326 / 364
第325話〈輝かしい道徳心〉
しおりを挟む去り際のランカの態度はぎこちなかったが、講義のため顔を合わせた時は、ニコッと自然に微笑んでくる。
「きょうの講義はマグナ先生のようですね。お互い、足が痺れてもがんばりましょう。」
「ああ、そうだな。」
ランカのいうマグナとは、齢70代の御年寄で、高官を教育する指導者のひとりである。背丈こそ低めだが、年齢のわりに足腰は丈夫で、たいてい講義は長引いた。正座をして話を聞く候補生の中には、体調が悪くなり退室する者が続出している。
(マグナ先生か……。あの人の話は長いからなぁ……)
講義室の立て札にその名を見つけた恭介は、小さくため息を吐くと、壁際に積み重なっている座布団を敷いた。側近候補生だけによる、学問の日々は始まったばかりだ。席順に決まりはなく、やって来た生徒から適当な場所に座布団を敷いて腰をおろす。恭介は、造園が見える手摺り側に好んで座る。鮮やかな菫色の花と、青空のコントラストが気に入っていた。まもなく、口髭が特徴的な〈マグナ=ダズマ=キーン〉が、生徒たちの隙間を通り抜けて、正面に立つ。
「おはよう、諸君。原初状態から出発し、早ひと月が経とうとしているが、そろそろ社会契約の相互性を理解できたかね。」
マグナは、コホンと咳払いをすると、必ず最前列に座る優等生を指名した。
「ランカよ。答えてみよ。唯一の道徳的原理とは、すなわち、すべての人間がどのような権利をもたなければならぬのか。」
名指しで問われたランカは、「はい」と返事をした後、迷うことなく自分の意見を述べた。正座の姿勢は崩さない。
「誰もが、世代の構成員であることを自覚した上で、諸原理の選択は公平であり、合意は、交渉の結果でなければなりません。すべての人がもつ権利とは、調和と進化の倫理則です。」
「よかろう。ではランカよ、なにゆえ権利の拡大を否定せぬ。」
「はい。それは、人間が共同体の中で自分の場を定めようと他人と競争するかぎり、同時に、倫理観も働くからです。個人の本能は、集団環境において調整を図るように働くのだと思います。ただし、自己利害によるため、人間中心主義でもありますが、ぼくは、権利の範囲の拡張は、進化の道筋として起こりうる必然だと考えます。」
堂々たる発言に、他の生徒からため息が漏れたが、ランカは主張の後半になると、後方へ、ちらッと視線を泳がせる動作をした。
(……今、オレを見たのか?)
目が合う前に正面へ向き直ったランカだが、恭介は、なんとなく気まずい空気を感じた。
(権利の拡張は必然か……。確かに、オレは私欲が働いて、内官では満足できなくなった。ジルヴァンにもっと近づきたくて、社会的地位を希んだようなモンだからな)
急務な課題でありながら、必死で勉強したからこそ、手に入れた恭介の権利を、誰も咎めることはできない。しかし、個人を社会に調和させるために必要な前提条件は、第三者の理解である。
(……本当は、アミィやユスラにも、きちんと話しておくべきだった。レッドにもか。……今なら、ジルヴァンの気持ちが少しわかる気がするぜ。自己現実の獲得は、オレひとりの問題じゃなかったンだ)
道徳心を高める講義において、恭介は、知り合った人々に対する尊重の念を忘れてはならないと、改めて認識した。
* * * * * *
1
お気に入りに追加
185
あなたにおすすめの小説

身体検査
RIKUTO
BL
次世代優生保護法。この世界の日本は、最適な遺伝子を残し、日本民族の優秀さを維持するとの目的で、
選ばれた青少年たちの体を徹底的に検査する。厳正な検査だというが、異常なほどに性器と排泄器の検査をするのである。それに選ばれたとある少年の全記録。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。



【短編】乙女ゲームの攻略対象者に転生した俺の、意外な結末。
桜月夜
BL
前世で妹がハマってた乙女ゲームに転生したイリウスは、自分が前世の記憶を思い出したことを幼馴染みで専属騎士のディールに打ち明けた。そこから、なぜか婚約者に対する恋愛感情の有無を聞かれ……。
思い付いた話を一気に書いたので、不自然な箇所があるかもしれませんが、広い心でお読みください。

ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる