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第3部

第51話

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※森の追憶①


 静かな森に、オギャーッという赤子の泣き声が響いた。月夜の湖畔で誕生した生命は、人間と精霊の血を受け継ぐ男児である。


「よく、がんばったな。感謝する、ミューオン。……ゆっくりやすめ」

『……ええ、たのみましたよ。……わたしには、なんの力も、残されていないようです』

「心配するな。きみは、安らかに眠っていい」


 雄性にして身ごもった精霊は、まじわった人間との子を股のあいだから生んでみせたが、多くの霊力が赤子の成長に必要とされ、精霊をかたどっていた要素は、すべて新しい生命体へ移行した。愛しあったふたりは、わが子の誕生とひきかえに、その瞬間におとずれる別れを予想できなかったわけではない。なにもかも承知の上で、からだをつなげた。

 
 まぶたを閉じて眠りにつく精霊を見つめる人間は、悲しみをこらえ、消滅してゆく肉体を抱きしめた。


「さようなら、ミュオン・リヒテル・リノアース……。誰よりも美しく、気高い水の精霊よ。いつか、きみが自然に還れる日まで、赤子は守ってみせる。……愛しいわが子よ、この奇蹟の泉水いずみに近づくことなかれ。おまえの生きる場所は、春の大地、夏の草原、秋の山野さんや、冬の夜、ぬくめる屋根の下にある。……たとえわずかであろうと、人間の血が流れるかぎり、精霊のように消えることはないだろう。……ふたたび運命を呼び起こす愛のしるしとなり、もういちど、水の精霊ミューオンに逢わせてくれ」


 人間の男は、腕のなかで音もなく消え去ったミューオンの再誕を信じてうたがわず、赤子に〈リヒト〉と名付けたのち、森の片隅で大事に育てた。リヒトが8歳になるころ、どこで知りあったのか半獣属の友だちができた。まさかの肉食獣につき、最初は驚いた人間も、わが子を害する気配がないうちは、自由な交流を容認した。


「リヒト。いてもいいか」

「なあに、父さん」

「おまえ、どうやって大神オオカミと仲良くなったんだ」

「僕はなにもしてないよ。池のそばで、向こうから寄ってきたんだ」

「リヒト、池には近づくなと教えたはずだ。忘れたか」

「ご、ごめんなさい……」

 
 男は食事をする手をとめ、正面にすわるわが子の顔を見据えた。リヒトの面差おもざしは父親似で、中性的な容姿の精霊らしさは、外的要素にあらわれていない。だが、凛々しい大神をしたがえる能力は、人間の域を越えていた。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「……っ、ミュオンさーん!!」

 もやに視界を遮られた亮介は、思いきり精霊の名前を呼んだ。現在地は丸太小屋から遠く離れているため、いくら叫んだところで、すぐさま駆けつけることは不可能である。しかし、意識は鮮明なのに、妙な幻覚をみてしまった亮介は、無意識につぶやいた。

「今のって……夢……? ミュオンさんが、男の人と抱きあっていたような……。ふたりには子どもがいて……、それから、オオカミが……」

「なんの話だ」

「うわあっ!! ハ、ハイロさん!?」

 突然、真横から低い声がして顔を向けると、ぼんやりとした人影が立っていた。さきほど転倒したさい、亮介はひざを怪我しており、血がにじんでいた。そのにおいを嗅覚で感知したハイロは、視界が悪くても、少年を見失うことはなかった。

「も~、びっくりさせないでよぉ……。アイタタ……」

 ホッとした亮介は、足腰がズキズキ痛みだした。孤立したと思ったが、ハイロのほうで見つけてくれた。もっとも、あれだけ大声をだせば、聴力でイチ早く発見できる。急に恥ずかしくなって赤面する亮介をよそに、ハイロは白昼夢の内容を気にかけ、「ミュオンが、誰といたって?」と確認した。


★つづく
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