曙花町男娼夜鷹坂

み馬

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〘123〙感情移入

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 絶望にうちひしがれて夜鷹坂の住人となったキリコは、タカムラの指示により、アカラギと壺の間で初対面した。


「おまえ、名前は、」

帯刀オビナタ桐涸キリコ……、」

「俺は、赤羅城アカラギ未春ミハルだ。……で、今から俺と寝ることになるが、これから先、男娼として働く覚悟は本当にあるのか? 花町を逃げだすなら、裏道ルートを教えてやってもいい。」

 
 当時、二十代前半のアカラギは、タカムラの部下として夜鷹坂に従事していたが、懐疑的な意見を口にしてみせた。壺の間へは、湯を浴びて肉体奉仕をする準備を整えてきたキリコとしては、アカラギの科白せりふが意外でならなかった。問答無用で、ねじ伏せられると思っていた。実際、行燈あんどんの暗がりに敷かれた布団は、妙になまなましく見える。性教育を担当する男が、じぶんの年齢と近しいことにも驚いた(もっと年寄りを想像していた)。

「どうする? やめるか?」

 アカラギは屏風びょうぶの前にすわったまま、動かない。なぜか退路を示されて当惑するキリコは、障子戸を背にして立ち尽くした。行き場をなくしたとはいえ、男娼として働く必要はない。まだ、将来を選択する権利は残されていた。望みもせず、花町で身売りを始めた人間の末路は、悲惨である。何事も、意思決定があってこそ、自我の崩壊を防げる。心が折れるまえに、観念を問われたキリコは、アカラギほどの人格者ならば、娼館ここで生きつづけるための身ごなし、、、、を、完璧に伝授してもらえると思った。

 首を縦にふるつもりが、先に笑みがこぼれてしまったキリコは、「ふふっ」と息を洩らした。スイッと畳のうえを歩き、アカラギの目の前で裸身はだかになると、「すでにけがれた身ですが、どうぞ、ご指導ください」といって、夜鷹坂の男娼となる未来みちえらんだ。相手が覚悟をきめた以上、アカラギも多くは問わない。キリコに性的な手ほどきをしつつ、その肉体の特徴を調べることに集中した。後日、アカラギはタカムラに、キリコは上級男娼と成り得る逸材だと報告した。


 深く眠っていたキリコは、アカラギと出逢ったころの夢を見ていた。心が居場所を要求するとき、キリコはいつも、昔を思いだす。あのときに感じた愛が、やさしく躰を包み込むからだ。けっして無慈悲ではなく、それでいて容易たやすくはない時間は、濃霧の奥にある。ときどき、置き去りにしてきた記憶をたよりに、じぶんを慰めてみるのも悪くないだろう。


「……それでもわたしは、助けを求めない、」


 すべては、あの日、じぶんで決めたことだから。アカラギを前にして、芽生えてしまった感情を白状することは、断じて、許されない。キリコは、男娼として生き抜くことが、愛の証明であると信じており、終焉に行きつく過程で弱音を吐くなど、言語道断だった。

「おまえは、そういうやつだ。」

 と、誰かが云った。おぼろげな意識で声のぬしをさがすが、キリコの目に姿は映らなかった。声の調子で人物を思い浮かべようとしても、睡魔が降りてきて、思考力を奪われた。キリコは、どこかの部屋で横になっている。お仕置き部屋で、アカラギの声を聞いたような気もするが、たった今、聞こえた声は、それより少し低い。いったい誰が、じぶんのことをわかったつもりでいるのか、まぶたが重いキリコに、つきとめる手立てはなかった。

 ──こんな夢を見た。黒眼の光沢つやに、赤い口唇くちびるをした男の顔が映っている。流行はやりの紅を塗った男娼かと思ったが、それは、じぶんが吐いた血で染まっていた。


✓つづく
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