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第2部
第38話
しおりを挟むグルメな人、という表現がある。美食家を誤用した言い方でもあるが、食にこだわりがある人や、好き嫌いがはっきりしている人を形容する場合、偏食家が正しい。
仔栗鼠は、まさに偏食家な動物だった。
新鮮な野菜ときのこの鍋(調味料は塩だけの、あっさり風味)に、いくつかの木の実を葉っぱで包んで焼いたあと、殻を割ってレモン汁で味をつけたもの、ハイロがどこからか手に入れてきた鹿乳に、干し肉がやわらかくなるまで煮込んだミルクスープなど、順調に料理はしあがっていく。亮介は、香ばしいにおいや、ミルクの甘い湯気に、食欲をそそられた。庭で石ころを蹴って遊ぶコリスの鼻も、においにヒクヒク反応している。
「おいらは反対だぞ」
料理をするハイロを手伝うわけでもなく、盛りつけを担当する亮介に皿を渡すわけでもなく、腕組みをして現場監督をするキールは、まだご機嫌ななめのようすである。焚き火の前に移動すると、意図して目を吊りあげた。
「そんなに、コリスくんがきらい?」
木彫りの碗にミルクスープをおたまで盛りつける亮介は、妙に臍を曲げるキールをふしぎに思った。
(噛まれたのは僕なのに、なんでキールがあそこまで怒ってるのかなぁ。……というか、キールだって僕のこと、最初は冷たくあしらってたような……)
凶暴なイタチ科のキールこそ、亮介に襲いかかってきてもおかしくはない。だが、どれほど悪態をついても、実際に攻撃してくるわけでもなく、むしろ、キールがそばいる日常は、亮介に安心感さえもたらした。ことばで気持ちを伝えなくても、信頼関係は築けていると思われた。
(……僕のこと、本気で心配してる? それなら、ちょっとうれしいかも。……こんなふうに思っても、キールに言わないほうがいいよね。……結局、みんな自分の居場所は大事だし、よそ者がきたら警戒して当然だよね)
自給自足の生活に慣れてきた最近の亮介は、気楽な思考をめぐらせる傾向にあった。黒蛇に呑まれた恐怖体験は、すっかりどこかへ消えている。
(こういうの、なんて言ったっけ。充足感? ……リア充とは少しちがう気がする)
現実社会の喧騒とは無縁の、自然豊かな森には、まいにちのように新しい発見があり、亮介は、生まれた家を恋しく思う余裕などなかった。
(……なんか、僕、楽しんでる?)
置かれた状況を客観的にとらえてにやける亮介の脇腹をキールが人差し指でブスッと突いた。
「アイタ! ちょ、キール、なにするの」
鋭い爪がシャツの上から突き刺さり、それなりに痛かった。貴重な私服が破けたら一大事につき、亮介はムッと眉間に皺を寄せた。いつのまにか真横に立つキールは、自分用の茶碗を手にして、プイッとそっぽを向く。その視線の先は、寝室の窓だった。磨りガラスの向こう側で、ゆらゆらと動く人影がある。亮介は「ミュオンさん!?」と叫び、にぎっていたおたまは草地へ落下した。キールは、ミルクスープを盛りつけた茶碗をひっくり返し、まっ先に走りだした。
「ハイロさん、今の見た? ミュオンさんが目を覚ましたのかも!!」
きのこ鍋の火加減を調節するハイロは、興奮して声をあげる亮介と、寝室の窓を交互に見据え、「行ってこいよ」という。亮介は「うん!」と返事をしながら、からだはもう前を向いていた。樹上で丸くなっていたノネコも、ピョンッと飛びおりると、亮介のあとにつづく。なにも知らないコリスは、ハイロが最後につくる山菜の水煮に興味津々となり、グツグツと沸騰する料理をじっと見つめた。
丸太小屋の扉を勢いよく開け、あわただしく駆けこむ亮介とキールは、同時に息を呑んだ。
★つづく
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