向こう岸の楽園

第67回［後見人］

　軍人とは、国家の軍事組織に所属し、正規訓練を受け、当該国家に認められ、階級を与えられた人間を指さす。職業軍人とは、陸軍、海軍、空軍などの軍隊に所属し、軍隊の業務を正式な職業とする軍人である。礼慈郎れいじろうは後者にあたり、陸軍士官学校では、文官教授として普通学科を担当していた。

　華族かぞくとは、明治から存在した日本の特権的身分（いわゆる貴族）だが、終戦後は改革によって廃止されることになる。身分制度の上位者であった華族は、戦時中、戦場にでることを回避する特権が与えられたかといえば、まったくの考えちがいである。実際は、軍人となり、先頭に立って戦うことを求められていた。時代の荒波あらなみにもまれる飛英ひえいは、礼慈郎に愛人として選ばれたことで、かろうじて天涯孤独てんがいこどくではなくなった。しかし、軍人である以上、戦場への呼び出し状（招集）が発行される立場の礼慈郎は、万が一の有事に備え、旧知の仲で作家の狩谷鷹羽かりやたかはを後見人として頼ることにした。利玄の屋敷に、闇市で働く芸者の飛英を連れこんでは、内輪揉うちわもめが起きるだろうと予想できた。飛英の将来をどう保障すべきか、なるべく早いうちに結論を導きだす必要がある礼慈郎は、ひとまず、織原家の過去と真剣に向き合っていた。

　汽車が帝都へ近づくにつれ、飛英の顔色は翳かげりを見せた。スーツの男に監禁された事実を、まだ打ち明けていない。池の畔ほとりで再会を果たした礼慈郎は、おそらく、飛英が拐さらわれたとは気づかず、集落に留とどまっていたところを発見したと思いこんでいるはずだ。向かい合って坐る礼慈郎は、背もたれに寄りかかり、腕組みをして軽く瞼まぶたを閉じていた。ふたりきりの長旅は、終わりが迫っている。訊たずねるならば、今しかないと思った飛英は、控えめに声をかけた。

「……あの、すみません。質問があります。」

　礼慈郎は「云ってみろ」と、即座に返事をしたが、目は瞑つむったままである。飛英は、軍人の精悍な顔だちを見つめ、いちばん不明瞭な現象に対し、疑問を述べた。

「英理えいりとは、誰ですか？」

　思いがけず、急所をつかれた礼慈郎は、ハッと両眼を見ひらいた。


✓つづく