三鏡草紙よろづ奇聞

み馬

文字の大きさ
上 下
28 / 29
第三章

孔   ※男色表現あり

しおりを挟む

 雨士あめしとは、鹿島氏の総本家が受け継ぐ・天司あめのつかさという神社の神主かんぬしを指す。よわい六十を過ぎた宮司ぐうじで、薬師如来像やくしにょらいぞうを祀っていた。

 薬師如来とは、病気で苦しむ人々を助けるとされる医薬の仏神で、左手に薬壺やっこを持っている。鹿島屋は本家の血筋を引く分家にあたり、雨士あめしの承諾をもって、先の大旦那は千幸かずゆきに薬種問屋を継がせた。また、若旦那となる千幸の後見人として、慈浪じろうを紹介している。

 総本家の敷居は高く、新年の挨拶まわりなどでたずねる理由がある年中行事を除き、千幸も慈浪も足が向かない場所だった。だが、ひと目で千幸を気に入った雨士は、使いの者に黒傘をもたせ、鹿島屋の坪庭に、こっそり置かせた。それは逢引あいびきの誘いであり、成人した千幸は、雨夜の通例として応じている。むろん、断ることもできたが、本家との関係が希薄になっているため、従うほうが無難だと判断した。


 雨士の訪問を煙たがる慈浪は、鈍い光沢を放つ芥子色からしいろの羽織りに、紐付き角帯、黒花緒くろはなお雪駄せった姿で立ち寄った本人を前に、「いらっしゃいませ」と、まずは接客用語を口にした。

「おお、新右衛門しんえもん健在けんざいか」

「おかげさまで」

「はっはっは、世辞は結構。……ほう、しばらく見ないうちに良い面構ツラがまえになったな。惚れ惚れするわい」

 気さくな老人を演じる雨士の視線は、正面に立つ慈浪の身体にあなけ、まっすぐ奥の間へ向かっていた。そこで待つ千幸と、親密な時間を堪能する目的に気づかれないよう、ふだんから完璧な身だしなみであらわれる。雨士は、千幸が先代の嫡子でないことを知る数少ない人物で、その件を容認していた。なぜなら、いちどでも肌を合わせた男は大事にする性格の持ち主で、大旦那は雨士の気質を見越したうえ、千幸を伴って本家を訪ねた。

 商売にかぎらず、成功の秘訣ひけつは色目だよ──雨士は、当日十八歳の千幸を試すよな調子で、軽く結んでいる口許くちもとへ視線をそそいだ。なにを指摘されたのかわからないほど、千幸は子どもではなかった。これから先、鹿島屋の当主として薬種商の道を進むのであれば、雨士の機嫌を損ねては不利益ふりえきしょうじる。千幸の父は席を立ち、廊下にでると静かに客間の障子しょうじを閉じた。雨士とふたりきりとなった千幸は、にわかに緊張したが、手頸てくびつかまれた瞬間、頭のなかに棟梁とうりょうの姿が浮かび、眼裏まなうらが熱くなった。第三者によって自覚を余儀なくされた千幸は、浅ましい感情を打ち消すため、雨士と気息を合わせた。皺のある骨と皮だけの指でほおを撫でる老人は、千幸の咽喉のどが小さく痙攣するさまに目を留め、心に迷いがあることを見透かした。

 千幸は黙って抱き寄せられていたが、人肌を求める行為を中断した雨士は、居間に待機させた慈浪じろうを呼ぶよう、家人に云いつけた。まもなくすると障子に背の高い人影がぎり、「失礼します」と低い声が聞こえた。慈浪は、畳の上に俯せている千幸を見ても驚かず、平然と雨士と挨拶を交わす。以降、雨士は千幸を個人的に可愛がるようになり、足腰を丈夫にする漢方薬を購入する前提で、鹿島屋へ顔をだす。


