曙花町男娼夜鷹坂

み馬

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〘100〙私利私欲

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 春の未明に生まれたアカラギは、未春ミハルと命名された。

「おれの名前には、どんな意味があったのかな……、」

「漢字の意味合いを知りたいのか? ハルとは、あたためる、チカとは、うまく整えるという意味をもっている。おまえは冬生まれだったな。名前と季節感は、あっているように思えるが、」

「へえ、そうなんだ。すごいね、哥さんは。なんでも知ってる。おれ、生まれたときに祝ってもらえたのかなって、ときどき不安になってさ……。やっぱり、お父さんとお母さんがいて、ふたりが結婚したあと、おれが生まれてきたわけだし……、」

「帰りたいのか。」

「どこに? おれ、捨て子だぜ。帰る場所なんて、どこにもないよ。」

 夜鷹坂にきてまもないころ、下働きの溫治ハルチカは、赤羅城アカラギと同室で就寝していた。並べた布団に横たわり、眠るまでのあいだ、ちょっとした会話が発生する。このときのハルチカは、十八歳の誕生日に性教育が開始されるとは思っていなかった。

 
 花町で、三度目の正月を迎えたハルチカは、ぼんやりと目を覚ました。穏やかな生活とは無縁の娼館だが、あちこちに正月飾りが目につき、年始の空気に包まれている。帳場の神棚に手を合わせる菱蔵ヒシクラは、スーツ姿であらわれた髙邑タカムラと新年の挨拶を交わした。

「諸用をすませてくる。なにかあれば、アカラギに対処させよ。」

諒解りょうかい。元日くらい、ゆっくりできんのか?」

 ヒシクラは吹抜ふきぬけを、ちらッと見あげ、依然として姿を見せないヒョウエのことを考えた。夜鷹坂の仕事は分担制につき、男娼の管理はアカラギである。ヒョウエは急所の皮膚に化膿が見られるため、完治まで時間を要した。手負ておいの男娼は稼ぎにならず、利益を優先した場合、お仕置き部屋での体罰は、売上に直結してひびく。実際、しばらく壺の間にヒョウエを呼びだすことはできない。タカムラはネクタイの結び目を片手で調節すると、玄関から外にでた。専属の運転手が控えており、ガチャッと、後部坐席リアシートのドアをあける。走り去る乗用車を、三階の窓から見送ったアカラギは、微熱があるヒョウエの顔色をうかがった。

「痛み止めの薬だ。起きられそうか。」

「……ラギ、おれ、どうなるの?」

「どうもしない。回復次第、これまでどおり働いてもらうだけだ。」

「これまでどおりに……、なる?」

「なるさ。」

 ゆっくり上体を起こしたヒョウエは、再起不能に怯えていたが、アカラギが用意した錠剤と湯呑みを受けとり、薬をのんだ。無表情で世話をするアカラギは、ヒョウエの腰紐をゆるめて裾をめくり、陰部の傷口を消毒すると、包帯を新しいものに変えていく。尿道にはくだが挿入されており、ヒョウエは寝たきりの状態がつづいた。大便もアカラギに取ってもらう。一時は幻滅したヒョウエだが、アカラギの動作に無駄はなく、余計な口もきかないため、まな板の鯉に徹した。

「……これじゃあ、ハルが惚れるのもわけないな。……ラギは、いいやつだ。」

 と、ヒョウエはつぶやいた。覇者タカムラに依存するヒョウエは、ハルチカの熱烈な感情を、身をもって理解できた。完璧な男は、私利私欲といった野心を気取らせない。欲しいものを手に入れる方法は、ただひとつ。誰にも奪われないよう、存在そのものを支配する。娼館という特殊な環境に身をおくうちに、ヒョウエもハルチカも、相手に服従する体質へ変化していたが、本当に好きな男とは、互いに支えあう関係が望ましい。ヒョウエは、アカラギの世話を受けながら、タカムラへの気持ちを(ほんの少し)改めた。


✓つづく
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