向こう岸の楽園

第60回［子孫］

　久吉ひさよしと青年のあいだに生まれた赤子も、男児だった。ふたりで考えた末、織原おりはらという苗字をあたえ、織江の縁者であり、育児放棄された子どもを引き取ったとして、集落の一員を納得させた（のちに、地方紙へ男の妊産記録を載せたのは織江自身ではなく、集落の人間による悪意だが、後世に残された記述は異なっている。織江の死後に手帳が発見され、大学の教授が詳細を調査した）。

　見知らぬ男の赤子を孕はらんだ青年は、母乳がでないという問題を抱えていたが、織江はヤギの乳搾りをする農家を見つけると、毎日のように足を運び買い取った。産後の青年は少し情緒不安定となったが、子どもをひどくかわいがり、ときおり、額の青痣あおあざを見つめ、悲しそうな表情をした。心身共に脆弱ぜいじゃくでありながら、きびしいと思われた初産をやり遂げた青年の姿は、まさに神秘的で、織江は愛情をもって接するようになった。子育ての協力をするうち、ゆるゆると精神が破綻していく。なぜなら、二人目の男児は、歳月を重ねるたび、青年の面差おもざしばかりか、ちょっとした仕草しぐさや声の調子まで似てきた。

　……ああ、もういちど
　青年きみに逢いたい。
　すべては、ワタシの力不足が
　原因なのだ。
　いったい、どう償つぐなえばいい、
　ワタシは医者失格だ……。

　二度目は難産となり、悲鳴をあげて苦しむ青年を見かね、医学書を片手に帝王切開に挑いどんだ織江は、とてつもなく後悔していた。自分とのあいだにできた胎児を優先し、肉体を切りひらいた結果、大量出血し、ふたり目の赤子を腕に抱くことなく、青年は逝いってしまった。

　……おお、ワタシはなんと
　浅ましい人間であったことか。
　どうか、赦ゆるしてくれ、
　すまない……すまない……。

　愛する人を救えなかった悲しみを癒やす方法をまちがえた織江は、青年の大量の血液で汚れた着物を集落の裏山にある池に沈め、ひろがる波紋に念仏を唱えて供養すると、忌まわしい儀式の構想に頭をめぐらせた。親族関係に近しい者同士の性交渉によって、血筋は色濃く引き継がれる（近親相姦は禁忌といわれる性的行為だが、実際のところ刑法上の罰則はない）。青年の胎はらから誕生したふたりの男児は、どちらかが新たな生命体を宿す特異体質を継承していれば、妊娠が可能である。

　……そうだ、まだ終わりではない。
　青年きみの子らが交まじわれば
　ワタシときみの両方の血を引く
　人間ものが生まれる。
　……一心同体とは、まさに
　こういうことではないか？
　
　生まれてくる子どもらで、
　血族を増やすのだ。
　そう、ワタシと青年きみの、
　この血を消してはならぬ……。
　永遠に、途絶えさせはしない。
　
　甘美な狂乱を語る織江の欲望は、ことごとく度を越していた。むろん、そこに常識や秩序といった条理などない。日暮れに焼かれた池の畔で、苦悩から解放された織江は、ついに、集落の人々を追憶の犠牲いけにえとし、思いのまま悪習を根づかせた。

　ふたりの男児を生んだ青年こそ、織原の先祖となる存在であり、飛英ひえいのなかに流れる淫呪の血の原点である。だが、過ぎた時代は真実に目かくしをして、亡霊をえがき、悲しい闇の寝台で生者を眠らせる。彼らの赤い血潮がとけこんだ大地は、裏切り者を待っている。弔とむらわれるものは、生から死へと去りゆくまえに、極上の快楽を手に入れ、息絶えるその瞬間まで、ふたつの愛に涙することになるだろう。


✓つづく