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〘40〙蜘蛛の巣 ※虫注意
しおりを挟む入浴をするため、着がえを持って部屋をでたハルチカは、風呂場へ向かう途中、廊下の壁に蜘蛛の巣を見つけて立ちどまった。
クモは上顎に毒腺があり、糸をだして網を張ることでよく知られるが、人間に害をなすほどの毒をもつものは少数にかぎられる。基本的に八つの目が二列に並んでいるが、分類によって異なり、模様や大きさにより雌雄の区別は比較的たやすい。生殖器官は複雑な構造で、オスは触肢からメスの生殖孔へ精子を送り込む。あらゆる陸上環境に分布しており、水中生活さえできるミズグモという種類も存在した。ほぼすべての種が肉食性で、クモは生き血を吸うともいわれるが、実際は消化液を獲物の体内に注入し、液体にして飲む(体外消化する)ため、食べ終わると獲物は干からびるわけではなく、空っぽになってしまう。獲物が小さい場合、噛み潰して粉々にすることもある。
赤みのある扁平なクモが、壁面に特徴的なテント型の巣を作っていた。本体は巣にこもっていて、姿を見ることはできない。受信糸に獲物が引っかからないと出てこないため、夜鷹坂では害虫の駆除役として、巣を見つけても放置していた。クモは、古い人家の土壁を好んで巣を張るが、朝に見かけた場合は幸運の兆し、日没までに見かけたら幸運が少しずつ近づいているといわれ、反対に、夜に見かけた場合、縁起が悪いともされている、ふしぎな生き物だった。
現在の時刻は昼間につき、ハルチカは無意識に笑みを噛み殺した。幸運(アカラギが、唯一無二の赤珊瑚を選んでくれた)をもたらしてくれたクモに感謝しつつ、風呂場に向かった。すでにヒョウエの姿はなく、濡れたバスタオルが洗濯かごに放りこまれていた。
ハルチカは、ひとりきりで帯を解いていると、キリコがふらりとやってきた。大して才能のなさそうな貧弱な見た目だったハルチカが、アカラギの手ほどきの末、上級男娼まで成長している。キリコの胸に滾々と湧きでる情は、次第に負けるか勝つかという、呪わしいものに変わっていた。雨は激しさを増し、脱衣場の窓は湿気でくぐもってゆく。
「キリコさんも、湯浴みですか。」
やんわり声をかけると、低い女のような声で会話に応じた。
「ハルチカ、わたしにさんを付けるなんて、おかしな話だと意わないかい。」
「え? でも、おれなんかが、キリコと呼んで可の、」
「誰のお蔭で昇格できたのか、忘れなければね。」
「……哥さんのこと?」
「あの人の棹に身を流される日々は、どんな気分だった?」
「どんなって云われても……、」
「わたしもね、ラギさんの性教育を受けたことがあるんだよ。おまえほど執拗じゃなかったけど、今でも、あの人の体温を思いだして興奮するし、上客の腕に抱かれるときも、すぐれた容貌が脳裏に浮かんでくる。……おまえは、ちがうの?」
云いながら裸身になるキリコは、新しい石鹸の紙包みをハルチカの足許に(わざと)捨て、湯殿にはいった。夜な夜な上客と戯れるキリコは、恥ずることなく艷やかに咲き乱れる。善も悪も、美も醜も、すべてのものを溶解する肉体は、数々の男を魅了してきた。キリコと寝た男は、中身だけ吸い取られてしまうのかもしれない。残された器は、透明な糸にからまれ、さ迷いつづける。
「キリコ……、」
脱衣場にいて、湯水を浴びる音を聞きとるハルチカは、天井の片隅に目を留めた。一頭のクモが巣を張り、獲物がかかるのを動かずに待っている。廊下で見た種とは異なり、それは見事な円網だった。
✓つづく
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