 慈浪は、小さな声で「耄碌もうろくじじいめ」と毒を吐いたが、馴れた足取りで奥の間へ向かう雨士は、上機嫌だった。


〘つづく〙
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

枢軸国

よもぎもちぱん
歴史・時代
時は1919年 第一次世界大戦の敗戦によりドイツ帝国は滅亡した。皇帝陛下 ヴィルヘルム二世の退位により、ドイツは共和制へと移行する。ヴェルサイユ条約により1320億金マルク 日本円で200兆円もの賠償金を課される。これに激怒したのは偉大なる我らが総統閣下"アドルフ ヒトラー"である。結果的に敗戦こそしたものの彼の及ぼした影響は非常に大きかった。 主人公はソフィア シュナイダー 彼女もまた、ドイツに転生してきた人物である。前世である2010年頃の記憶を全て保持しており、映像を写真として記憶することが出来る。 生き残る為に、彼女は持てる知識を総動員して戦う 偉大なる第三帝国に栄光あれ! Sieg Heil(勝利万歳!)

滝川家の人びと

卯花月影
歴史・時代
故郷、甲賀で騒動を起こし、国を追われるようにして出奔した 若き日の滝川一益と滝川義太夫、 尾張に流れ着いた二人は織田信長に会い、織田家の一員として 天下布武の一役を担う。二人をとりまく織田家の人々のそれぞれの思惑が からみ、紆余曲折しながらも一益がたどり着く先はどこなのか。

甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ

朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】  戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。  永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。  信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。  この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。 *ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。

本能のままに

揚羽
歴史・時代
1582年本能寺にて織田信長は明智光秀の謀反により亡くなる…はずだった もし信長が生きていたらどうなっていたのだろうか…というifストーリーです!もしよかったら見ていってください! ※更新は不定期になると思います。

蒼雷の艦隊

和蘭芹わこ
歴史・時代
第五回歴史時代小説大賞に応募しています。 よろしければ、お気に入り登録と投票是非宜しくお願いします。 一九四二年、三月二日。 スラバヤ沖海戦中に、英国の軍兵四二二人が、駆逐艦『雷』によって救助され、その命を助けられた。 雷艦長、その名は「工藤俊作」。 身長一八八センチの大柄な身体……ではなく、その姿は一三○センチにも満たない身体であった。 これ程までに小さな身体で、一体どういう風に指示を送ったのか。 これは、史実とは少し違う、そんな小さな艦長の物語。

天明奇聞 ~たとえば意知が死ななかったら~

ご隠居
歴史・時代
タイトル通りです。意知が暗殺されなかったら(助かったら)という架空小説です。

世界はあるべき姿へ戻される 第二次世界大戦if戦記

颯野秋乃
歴史・時代
1929年に起きた、世界を巻き込んだ大恐慌。世界の大国たちはそれからの脱却を目指し、躍起になっていた。第一次世界大戦の敗戦国となったドイツ第三帝国は多額の賠償金に加えて襲いかかる恐慌に国の存続の危機に陥っていた。援助の約束をしたアメリカは恐慌を理由に賠償金の支援を破棄。フランスは、自らを救うために支払いの延期は認めない姿勢を貫く。 ドイツ第三帝国は自らの存続のために、世界に隠しながら軍備の拡張に奔走することになる。 また、極東の国大日本帝国。関係の悪化の一途を辿る日米関係によって受ける経済的打撃に苦しんでいた。 その解決法として提案された大東亜共栄圏。東南アジア諸国及び中国を含めた大経済圏、生存圏の構築に力を注ごうとしていた。 この小説は、ドイツ第三帝国と大日本帝国の2視点で進んでいく。現代では有り得なかった様々なイフが含まれる。それを楽しんで貰えたらと思う。 またこの小説はいかなる思想を賛美、賞賛するものでは無い。 この小説は現代とは似て非なるもの。登場人物は史実には沿わないので悪しからず… 大日本帝国視点は都合上休止中です。気分により再開するらもしれません。 【重要】 不定期更新。超絶不定期更新です。

処理中です...