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第5部
第73話
しおりを挟む双瞳に過ぎる幻影は、春のさなか、あふれる泉水に浮かんで分化した。精霊の秘密をとらえた灰色大熊は、美しい忘却をしのばせていたが、ハイロは遠い記憶を承知していた。
「誰が、なんのために……」
消えかけた過去を、よみがえらせた張本人は、いったい森のどこに潜んでいるのか、あるいは、きっかけとなった原因を探るため、ハイロは単独行動を起こした。身体は禊によって清潔さを維持していたが、心の淀みは黒く、濃く、深くひろがってゆく。
おれは、水の精霊を……
独占欲に血がさわぐ。ミュオンとの出逢いは、宿命にからまっている。離れがたく、譲れない存在であり、ハイロは、必須だと思われる役割に心が揺らいでいた。たどり着いた川の中流で、熱をあげた下半身を冷やすと、衣服をととのえて歩きだす。目ざす場所は、同族の生活圏である。凶暴な肉食獣がうろつく危険地帯に、亮介や小動物を同行させることはできない。ハイロのあとを追いかける足音が近づくと、ふたりは立ちどまり、互いの顔を見つめた。
「ミュオンか」
『おひとりで、どこへ行くのですか』
「真実を探している」
『あなたごときが、見つけだせるとは思えません。このような勝手な行動はやめてください』
「おれのことは放っておけ。すぐに帰る。おまえと愛しあうつもりはなかったが、どうやら、この肉体には必要性があるようだしな」
『肉体、ですか?』
「そうだ。先祖がえりした今なら、それほど苦痛をあたえず、おまえと生殖行為が可能だ。おれは、精霊に子を産ませるための、胤馬なのかもしれん」
『たとえそうだとしても、わたしが、あなたの子を産むとでも……』
「おれたちの都合は関係ない。未来を託す、リョウスケのためだ」
『なんですって』
「おれとおまえは、混性の子をつくる運命があるのだろう。……おまえが身ごもったあとも、できるだけ協力するが、望みがあれば言ってくれ」
『や、やめてください。望みなどありません。だいいち、わたしは半獣と交尾する気はありません』
「背中の羽が消えている理由を、考えないのか。おまえさんの姿は人間にしか見えない。おそらく、そういうことだろう。おれたちに残された猶予は不明だが、なるべく早めに決心したほうがいいだろうぜ」
人型の半獣に詰め寄られたミュオンは、腹部の内奥に違和感を覚えた。
★つづく
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