向こう岸の楽園

み馬

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第9回[遭遇]

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 ストリップ劇場の実演デモは大成功という結果をおさめ、通常の賃金とはべつに臨時の賞与として現金給付があった。茶封筒を受け取った飛英は、すぐさまキラのいる事務所へ足を運ぶことにした。

 玄関ホールで顔を合わせた男娼の充は、まるで昔の友人と再会したかのように、飛英の肩を引き寄せた。抱きしめられた瞬間、人肌のぬくもりを強く意識した。充は痩せ型の男だが、その腕のなかはひろく感じた。紅をさした口唇くちびるで、話かけてくる。

「ふふふッ、元気そうねはなぶさ。初仕事を終えた感想を聞かせて頂戴。どう? ストリッパーとしてやっていけそう?」
「はい、とても緊張しましたが、わたしは額縁ショーだけなので、なんとかやれそうです。」
「なあに、衣装は脱がないの?」
「脱ぎません。」
「つまらないわね。せっかく見にいこうと思っていたけど、やめようかな。」
「……上半身は裸身はだかですよ。」
「下は、」
「紐パンです。」
「もしかして、女性用?」

 飛英が小さく頷くと、充はくすッと笑った。

「つまり、見えそうで見えないってわけね。そのほうが、かえって興奮するかもしれないね。……キラさんにお願いして、入場券チケットを手配してもらおうかな。ふふ、残念ながら、男娼はね、ストリップ劇場には近づけないの。でも、キラさんの名前を貸りれば、簡単にはいれてしまえるから、使わない手はないわね。いちどくらい、英の雄姿をおがまなくちゃ損するわ。」

 調子のよい口ぶりから、キラとは親しげなようすが想像できた。充と会話したあと、ひとりで3階の応接間へ向かった飛英は、階段をのぼりながら電話が鳴る音を聞いた。闇市全体を管理するキラのもとへは、毎日のように呼びだし音がひびく。キラは、ダイヤル式の卓上電話機をいくつか導入している。その架設料(工事負担額)は、一戸建ての住宅が建つほどのものだった。

 飛英が顔をだしたとき、応接間の扉はあけはなしてあり、廊下からキラの姿を確認できた。受話器をおくと、葉巻をくわえ、燐寸マッチで火を点けた。「はいれよ」と促された飛英は、「失礼します」といって、窓辺に立つキラへ茶封筒を差しだした。

「花園さんから現金をいただきましたので、紹介料の一部を払いにきました。」
「知ってる。特別賞与だろ。そんなものはいらん。」
「え? ですが……、」
「云ったはずだ。最初のふた月で稼いだ金額の半分をもらうと。いちいち小銭こぜにで渡しにくるな。まとめてよこせ。」
「あ……、か、考えがおよばず、すみませんでした……。」

 飛英は田舎育ちにつき、世間の常識(あるいは非常識)にうとかった。子ども扱いされた気がして恥ずかしくなり、軽く頭をさげて退出した。週末の闇市は、朝からにぎわっている。風が吹きぬける音に、人々の声がまじっていた。まっすぐ劇場へ帰らず露店を見てまわっているとき、脇道からでてきた人物と、ぶつかりそうになった。

 黄土色おうどいろの軍服を着た男で、体格もよく、長身である。眉間にしわをよせて見おろされた飛英は、「申しわけありません」と詫び、立ち去ろうとした。ところが、なぜか呼びとめられた。

「待て。見覚えのある顔だ。」

 軍人が云う。悪意はないものの低い声には威圧感があり、飛英は当惑した。まともに相手の顔を見ることができず、足許あしもとへ視線を落としていると、軍人のほうで思いだした。

「ストリップ劇場の芸者か、」

 思わず、ハッとして顔をあげた飛英は、長い前髪からのぞく紫紺の眼で、数秒ほど礼慈郎と見つめ合ってしまった。


✓つづく
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