく
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