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第186話
しおりを挟むゼニスの処置が迅速だったおかげで、オオカミは命拾いをした。ちなみに、前脚は確かに捻挫していたが、シリルがとくになにか手当てをしたわけではない。単純に、自己回復力が高く、オオカミ自身が痛みに強い性格の持ち主だった。
「ちょっと、それならどうして、ぼくの前であんなに弱ってるフリをしてたのさぁ!」
「そりゃ、あんたがお人好しに見えたからさ。それに、いい匂いがする。こうして弱いフリしていれば、飯にもありつけるしな。」
「なっ!? 最初から、ぼくを騙してたのか~!」
「はははっ、いいから早く、次のを寄越せ。」
干し肉を木槌でやわらかくなるまで潰しているシリルに、オオカミが顔を近づけると、リゼルが短剣を投げつけてきた。オオカミがサッと身を引くと、キィンッと壁に当たり、カランッと地面に落下する。
「おい。ガキ。すぐに刃を向ける癖、やめないか。オレサマは怪我人なんだぜ。」
「黙れ、どスケベ野郎。母さんから離れろ。」
「ふうん? まだまだガキだな。そんなに母親が好きなら、抱けばいいのに。」
「な、なにっ!?」
「知らないのか? 野生の雄は、自分の母親であろうと繁殖の対象とみなし、発情したら交尾することもあるぜ。」
「オ、オレは、そんな真似したくない。」
「肝っ玉が小せぇのな。」
「……っ!! この野郎!!」
「こらこら、ふたりともぉ! 喧嘩しちゃダメ~!」
首に包帯を巻いたオオカミは、1日のうち、数時間しか人型を取れない。もとより、野生動物の血が濃いため、狙った獲物に対し、強い関心をしめす傾向にある。隙さえあればシリルを押し倒そうとするため、ゼニスが留守にする際は、リゼルが監視役になっていた。
「母さんも母さんだ! こんなやつ、ほうっておけばよかったのに。」
「リゼル、そんなふうに考えちゃダメだよ。ゼニスが助けると決めた以上、協力してね。」
「わかってるよ。だから、殺したりはしない。……いちいち腹が立つ存在だけど。」
リゼルは短剣を回収すると、帯巻きの鞘に戻した。オオカミは胡座をかいていたが、スクッと立ちあがり、長身からリゼルを見おろした。
「ふん。甘えっ子のくせに、笑わせるな。オレサマが本気を出せば、おまえみたいなガキは瞬殺だ。」
「だったら、やってみろよ。」
「死にたいのか?」
「その科白、そっくり返す。」
「……やっぱり、ガキだな。オレサマがわざと斬られてやったのが、まるでわかってねーな。」
「わざとだと? なんでそんな危ない真似をする必要がある。もし、オレがもっと深く刺してたらどうするンだよ。」
「その時は死ぬだけさ。オレサマは見てのとおり、孤立無援だからな。毛皮を剥いで加工すれば高く売れるぜ。」
「さっきから意味がわからない! なんなンだよ、おまえは!!」
「おまえ呼ばわりは好かん。今すぐ名前をつけろ。」
「は?」
「オレサマの名前だよ。名付けろ。」
「いきなりそんなこと云われても、思いつくかよ!」
オオカミとリゼルが小競り合いをしているところへ、川まで水を汲みに出かけたゼニスが帰ってきた。互いの額が触れそうなほど至近距離で睨み合う二匹を見て、ため息を吐いた。シリルに竹筒を手渡すと、オオカミのほうに声をかける。
「話し声なら外まで聞こえていた。おまえ、名前が欲しいようだな。」
「そうやって、いつまでも“おまえ”呼ばわりされるのは、つまらないからな。」
「ならば、人狼でいいか。」
「そのままかよ。」
「犬よりはマシだろう。」
「……ちっ。なら、ウルとか、ウルフって呼べ。」
「いいだろう。」
ゼニスが名付け親となり、オオカミの呼称は〈ウル〉で決定した。また、半獣のリゼルにとっては最初の理解者(仲間)となり得る存在だった。
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