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最終回[向こう岸]
しおりを挟むナンセンスの美学
心を知れば波乱を巻き起こす
現実性を剥奪したあとは、
新しい道標が必要だ。
〈狩谷鷹羽『ささやく指』より〉
夢ではなかった。山奥の池を念入りに調べたところ、水草や藻に絡まって沈む人骨が発見された。息継ぎをするため浮上した英理は、人体の一部と思われる白骨を持ちあげて見せた。
青年は池の畔へ着くなり裸身になると、水中へ潜り、人魚のように泳ぎまわった。薄い雲間から陽の射す水面は、仄白くゆらいでいる。礼慈郎は脱ぎ捨てられた梅小紋を横目に、口をはさんだ。
「英理、もうあがって来い。ここへは警察を呼ぶ。あとのことは、任せるとしよう。」
集落へ向かう日取りについて、礼慈郎は事前に克衛に報せてあった。身元不明の白骨や、無人駅の待合室に残してきた老人の遺体も、見て見ぬふりはできない。また、秋風が立ちはじめ、飛英の躰が冷え切ってしまうのではないかと懸念した。池からあがった英理は、朱色の口唇でクスクス笑い、礼慈郎の顔を見据えた。
『ねぇ、今ならあたし、妊娠するかもしれないよ。』
英理は下腹部を撫でおろすと、ストリッパーのように腰をふって踊りだす。水滴が光の玉となって白い肌からすべり落ち、ぬれた髪が、額や首筋に張りついている。片足を高くあげ、ピタリと静止する。芸者のころに幾度となく披露したポーズをつくり、礼慈郎を誘惑する。
『さあ、抱いておくれ。あたしを終わらせるのは、軍人さんの義務だわぇ。』
池の畔で淫呪の青年を抱いた人間は、生きては帰れない。だが、そんな悪習に捉われないふたりは、心の思うがままに肉体をつなげた。英理の素肌は冷えていたが、礼慈郎の欲望を身に受けて熱を取り戻す。宿命に抗がう恋人たちは、色さえぬ星屑の下で愛しあい、かしこに燃える心臓の音は、いそぎたつ。血潮の憶いも失せるほど、重要な意義を持つ性交渉は、飛英を当惑させた。
「織原、つらいのか。」
「いえ、とても切なくて……、」
やわらかい草のうえで抱きあうふたりは、純粋な空気を吸い込み、口づけを交わす。体内に異質なぬくもりを感じ取る飛英は、気恥ずかしそうに礼慈郎の顔を見つめた。英理の自我は、霧の階段をのぼり、闇を遠ざけていく。うるむ双瞳で、肉体の形を確かめようとのばした腕は、宙をつかんだ。
「さ、さようなら……、もうひとりのわたし……。今まで、ほんとうにありがとう。寂しいときは、どうか、わたしを見つけてください。あなたはけっして、ひとりではありません。」
英理の正体が何者でもかまわないと思った飛英は、泣くのをがまんして、礼慈郎が与える刺激と快楽に身を委ねた。それからあとのことは、よく覚えていなかった。狩谷家で事後報告をする礼慈郎の声が、しだいに聞き取れなくなってゆく。深い眠りにおちた飛英は、こんどこそ平和な夢をみた。礼慈郎はまだ、利玄の屋敷に青年を連れて帰ることはできない。妻が妊娠中だということも告げていない。飛英を大事に思うからこそ、慎重になっていた。
その晩、「泊まっていけ」という鷹羽に、礼慈郎は眉を寄せつつ頷き、書斎で眠る飛英を抱擁した。死に面して生き抜いたふたりは、静かな夜に、寄り添って息づく。向こう岸の楽園は遠くへ離れ、消える理由がある土地には、何ひとつ残されていない。池の畔で神秘的な高揚状態となった飛英と礼慈郎は、愛の対象を自覚した。
✓おしまい
※お読みくださり、誠にありがとうございました。厚くお礼申し上げます。
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