曙花町男娼夜鷹坂

み馬

文字の大きさ
上 下
114 / 200

〘114〙道しるべ

しおりを挟む

 タカムラの口づけを受けたハルチカは、むやみに躰が火照ほてるため、部屋にもどる予定を変えた。人気ひとけのない仏間へ向かい、なにをまつっているのかよくわからない仏壇の前にしゃがみこんだ。

 仏間とは、先祖の霊が宿るとされる位牌を納める仏壇を安置する部屋で、仏様はおそれる存在ではない。別室に設計せず、床の間に置いてもよいとされていた。間取りとして重要なのは方角だけである。宗派や故人のしのぶ作法を知らないハルチカは、線香立てを、じっと見つめた。古来より珍重されてきた香木こうぼくと希少な沈香を使った伽羅富嶽ふがくは、艶冶で幽玄な世界を表現するとされ、最上級の線香である。桐箱で売られている線香など、見たこともないハルチカは、経机の花瓶や香炉を指でなぞり、溜め息を吐いた。

「……なんであんなこと、」

 たった今、楼主の部屋で起きた事実ことに途惑っていると、カタンッと、窓の外で物音がした。ひとつしかない窓をあけると、斑猫ぶちねこが「ニャア」と鳴き、ハルチカが呼び寄せる間もなく、タタタッと路地へ姿を消した。花町の残飯ざんぱんは栄養があるようすで、胴体は丸々とえていた。それでいて脚は速く、やすやすとは捕まらない。タカムラに見つけてもらうまで、路上生活をしていたハルチカは、たびたび猫のあとを追いかけて、いっしょに屑入くずいれをあさった。群れずに草のみちを生きる猫は、タマシイが体から離れるまで、悲鳴をあげない。孤高な動物である。

 湿しめった風が吹きぬける路地に黒い鳥がやってくると、ギャアギャアと騒ぎたてた。ハルチカは窓をしめるまえに灰色雲が低く垂れる空を見あげ、雨を予感した。雪解け水が流れる音が、四辺あたりから聞こえてくる。仏間は一階につき、この放たれた窓を飛びだせば、どこにでも行ける気がしたが、そうする理由が思いつかないため、鍵を掛けて三階にもどった。

 次に化粧台ドレッサーのまえに坐り、鏡に映る顔と見つめ合った。幾度となく男の欲望を受け容れてきた姿は、生き生きとして美しいわけではないが、サイキチいわく、すばらしいと感じてもらえるような雰囲気くらいは、身に備わっているらしい。これまでの経験がハルチカを形づくり、これから先は、注意深く物事を見極めていく必要がある。壺の間で受け身に徹しても、自由な意志まで奪取されてはならない。ハルチカは、サイキチと約束した。すばらしい男娼になってみせると。見た目の美しさではなく、内側から立ちのぼる要素こそ、快楽を求める男どもを引きつけるのだ。

「……ねえ、あなた、、、。ご覧よ、あたし、、、のこの肉体からだ、好きなだけ可愛がって、たっぷり濡らしてくださる?」

 キリコの口真似をして、鏡のなかのじぶんを誘惑してみる。うしろ髪に指を絡めて首をかたむけ、腰をひねったり前に突きだしたりしていると、アッという間に日が暮れた。夜鷹坂の看板に電氣がともり、ヒシクラが帳場におちつく。アカラギは客入りまえの壺の間を巡回し、不備がないか確認した。今夜もまた男娼として咲き淫れることになるハルチカは、髪結場で仕度したくを整えると、控えの間へ移動した。

 客間で芸者が奏でる猫皮の三味線は、鈴が転がるような音がする。仏間の窓から見た斑猫は路地に消えていったが、ハルチカの耳には、ここにいるよと鳴いているように聞こえた。人に飼われる暮らしを知らない野生の猫は、闇から闇を走り抜け、自由と引きかえに安全な道から遠ざかってゆく。あすにもがく声は、花町の喧騒に消えていく──。


✓つづく
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

塾の先生を舐めてはいけません(性的な意味で)

ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
個別指導塾で講師のアルバイトを始めたが、妙にスキンシップ多めで懐いてくる生徒がいた。 そしてやがてその生徒の行為はエスカレートし、ついに一線を超えてくる――。

騙されて快楽地獄

てけてとん
BL
友人におすすめされたマッサージ店で快楽地獄に落とされる話です。長すぎたので2話に分けています。

男子寮のベットの軋む音

なる
BL
ある大学に男子寮が存在した。 そこでは、思春期の男達が住んでおり先輩と後輩からなる相部屋制度。 ある一室からは夜な夜なベットの軋む音が聞こえる。 女子禁制の禁断の場所。

嫁さんのいる俺はハイスペ男とヤレるジムに通うけど恋愛対象は女です

ルシーアンナ
BL
会員制ハッテンバ スポーツジムでハイスペ攻め漁りする既婚受けの話。 DD×リーマン リーマン×リーマン

鬼上司と秘密の同居

なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳 幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ… そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた… いったい?…どうして?…こうなった? 「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」 スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか… 性描写には※を付けております。

アルバイトで実験台

夏向りん
BL
給料いいバイトあるよ、と教えてもらったバイト先は大人用玩具実験台だった! ローター、オナホ、フェラ、玩具責め、放置、等々の要素有り

処理中です...