曙花町男娼夜鷹坂

み馬

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〘16〙アズナヒ

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 かかる恢をば
 阿豆那比の罪と謂うなり……


 横になって本を読むうちに、居眠りをしていた溫治ハルチカは、起きあがって室内を見まわした。天井の電氣はいている。壺坐敷つぼざしきから三味線の音が聴こえ、ぼそぼそとした話し声が廊下を過ぎてゆく。

 アカラギによる性教育は終了し、あすは、初日しょじつのお披露目を控える身のハルチカは、余暇よかをもらったが、とくにすることもなく、読書にふけっていた。教養も大事だというアカラギの忠告アドバイスにしたがい、むずかしい本ばかり書院(楼主の部屋のとなり)から持ちだした。鍵は帳場の菱蔵ヒシクラが管理しているため、アカラギをつうじて足を運んだ。

 書院には、天井まで届く書棚に、古そうなものから最新の叢書がすきまなく並んでいる。役に立ちそうな本を選べずにうろうろするハルチカへ、アカラギが無言で一冊差しだした。そのときは深く考えずに受けとったが、ずいぶん古い本につき、ところどころ破けたり、洋墨インクが薄れて読めなくなっていた。

「こんな古くて難しい本を渡されても、おれの頭じゃ、なにがなんだかさっぱりだよ、哥さん、」

 誰かの説明がなければ、内容の半分も理解できないハルチカは、欠伸あくびさえ出てしまった。阿豆那比アズナヒとは、花町界隈かいわいの隠語で、同性愛は罪だという、揶揄やゆである。ようするに、気に喰わない男娼を意図してののしる表現につき、云われたほうには遺恨が残るだろう。

「……ふわぁ、また眠くなってきた、」

 連日の手ほどきにより、ハルチカの体力と気力は底を抜けていたが、丸三日の余暇で、だいぶ回復した。本を読みながらまどろみ、アカラギにあたえられた夢心地ゆめごこちを教訓に、こんどは客に夢を見せる男娼として、性サービスに従事する日常が始まる。不安な気持ちは捨て切れなかったが、夜鷹坂にはアカラギがいる。たとえ恋人同士になれなくても、ひとつ屋根の下で暮らしてゆけるため、互いの存在を意識することは可能だった。

「哥さん……、大好き……、」

 男娼の年季ねんきは、そう長くない。性サービスの果ての末路まつろを知らないハルチカは、すぅすぅと寝息を立てた。

 
 是はず軀を潔めて
 若し既に軀を役すれば、
 利収ることなかれなり


 アカラギに差しだされた本を枕にして眠ってしまったハルチカは、ふしぎな夢を見た。満開の桜が散る丘で、花びらを両手ですくう男がいる。そのすぐ近くには、別の男が横たわっていた。あたりは薄暗く、時刻は夕暮れと思われた。ハルチカは、これは夢だとわかっていた。なぜなら、視点が空中であるから。桜の樹の下の光景を、ハルチカは宙に浮きながら見おろしていた。

 横たわる男を埋葬するため花びらをあつめる男は、ぬくもりのないむくろに口づけたあと、添い寝をするかのようにからだを並べ、まぶたを閉じた。やがて、新しい花びらがふりつもり、生者は死者と永遠の眠りにつく。ふたりの関係は恋人同士だったのだろうかと、ハルチカはぼんやり考えた。いつかじぶんも、アカラギと合葬されたいと思った(骨壺から遺骨を取りだし、他人の遺骨とまとめて埋葬すること)。

 幻想的な夢を見たあと、現実にもどったハルチカは、よもやの生理現象にうろたえた。あわてて便所へ向かい、後始末する。髙邑タカムラに拾われる前、自慰ならば、なんとかひとりで経験済みである。

「……あぁッ、哥さんッ、」

 好きな男の顔を眼裏まなうらへ浮かべたハルチカは、いっそ、清々しい気分になった。


✓つづく
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