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第8部
第135話
しおりを挟む「そこまでですっ」
「丿、ノネコさん!?」
(今、ジェミャさん、なんて言った?)
地の精霊が放った砂の壁を突破して、ズバッと亮介の目の前に着地したノネコは、めずらしく大きな声でジェミャを叱責した。
「あなたという精霊は、なんたる物言いですか。あれではまるで、リョウスケくんが生贄みたいではありませんか」
ノネコは、からだを振って砂を吹き飛ばすと、真剣な表情でジェミャを見据えた。思ったとおり、地の精霊はノネコと同じ考えをもち、しかも当時のすべてを知る存在である。ミュオンの出産にあたり、子どもに名前を付けてほしいと頼まれた亮介は、赤子の誕生を楽しみにしていた。だが、現実は異なる結果が待っている。丸太小屋で共同生活を送る最中、ノネコが留守にしがちだった理由は、ミュオンとハイロの別離を避ける方法を探すため、森じゅうを歩きまわっていたからだ。しかし、その答えはまだ見つかっていない。
(生贄って聞こえたような? 僕が、誰の?)
ノネコの尻尾が、まっすぐ立っている。亮介は、ぷりっとしてもふもふした野猫のお尻をなでたくなったが、さきほどから不穏な空気に包まれているため、それどころではないと顔をあげた。ジェミャへ視線を向けると、翡翠石のように輝く瞳と目があった。
(よく見ると、ジェミャさんってきれいだな……)
地の精霊は露出度が高い(なにも着ていない)ため、大胆で不敵な印象を受けやすいが、神秘的で繊細な存在であることに変わりはない。とくにミュオンは、儚い精霊である。半獣属には長寿な種族もいたが、精霊のように生まれ変わることはできない。かつて、小さな子どもを丸呑みした黒蛇は、体内で吸収されたはずの存在がふたたび人型を成そうとしていたとは知らず、ただ飢えをしのぎ、目的もなく生き永らえていた。また、呑み込んだ子どもの霊力が高かったため、黒蛇は本来の寿命より長い時間を生きつづけている。
「ノネコさん、ジェミャさん、僕、どうなっちゃうの? 見て、どんどん腕が透けていく!」
指先だけでなく肘まで消えかける亮介は、両手の感覚が失われ、なにもつかむことはできない。以前のミュオンのように、そばにいても触れることのできないもどかしさに、透けていくからだがふるえた。
(ど、どうしよう、ものすごく怖い……。いやだ、いやだよ、このまま消えたくない……。ハイロさん、ミュオンさん、みんなっ!!)
ジェミャは笑みを浮かべたまま動揺する亮介に歩み寄り、ノネコを一瞥したのち、今にも泣きそうな顔の少年に口づけた。ジェミャに口唇を奪われた亮介は、舌を絡めてくる強引さに「うっ」と声をあげ、思わず相手の肩を突き返した。透けていた両手が元にもどっていたが、それどころではなく、バランスを崩して地面に倒れこむ。
(な、なんでまた、こんなときに!?)
ジェミャの吐息に体内の細胞が呼応するかのように活性化し、ひとりの高校生が姿をあらわす。着ていたニッシュのシャツは裾が足りず、亮介はあわてて前を隠した。
「……リョウスケくん、それがきみの、ほんとうの姿なのかい」
『ああ、そうだ。その人間は少年などではない』
ノネコの問いに、ジェミャが答える。亮介は正体を打ち明けていたが、本来の姿を見たノネコの表情は硬い。いっそこのまま、ミュオンやハイロたちと合流し、16歳の姿を見てもらったほうが気が楽になれる亮介は、ジェミャにたずねた。
「ハァッ、ハァ……、ねえ、ジェミャさん。この姿って、どれくらい維持できるの?」
『せいぜい、数分ていどだな。急激な成長をしたぶん、肉体にかかる負担は大きい』
(そうだった、ハイロさんも先祖がえりしたあと、倒れたんだ……)
ミュオンやジェミャの放つ霊力の影響を受けるだけでは、本来の姿を維持できないようだ。亮介は少し残念に思ったが、ノネコの目の前でふたたび8歳児にもどってしまった。あまりにも不可思議な現象を目撃したノネコは、無意識に眉をひそめた。
★つづく
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