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第 90 話
しおりを挟む「シリル!! 走れ!!」
ゼニスの号令に、シリルは瞬時に反応した。中央広場をあとにしたふたりは“食人鬼”と呼ばれる、肉食の野生動物が棲息する林道に差しかかっていた。
「何あれ、何あれっ!?」
「シリル、うしろはいいから前を向いて走れ!」
「わわわっ、なんだよー!」
黒い物体に追われるふたりだが、どちらも持久力はあるため振り切ることができた。立ちどまった位置から、監視塔の外壁が見えている。
「はぁーっ、びっくりしたね。いきなり出てくるンだもん。でも、ぼくが唱えれば、逃げていったかも……、」
「……唱えるとは?」
「うん。ぼく、これでも獣王子だからね。仲間に助けを求める術力みたいなのを持っているんだ。使ったことは、ないけれど……。」
「使わなくて結構だ。」
ふたりが呼吸を整えていると、直槍を手にした監視員が駆けてきたが、遅すぎる登場である。
「無事か!?」と訊くや否や、ゼニスが腰からさげる剣に目をとめた。
「そちらのおまえは、渡り戦士なのか? いやはや、食人鬼に襲われて無傷とはな。んん? そっちのおまえは、眼が赤いな。もしかして、獣人か?」
シリルは監視員の男を警戒して、ゼニスの背後に隠れた。ゼニスもまた、獣王子について詮索されては面倒につき、話題を変えた。
「ああ、見てのとおり、戦いは得意でね。おれは今、職探しの身なんだが、監視塔で働くことはできないか?」
「おお! それは勇ましいな。腕に自信があるやつは大歓迎さ。ただでさえ、人手不足なんだ。身元を証明できるものがあると、尚良いんだがな。」
ゼニスはサックの中から傭兵の戦績書を取りだして渡した。〔第71話参照〕
内容を一読した監視員は、「おまえ、すごい経歴の持ち主だな!」と云って頷いた。
「いいだろう。あとで塔までこい。隊長に紹介してやるよ。」
「よろしくお願いします。」
監視員の男は戦績書を預かったまま、その場から立ち去った。途端に、シリルがピョコッとゼニスの前に出てくる。
「ゼニスは監視塔で働くの? もうようへいはやらない?」
「ああ。」
「やったぁ! 監視塔なら、遺跡に行くときに立ち寄れるし、ゼニスがコスモポリテスにいると思うと、すごくうれしい!!」
「……仕方ないだろう。傭兵はしばらく休業だ。今後は、おまえのことを気にかけなきゃ、ならんからな。」
「え? それって、どういう意味?」
「とぼけるなよ。」
「ほえ?」
「おまえがいつ成獣に成長するか、わからないだろうが。おれが近くにいなくてどうするんだ。」
「あっ、そ、そうか……。うん、そうだよね……。」
ゼニスの思わせぶりな科白に、シリルは、ほんの少しだけ不安げな表情へと変わった。獣人族の村までは、あと数十キロほど西緯へ向かえば到着する。それはつまり、ゼニスとのお別れを覚悟しなければならない。いちど村に戻れば、そうすぐに外界へ出ることはできなかった。シリルは、おもむろに衣服を脱ぐと、ゼニスに裸身をさらけだして見せた。
「あのね、ゼニス。ちゃんと約束してくれる? ぼくが成獣になって発情したら、交接して欲しい。ぼく、ゼニスの赤ちゃんだったら産んでみたい。人間とカラダをつなげるのはこわいけど、でも、ゼニスならいいよ。だから、必ず迎えにきて。絶対に忘れないで。」
ゼニスは無用な思考に及ばず、シリルの告白を聞き入れた。自然な動作でひざまずくと小さな手を取り、迷うことなく承諾する。すべての責任を負う決心を固めたゼニスは、自分の意志をはっきり伝え、シリルを安心させた。
「ありがとう、ゼニス。ぼくのために、こんなところまでついて来てくれて、本当にありがとう。……これからもよろしくね。絶対、監視塔に会いに行くからね。新しいお仕事、がんばって。」
「ああ。おれのことは何も心配するな。気をつけて帰れよ。」
「うん。……さようならゼニス。またね。」
シリルを見送れる場所は、森の途中までだった。獣人族の臭覚にふれないよう、注意を払っての結果である。本来、どこの国でも獣人は人間と深く関わろうとはせず、同族にしか心身を許さない習性を持ち合わせていたが、シリルの感覚は完全に異なっていた。ついに、甘言に乗せられたゼニスだが、この後、数年に渡り、監視塔に身を置くことになる。
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