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〘37〙愛想笑い
しおりを挟む天魔坂の娼婦が規則に反して異性と交わり、雹ヱは生まれた。燥いた男の手は、女の肌を汚してなにを思ったのか。ヒョウエを危惧するアカラギの向かった先に歩を進めるハルチカは、どんな顔をしているのか、じぶんでもわからなかった。
「見知らぬ男に抱かれるってのは、どんな感じなんだ。」
ゴロツキから助けてもらった恩があるとはいえ、背後をついて歩くテツは、無遠慮な問いを投げてきた。会話をする気分ではないハルチカだが、前を向いたまま応じる。
「どんなって、べつにふつうだけど……、」
「ふつう? 初対面の男と寝るのが、そんなに善かったとはな。」
「よかったなんて云ってない。」
「悪かったのか、」
「悪いとか、そういう話じゃない。男娼は、おれの仕事だから……、」
「ろくに素性もわからない野郎に図々しく珍子をぶち込まれて、あんあん云うのが男娼とでも?」
「あんただって、キリコやヒョウエを組み敷いてるくせに、」
「おまえこそ、男娼を気取ったところで、何者にもなれやしねぇぞ。」
「どうしておれに、そんな話をするんだ、」
「強いて云えば、過去を引きずる人間に興味がある。」
「過去?」
ハルチカの出自は、夜鷹坂で働くようになってから、誰にも語られていない。思わず足をとめてふり向くと、テツの接近を許してしまい、口唇を奪われた。二度までも不意打ちを喰らったハルチカは啞然となるが、テツは無言で踵をかえした。
「ち、ちょっと待ってッ、」
反射的に引きとめようとしたハルチカは、近くの電柱に目が留まり、ハッとした。アカラギが佇んでいる。テツと接吻した瞬間も、おそらく見られている。
「哥さん……、」
のばした腕が宙をさまようハルチカを一瞥したアカラギは、立ち去っていくテツの背中を視野にとらえ、なにを連想したのか、笑みを浮かべた。
「哥さん、こ、こんなところにいたんだね。……ヒョウエは?」
ハルチカもまた、むやみな愛想笑いをして状況をごまかしたが、「底の知れない男だったろう」と指摘された。
「テツのこと? 確かに割札をもってたけど、あの色ボケおやじが夜鷹坂の上客って、本当なの?」
「ああ。地面持ちで、ウチの楼主とも顔見知りだ。……気に入ったのなら、おまえの枕席に案内してやろうか?」
「誰があんなやつと! いくら哥さんでも、それだけは勘弁して。」
「すでになにかされた顔だな。」
会話の流れで切り返されたハルチカは、一瞬ドキッとした。……接吻(それも二回)と白状すると、アカラギは「まともに受けるなよ」と笑い声をたてた。上級男娼が容易く狎らされては、夜鷹坂の評判にかかわるため、ハルチカはふるまい方に気をつける必要があった。
「……ご、ごめん、哥さん、おれ、そこまで考えてなかった、」
テツの説教とアカラギの忠告が身に堪えるハルチカだが、花町に連れだしてひとりきりにされた理由に、地域性や体裁を学習する機会が含まれるとしたら、すべて計算どおりである。アカラギは頭の回転が速い。テツのキスを喰らうハルチカを目撃した時点で、なにもかも察したにちがいない。ヒョウエのことで気が散っているハルチカは、アカラギの思考を深読みする余裕などなかった(強いて云うなら、きょうの哥さんはよく笑うな、くらいの感想だった)。
「それで、ヒョウエはどうなったの。無事だよね?」
天魔坂の建物を見あげ、ゴクッと唾を呑むと、背面から腕が巻きついてきた。
「ハルだ! こんなとこで、なにやってんの?」
それはこっちの科白である。
✓つづく
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