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第 67 話 〈カタツムリさん〉
しおりを挟む王立図書館をでた直後、長財布がないことに気づいた恭介は、青ざめた。慌てて周囲を見まわすと、奇妙な雰囲気を放つ老人ふぜいな男に声をかけられた。
「どうかされましたかな?」
「え? あ、いえ、オレの長財布が……、」
「ふむ。どこかに落とされたのかな?」
「……たぶん、」
「そのかばんの中は、確かめたのかい?」
「いえ、まだです。」
「ならば、まずは確認せい。」
「……はい。」
貴重品については、一張羅の帯に差して持ち歩くようにしているため、肩がけのバッグには、貸借した書物と万年筆、手帳、手巾くらいしか入っておらず、恭介はがっくりと肩を落とした。
(マジで失くしたのか。今月の小遣いが台無しだぞ……)
しかも、図書館内で紛失したことになる。今ならまだ、探せば間に合うかも知れない。悪意ある盗難被害だとしたら、中身が無事に戻るとは限らない。そう思いつつ館内へ引き返そうとしたが、バッグの中を一緒にのぞき込んだ老人から、腕を掴まれた。
(うん? なんだ?)
「おぬしだったのか、」
出し抜けに云われても困る。恭介は首を傾たが、老人は「それだよ、それ」と、バッグを指差した。恭介は、思い当たる書物を取りだした。
「すみません。もしかして、世界史ですか?」
老人は差しだされた書物を見て、「おぉっ」と声をあげた。
「それだ、それ。やはり、カタツムリさんがいたのだな。」
(……カタツムリさん?)
恭介が怪訝な顔をすると、老人はすぐにそれと見抜いて説明する。
「いやはや、ワシとてまだまだ未熟なり。書物を読んで知識の補完をしようと思ったのだが、いちばん参考になる世界史が、長らく借出中であるからして、いったいどなたの手に留まっているのかと思ったまで。なるほど、なるほど。おぬしとはな。」〔第33話参照〕
(確かに、この本はかなり勉強になるからな。……デュブリスくんに選んでもらって正解だったぜ)
「すみません。仕事が忙しくて、なかなか読めなくて、実は、きょうも2回目の貸借手続きをして来たところなンです。」
図書館に置かれている書物は、共用の産物である。いつまでもひとりの手許に残しては、次の読み手にまわらない。恭介は自分の都合ばかりを考えて、誰かがこの書物の返却を待っている可能性を失念した。
老人は猫背につき目線の高さが低いため、恭介は少し前かがみになって会話した。
「ご迷惑でしたら、返却します。」
「いやいや、ワシみたいな老耄よりも、おぬしのような若者が世界に関心を示したほうが未来は明るい。よいよい。しかと勉強なされよ。」
「はい。どうも、すみません。」
無理に押しつけるわけにもいかないので、恭介はバッグの中に書物をしまった。すると、再び老人がのぞき込んでくる。どうやら、図書館で借りたものが気になるようだ。ちなみに、世界史の他は、獣人族について書かれた資料を2冊ほど貸借している。老人は「ちょいと失礼」と云って、その内の1冊を抜き取った。
(うん? もしかして、その本も目当てだったのか?)
ごく稀に、初対面の相手と趣味が一致する場合がある。老人は手にした書物のページをめくり、
「うぅ~む、これはいかん。こっちもいかん。」
と、内容に文句をつけると、恭介の顔を見据えた。
「よいぞ、おぬし。気に入ったわい。特別にワシの知識を伝授してやろう。さぁさぁ、こちらについて来なさい。」
短いやりとりで何を気に入られたのかは不明だが、恭介は老人の手招きに応じて歩きだす。しかし、内心では、世間話どころではないと思った。
(うおぉ、オレの長財布がぁ……)
恭介の懐事情をよそに、老人は、王立図書館の南側に建つ茶店“ハニワ亭”の席におちついた。もはや、長財布の件はあきらめるしかない。そもそも相手の視点が異なっている。老人は恭介の分まで珈琲を注文すると、長話を始めた。
「さて、世界史と獣人族に関する書物を読まれるおぬしの目的は、ずばり、飽くなき探究か、旺盛な好奇心によるものか。どちらにせよ、真理を求める気持ちに終わりはなかろう。次から次へと新しいなにかが誕生するのが世の常なり。たとえば、4足で歩く全身に毛が生えた哺乳動物を獣族と呼び、人間とのあいだには目に見えない隔たりがあった。ところが、この境界線を越えた者たちにより、獣人という新たな生命体が派生する。お解りかな? 獣人とは、人間と獣族による混血種のことである。」
無一文となって落ち込む恭介だが、いつの間にか、老人の声に真剣に耳を傾けていた。
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